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ドモ又の死
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ドモ又の死
有島武郎
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Translation Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 2 of 4

2

花田  全くともちゃんに帰られちゃ困るよ。青島、貴様よけいなことをいうからいかんよ。……とにかくみんな気を落ちつけて俺の報告を聞け。ドモ又もともちゃんも、そこで聞いてるんだぜ……待てよ。(時計を出して見ようとして、なくなっているのを発見)時計もセブンか。セブンどころじゃないイレブンくらいだろう。もういそがないと間に合わない。今朝俺は青島と手分けをして、青島は堂脇んちの庭に行き、俺は九頭竜の店に行った。とてもたまらない奴だ。はじめの間は、なかなか取りつく島もなかったが、とうとう利をもっておびき出してやった。名は今ちょっといえないが私どもの仲間に一人、ずぬけてえらい天才がいる。油でもコンテでも全然抜群で美校の校長も、黒馬会の白島先生も藤田先生も、およそ先生と名のつく先生は、彼の作品を見たものは一人残らず、ただ驚嘆するばかりで、ぜひ展覧会に出品したらというんだが、奴、つむじ曲がりで、うんといわないばかりか、てんで今の大家なんか眼中になく、貧乏しながらも、黙ってこつこつと画ばかり描いていた。だから世間では、俺たちの仲間のほかに、奴のことを知ってるものは一人だっていやあしない。沢本  うん全くそれはそのとおりだ。花田  ところがその男が貧に逼り、飢えに疲れてとうとう昨日死んでしまった。沢本  馬鹿をいうない。俺はとにかくまだ生きてるぞ。花田  誰が死んだのはおまえだってそういったい……ところで俺たちは実に悲嘆に暮れてしまった。いったい俺たちが、五人そろって貧乏のどんづまりに引きさがりながらも、鼻歌まじりで勇んで暮らしているのは、誰にもあずけておけない仕事があるからだ。その仕事をし遂げるまでは、たとい死に神が手をついて迎えに来ても、死に神のほうをたたき殺すくらいな勢いでやっているんだ。その中でもがんばり方といい、力量といい一段も二段も立ちまさっていたのは奴だった。東京のすみっこから世界の美術をひっくり返すような仕事が出るのを俺たちは彼において期待していた。だのに、あまりにすぐれたものは神もねたむのだろう。奴は倒れてしまった。奴は火だった。焔だった。奴の燃えることは奴の滅びることだったんだ。戸部  貴様そういったか。花田  うむ。戸部  よくいった。花田  俺はまだこうもいった。奴には一人の弟があって、その弟の細君というのが、心と姿との美しい女だった。そうしてその女が毎日俺たちの画室に来てモデルになってくれた。俺たちのような、物質的には無能力に近いグループのために尽くしてくれるその女の志は美しいものだった。奴はひそかにその弟の細君に恋をしていた。けれども定められた運命だからどうすることもできない。奴は苦しんだ。そしてその苦しみと無限の淋しみとを、幾枚もの画に描き上げた。風景や静物にもすばらしいのはあるが、その女の肖像画にいたっては神品だというよりほかに言葉がない。瀬古  おいおいそれは誰の事だい。ともちゃん、おまえ覚えがある。花田  まあ、あとでわかるから黙って聞け。……ところで、奴が死んでみると、俺たち彼の仲間は、奴の作品を最も正しい方法で後世に遺す義務を感ずるのだ。ところで、俺は九頭竜にいった。