家庭で使う水を鉛の容器に入れて置くことの有害な作用
胃に入ったときの鉛の有害な作用は現在では一般に知られているので、この危険な傾向について論ずることは全く不必要と思われる。
2000年前に古代人はこの金属の危険な性質を今日の我々と同じように知っていて、実際にその作用をもっと理解していて、家事への使用に慎重なようだった。
彼らの用心はしばしば不必要な程度まで行われたようである。このことは当時における実験知識が不完全なために当然であった。毒物の検出ができないときには、水を使うのにこのように慎重であったのは正しい方向への誤りであった。
これに対して近代人は、基礎的に誤まった確信および作用を注意深く続けて試していないことから、逆方向への誤りに落ちこんでいる。
食物や飲み物に使おうとする水を鉛の水溜めに保存するのは極めて適当で無いことは疑いが無い。そして空気を除いているときに純水は金属鉛にはっきりとは作用しないが、空気が入るとこの作用は明らかになり、あまり注意深くない観察者でも気がつくようになる。
鉛の水槽に保存した水の表面に白線を見ることがある。これは鉛が水に触れた部分であり、空気が入ったときに鉛から作られた鉛の炭酸塩の部分である。この物質は胃に入ると健康にとって高度に有害である。これこそ古代人が水道に鉛のパイプを使わなかった理由であった。このような水の沈殿を飲み込むと消化管の傷害を起こすことに気がついていたからである。
古代に鉛の水槽はヒポクラテス、ガレノス、ウィトルウィウス(紀元前1世紀のローマ建築家)により危険であると非難された。これに加えて鉛の水槽に残っていた水による全家族の中毒の不幸な例を引用したファン・スヴィーテン(1700-1772:ブールハーフェの弟子)、トロンヒン(1709-1781:ブールハーフェの弟子)、その他の観察にさらに頼ることができる。ジョンストン博士、パーシヴァル博士、ジョージ・ベイカー卿、ラム博士は鉛が入った水を使って起きた危険な病気の数多くを同じように記録している。
飲料に適した水によっては鉛を溶かす能力が異なっている。ある場所では所有者が絶えず修理をしなければならないので、鉛のポンプは使われなくなった。ある井戸の所有者が修繕費を節約するために水道屋にポンプの鉛を普通の2倍の厚さにするように注文した例をラム博士が述べている。これは彼の言葉によると水が非常に硬いので鉛をすぐに腐食させるからだそうである。
次の例はジョージ・ベイカー卿が語っている。
「ある紳士は子供が多く21人も居て、そのうち8人は若死をし13人は両親よりも長生きをした。彼らが子供のとき、およびふだん住んでいる場所を離れるまで彼らは極めて不健康であって、とくに胃腸の具合が悪かった。父親は長年にわたって麻痺状態であり、母親は長期間にわたって疝痛と胆管閉塞で苦しんでいた。」
「両親が死去した後で家族は長いあいだ住んでいた家を売り払った。購入者はポンプの修理が必要なことに気がついた。ポンプは鉛で作られていて、検査すると腐食が激しくてバケット(ポンプの吸い子)が通るシリンダーには幾つかの孔が空いており、水槽の上部は普通のハトロン紙の厚さであって篩のように沢山の孔が空いていた。」
私自身も鉛の水槽が接触している水の作用によって完全に腐食している数多くの例を見ている。そして職業上で数多くの同様な例を経験したと述べられない水道屋は1人も居ないであろう。
私はしばしば中に入っている水の作用によって漏れるようになった鉛の水槽を調べるように依頼されてきた。そして屋敷の所有者と水槽に欠陥があると告発された水道屋のあいだの争いを調停する法律論争の例を私は引用することができる。しかしこの例は鉛にたいする水の化学作用であることが示された。大量の空気と炭酸を含む水はいつでも金属鉛に強く作用するものである。
自然の状態では鉛に作用しない水も、偶然に受けた外的な物質によって、鉛に作用するようになることがある。木の葉のような植物物質が水の入った鉛の水槽に落ちると、その水は自然状態では持たないかなり強い鉛を溶かす作用を持つようになる。従って鉛の水槽は清潔にしておく事が必要である。そしてこのことは偶然にも不純物に曝されていればいるほど、必要である。トロンヒンが記載した有名なアムステルダム鉛疝痛はこのような状態で起きたものであった。それからまたファン・スヴィーテンが記載したこのような水槽により一家全体が同じ症状を呈したのも同様であった。ダンカン博士が記載した病例は水の溶解能力よりは水槽の不潔によっているのであろう。この例において定期船の高級船員たちは飲料および調理に鉛水槽の水を使ったが、水夫たちは同じ水源の水を木製の容器に入れていた。その結果、高級船員には疝痛の発作が起きたが、水夫たちすべては健康であった。
これらのことについてラム博士が正しくも言ったように、多くの人類の不注意さは「あまりにも大きくて、何回も何回も繰り返すことが全く不必要になっていない。」
鉛の水槽に入っている水を毎日使っている大部分の人たちははっきりとした傷害を受けてはいないが、見かけ上に健康なのは反応が非常に遅いこと、および摂取量が少ないからでもあろうし、その効果は原因の違いや体質の違い、そして個人による病気にたいする素因によって変化する。不純物を含む水を使う多くの人たちに想定される安全性は、個人の利益を考えての仮定以上のものではなく、このことは経験によって確認されるかも知れないし、されないかも知れない。
ある習慣を区別する病的な感受性の印象とは独立に、人体の本質的な性質には多くの違いが別に存在するのだろうが、それについて我々は全く無知である。
各個人の病気にたいする感受性すなわち傾向はその個人に独自であると考えなければならない。他人の経験を信頼することは後になって誤であることが判る安全性の基礎かも知れない。そしてこの危険はその源を無くすることによってのみ確かに予防することができる。そして環境が異なり年齢が異なることによって種々であり複雑な変化をする人間の体質を考えると、ある時期に身体に取り入れられた物質が、ある時期および何年にもわたって無害であったにも拘わらず、ついに他の時期には病気および死の原因になるであろう。
ある1人の経験、または数が多くても多数の人の経験は、この本性の問題の解決には全く役立たない。
「蒸留酒の不節制な使用の悪い影響は、習慣的な酒飲みが良い健康状態を保ち老年に達しているのをしばしば見るからといって確かでないとは言えない。同じことはあらゆる種類の悪徳に溺れる人たちについても言えるだろう。彼らの多くは悪い習慣にも拘わらず活力ある老年に達している。」
これらの発言を確証するために、鉛で汚染した水の効果についてのG.ベイカー卿の次の発言を提出しよう。
「この主題について私の記憶に残っている最も顕著な例はサセックスのアシュバーナム卿の家族の例である。ここにはかなり遠くから泉の水が鉛のパイプで供給されていた。この結果として、卿の召使いたちは毎年に疝痛によって苦しめられ死んだ者もいた。バトルの名医はこの問題について私に連絡し数ガロンのその水を送ってきて、ヒギンズ博士が分析して普通以上の量の炭酸が含まれていると報告した。そしてその中には鉛が存在し、彼はこれが炭酸によるものであるとした。この結果としてアシュバーナム卿は鉛のパイプを木製に置き換え、その時以後に彼の家族は腸に何の病気も無くなった。」
リッチモンド、1802年9月27日