Back
三枚続
Table of Contents
三枚続
泉鏡花
Reading Settings
Font size
18px
Theme
Light
Dark
Sepia
Eye care
Line spacing
Reading mode
Translation Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 8 of 50

八

「はあ、貴方がその勝山さんのお使?」と大人は紅革の夏蒲団の上に泰悠におわす。此方は五ツ紋の肩をすぼめるまで謹んで、

「さようでございます、へい。」

「御親類の方ですかね。」

「いえ、親類と申しますでもございませんが、ちと懇意に致しますもので、ついこの坂下まで手前用事で参りましたに就いて、彼家から頼まれまして、先生様の御邸へ伺いますように、かねてお世話に相成ります御礼を申上げますよう、またどうぞ何分お願い申上げまするようにと、ことづかりましたんで、へい、めっきりお暑うございますな、」といいながら、袂を探ると白地の手拭を取出して額を拭った。

「はあ、何、それはわざわざ。」

「実は母親が参ります筈なんでございますが、一体このとかく病身な上、貧乏暇なし、手もございません処から、相済みませんが失礼をいたしまして、」といいかけてまた額の汗を。見る処人形町居廻りから使に頼まれたというが堅気の商人とも見えず、米屋町辺の手代とも見えず、中小僧という柄にあらず、書生では無論ない。年若には似ない克明な口上振、時々ものいいの渋るといい、何でも口うつしに口上を習って路々暗誦でもして来たものらしい。

かかる肌違のものに対しては、鴨川大人口を開いて、あえて上五文字をも吐くに当らず、

「はあ、」とばかりである。

葭戸を下の方から密と開けて、大形の茶碗の底へ、ぽっちり入った結構らしいのを、畳の上へ辷らすようにして客の前に推して据えた、高島田の面長で色の白い、品の可い、高等な中形の浴衣、帯をお太鼓に結んだ十九ばかりの美人。

五ツ紋の青年は、斜にちょっと見たばかりで、はッと言って頭を下げ、

「恐入ります奥様、ええお控え下さいまし、手前から申上げます、日本橋区人形町通、」と俯向いたまま手をついて言った。

茶を持って出た美人は、敷居の外へ半分ばかり出した膝を揃えて支いたまま、呆気に取られたが、上目づかいで鴨川の面を窺うと、渠は目を瞑って俯向きながら、頤髯のむしゃとある中へ苦笑を包んで、

「可し、」と頷いて見せたので、葭戸を閉ててすっと消える。

「小間使でありますよ。」と教えたが、耐りかねたか、ふふと笑った。青年の茫然拍子抜のした顔を上げた時、奥の方で女の笑声。

此方は面を赤うして、手拭を持った手を額にあて、

「これはどうも、手前不束ものでございます、へい、実は奥様にはお目に懸ってよく御礼をと申しつけられましたものでございますから。ええ、何でございましょうか、奥様はお邸でいらっしゃいましょうか。」

「はあ、居りますが。」

「いかがでございましょう、ちょいとお目に、」と御身分柄、お家柄、総じては日本の国風を心得ないことを言うのである。

鴨川は眉を顰めたが、さあらぬ調子で、

「面会日は別にあるです。」

「へい?」

「あれが皆様に別に面会しますのは水曜の午後です。」

「水曜の午後でございますか。」

鴨川は至極冷淡に、

「はあ、」

五ツ紋の青年は何か仔細ありげに、不心服の色を露わした。

Chapter 8 of 50
|