いやしくもおまえさんが押しも押されもしない書画屋さんである以上、書画屋という商売にふさわしい見識を見せるのが、おまえさんの誉れにもなるし沽券にもなる。ひとつおまえさんあれを一手に引き受けて遺作展覧会をやる気はありませんか。そうしたら、九頭竜の野郎、それは耳よりなお話ですから、私もひとつ損得を捨てて乗らないものでもありませんが、それほど先生がたがおほめになるもんなら、展覧会の案内書に先生がたから一言ずつでもお言葉を頂戴することにしたらどんなものでしょうといやがった。瀬古  僕はいやだよ、そんなのは。僕らの芸術に先生がたの裏書きをしてもらうくらいなら、僕は野末でのたれ死にをしてみせる。とも子 えらいわ若様。瀬古  ひやかすなよ。花田  全くだ。第一僕たちのような頸骨の固い謀叛人に対して、大家先生たちが裏書きどころか、俺たちと先生がたとなんのかかわりあらんやだ。……ところで俺はいった。そんなら、こちらでお断わりするほかはない。奴の画はそんなけちな画ではない。大手をふって一人で通ってゆく画だ。そういうものを発見するのが書画屋の見識というものではないか。そういう見識から儲けが生まれてこなければ、大きな儲けは生まれはしない。沢本  俗物の本音を出したな。花田  俺がそんなことでもして大きな儲けをしたら俗物とでもなんとでもいうがいい。融通のきかないのをいいことにして仙人ぶってるおまえたちとは少し違うんだから。……ところで九頭竜が大部頭を縦にかしげ始めた。まあ来てごらんなさいといったら、それではすぐ上がりますといった。……ところで、これからがほんとうの計略になるんだが、……おいみんな厳粛な気持ちで俺のいうことを聞け。おまえたちのうち誰でも、この場に死んだとして、今まで描いたものを後世に遺して恥じないだけの自信があるか、どうだ。生蕃どうだ。沢本  なくってどうする。花田  よし。瀬古はどうだ。瀬古  僕は恥じる恥じないで画を描いてるんじゃないよ。僕は描きたいから描くんだ。花田  わかった。じゃその気持ちは純粋だな。瀬古  いまさらそんなことを……水くさい男だなあ。花田  ドモ又はどうだ。戸部  できたものはみんないやだ。けれども人のに比べれば、俺のほうがいいと俺は思っている。俺はそれを知っている。花田  青島の心持ちはもう聞いた。青島も俺も、自分の仕事を後世に残して恥ずかしいとは思わない。俺たちはみんないわば子供だ。けれども子供がいつでも大人の家来じゃないからな。一同  そうだとも。花田  じゃいいか。俺たち五人のうち一人はこの場合死ななけりゃならないんだ。あとの四人が画を描きつづけて行く費用を造り出すための犠牲となって俺たちのグループから消え去らなければならないんだ。瀬古  おいおい花田、おまえ気でも違ったのか。僕たちは芸術家だよ。殉教者じゃないよ。花田  芸術のために殉死するのさ。そのくらいの意気があってもいいだろう。その代わり死んだ奴の画は九頭竜の手で後世まで残るんだ。沢本  なんという智慧のない計略を貴様は考え出したもんだ。そんなことを考え出した奴は、自分が先に死ぬがいいんだ。花田  俺が死んでいいかい。……そうだもう一ついうことを忘れていたが、死ぬ番にあたった奴は、その褒美としてともちゃんを奥さんにすることができるんだ。このだいじな条件をいうのを忘れていた。おいともちゃん……ドモ又、もう描くのをやめろよ……ともちゃん、おまえ頼むから俺たち五人の中の誰でもいい、おまえの気に入った人とほんとうに結婚してくれないか。とも子 なんですねえ途轍もない。花田  俺たち五人の中に一人、おまえの旦那にしてもいいと思うのがいるっておまえいつかのろけていたじゃないか。とも子  そりゃ……そりゃいないこともないことよ。花田  待てよ。「いないこともないことよ」というのは結局、いるということだね。とも子 知らないわ。花田  女が「知らないわ」といったら、もうしめたもんだ。おまえが一人選んだら、俺たちあとに残された四人は、きれいに未練を捨てて、二人がいっしょになれるように、極力奔走する。成功させるためにきっと尽力する。だからおまえ、本気になってこの五人の中から選ぶんだ。そこに行くと俺たちボヘミヤンは自由なものだ。ともちゃんだって、俺たちの仲間になってくれてる以上はボヘミヤンだ。ねえ。そうだろう。かまわないから選びたまえ。俺たちはたとい選にもれても、ストイックのように忍ぶから……心配せずに。俺たちのほうにはともちゃんを細君に持つのに反対する奴は一人もいまい。どうだみんないいか。よければ「よし」といえ。一同  よし。とも子 選んだらどうするの。花田  そいつが残る四人のために死ななければならないんだ。とも子 冗談もいいかげんにするものよ、人を馬鹿にして。(涙ぐむ)花田  なあに、冗談じゃない。わけはない、ころっと死にさえすればいいんだよ。戸部  花田、貴様は残酷な奴だ。……ともちゃんをすぐ寡婦にする……そんな……貴様。花田  (初めて思いついたようにたまらないほど笑う)なんだ貴様たちはともちゃんのハズがほんとうに……瀬古  死ななけりゃならないんだろう。花田  死ぬことになるんださ。瀬古  同じじゃないか。花田  同じじゃないさ。青島  花田のいい方が悪いんだよ。死ぬことになるんじゃない、つまり死んだことにするんだよ。わかったろう。つまり死ぬんじゃない、死んでしまうこと……でもないかな。花田  つまり、こうだ、いいか。頭を冷静にしてよく聞け。いいか。ともちゃんに選ばれた奴は実はその選ばれた奴の弟なんだ。いいか。そしてともちゃんとその弟とは前から夫婦なんだ。ともちゃんは、俺たちに理解と同情とを持っていて、モデルも傭えないほど貧乏な俺たちのためにモデルになってくれたのだ。いいか。ところでともちゃんのハズの兄貴にあたるのが、ほんとうは俺たち五人の仲間の一人で、それがともちゃんに恋をして、貧乏と恋とのために業半ばにして死ぬことになるんだ。こんどはわかったろう。……まだわからないのか……済度しがたい奴だなあ。じゃ青島、実物でやって見せるよりしかたがない、あれを持ち込もう。

花田と青島、黒布に被われたる寝棺をかつぎこむ。

とも子 いや……縁起の悪い……沢本  全く貴様はどうかしやしないか。花田  さあ、ともちゃん、俺たちの中から一人選んでくれ。俺が引き受けた、おまえの旦那は決して死なしはしないから。とも子 だってそんな寝棺を持ち込む以上は……花田  死骸になってここにはいる奴はこれだ。(といいながら、壁にかけられた石膏面を指さす)こいつに絵の具を塗っておまえの選んだ男の代わりに入れればいいんだよ。たとえば俺がおまえに選ばれたとするね。ほんとうにそうありたいことだが。すると俺は俺の弟となっておまえと夫婦になるんだ。そうしてこいつ(石膏面)が俺の身代わりになってこの棺の中にはいるんだ。とも子 ははあ……少しわかってきてよ。花田  わかったかい。天才画家の花田は死んでしまうんだ。ほんとうにもうこの世の中にはいなくなってしまうんだ。その代わり花田の弟というのがひょっこりできあがるんだ。それが俺さ。そうしておまえのハズさ。とも子 ははあ……だいぶわかってきてよ。花田  な。そこに大俗物の九頭竜と、頭の悪い美術好きの成金堂脇左門とが、娘でも連れてはいってくる。花田の弟になり切った俺がおまえといっしょにここにいて愁歎場を見せるという仕組みなんだ。どうだ仙人どももわかったか。花田の弟になる俺は生きて行くが、花田の兄貴なるほんとうの花田は死んだことにするんだ。じゃない死ぬことになるんだ。現在死なねばならないんだ。それだから俺は始めから死ぬんだ死ぬんだといって聞かせているのに、貴様たちはまるで木偶の坊見たいだからなあ。……ところで俺の弟は、兄貴の志をついで天才画家になるとしても、とにかく俺が死なねばならぬというのは悲壮な事実だよ。死にさえすれば、ことに若死にさえすればたいていの奴は天才になるに決まっているんだ。(石膏面をながめながら)死はいかなる場合においても、おごそかな悲しいもんだ。だからかかる犠牲を払うからには、俺がともちゃんのハズとして選ばれるくらいのことが必要になるんだ。とも子 なにもあなたなんかまだ選びはしないことよ。花田  そうつけつけやり込めるもんじゃないよ、女ってものは。沢本  俺はもうだめだ。俺はある女を恋していた。そうして飢えが逼ってきた。ああ俺は死んだほうがいい。俺は天才画家として画筆を握ったまま死にたいよ。とも子 花田さん、私、死ぬ人を旦那さんにするんじゃないのね。私の旦那さんが死ぬことになるんでしょう。沢本  そうつけつけやり込めるものじゃないよ、女ってものは。花田  みんな俺の計略がわかったな。俺たちは今俺たちの共同の敵なるフィリスティンと戦わねばならぬ時が来た。青島、おまえと堂脇との遭遇戦についても簡単に報告しろよ。青島  僕はかまわず堂脇の家の広い庭にはいりこんで画を描いていてやった。そうしたら堂脇がお嬢さんを連れて散歩にやってきた。堂脇はこんなふうに歩いて、お嬢さんはこんなふうに歩いてそうして俺の脇に突っ立って画を描くのをじっと見ていたっけが、庭にはいりこんだのを怒ると思いのほか、ふんと感心したような鼻息を漏らした。お嬢さんまでが「まあきれいだこと」と御意遊ばした。僕はしめたと思って、物をいい出すつぎ穂に苦心したが、あんな海千山千の動物には俺の言葉はとてもわからないと思って黙っていた。全くあんな怪物の前に行くと薄気味の悪いもんだね。そうしたら堂脇が案外やさしい声で、「失礼ながらどちらでご勉強です、たいそうおみごとだが」と切り出した。僕は花田に教えられたとおり、自分の画なんかなんでもないが、昨日死んだ仲間の画は実に大したものだ、もしそれが世間に出たら、一世を驚かすだろうと、一生懸命になって吹聴したんだ。いかもの食いの名人だけあって堂脇の奴すぐ乗り気になった。僕は九頭竜の主人が来て見ることになっているから、なんなら連れ立っておいでなさいといって飛び出してきた。なにしろお嬢さんがちかちか動物電気を送るんで、僕はとても長くいたたまれなかった。どうして最も美を憧憬する僕たちの世界には、ナチュール・モルトのほかに美がとりつかないんだろうかなあ。瀬古  どうかしてそのお嬢さんを描こうじゃないか。青島  あの人がモデルになってくれれば僕はモナリザ以上のものを描いてみせるよ、きっと。瀬古  僕はワットーの精神でそのデカダンの美を見きわめてやる。青島  見もしないでなにをいうんだい。瀬古  君は芸術家の想像力を……花田  報告終わり。事務第一。さ、みんな覚悟はいいか。ともちゃん、さあ選んでくれ。とも子 私……恥ずかしいわ。瀬古  おまえの無邪気さでやっちまいたまえ。なに、ひと言、誰っていってしまえば、それだけのことだよ。とも子 じゃ一生懸命で勇気を出して……けど、私がこれっていった人は、いやだなんていわないでちょうだいね。でないと、私ほんとうに自殺してよ。花田  誓いを立てたんだからみんな大丈夫だ。

瀬古は自信をもって歩きまわる。花田は重いものをたびたび落として自分のほうに注意を促す。沢本は苦痛の表情を強めて同情をひく。青島はとも子の前にすわってじっとその顔を見ようとする。戸部は画箱の掃除をはじめる。

Chapter 2 of 4
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