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座敷では、じゃかじゃかじゃん……ここらは本職だわね。」
と、軽い撥を真似て、白い指を弾いた。
「頭の顱じゃあないけれど、額の椀の蓋は所作真盛り。――(蟷螂や、ちょうらいや、蠅を取って見さいな)――裸で踊っているのを誰だと思って?……ちょっと?」
「あ。」
多津吉は吃驚したらしい顔を上げた。渠は面も上げないで聞いたのである。
「……それがね、近常さんを、お迎いに行った職人なのよ――全体、迎いに行ってから、美術閣での様子なんぞは、この職人が、いきなり(目は一つだけか。)と言われてから以来、ほんとうに大師匠だと恐入って、あとあとまでも、悉しく細く、さし合のない処でさえあれば、話すのを、按摩も、そっちこっちから、根穿り葉穿りして、聞いたんだそうですがね。――大師匠だと恐入っても、その場の事は察し入っても、飲んだ酒にも酔えば、娘子には浮かれるわ……人間ですもの。富さんが、褌のみつを引張って、(諫鼓の荷づくりを見届けるまで、今夜ばかりは、自分の目は離されぬ。近常さんの途中の様子を。)(合点。)……で、いずれ、杯のやりとりのうちに、その職人の、気心が分ったんでしょう。わざと裸体に耳打ちすると、裸体に外套を引被って、……ちっとはおまけでしょうけれどもね、雪一条、土塀と川で、三途のような寂しい河岸道へ飛出して、気を構えて見ますとね、向うへとぼとぼと行くのが、ほかに人通りのある時刻じゃなし、近常小父さん。――その向うに、こんな夜更には、水の妖精が、面を出して、人間界を覗く水目金のような、薄黄色な灯が、ぼうとして、(蕎麦アウウ……)――と呼ぶんです。振売の時、チリンチリンと鳴らすが、似ているからって、風鐸蕎麦と云うんだそうです。聞いても寒いわね。風鐸どころですか、荷の軒から氷柱が下って。
――蕎麦を一つ、茶碗酒を二杯……前後に――それまで蟷螂が蟋蟀に化けて石垣に踞んで、見届けますとね、熟と紙入を出して見ていなすったっけ、急いで勘定して、(もう一杯、)その酒を、茶碗を持ったまま、飲まないで、川岸へ雪を踏みなすった。そこに、石で囲って、段々があるんです。」
「うむ、ある。」――
と、多津吉が不意に云った。
女もうっかりしたように、
「ざぶり、ざぶりと、横瀬を打って気味が悪い。下り口の大きな石へ、その茶碗を据えなさいますとね、うつむいて、しばらく拝みなすった。肩つきが寂しいでしょう。そんなに煽切ったのに、職人も蕎麦の行燈で見た、その近常さんの顔が土気色だというんですもの。駆寄ろうとする一息さきに、蕎麦屋がうしろから抱留めました。」
「難有い。ああ、可かった。」
「だから、貴方は慌てものだと、云うんですよ……蕎麦屋も慌てものだわね。爺の癖に。近常さんが、(身投と間違えられましたか。)……そうではない。――(よそ様のお情で、書生をして、いま東京で修行をしている伜めが、十四五で、この土地に居ますうち、このさきの英語の塾へ、朝稽古に通いました。夏は三時起、冬は四時起。その夏の三時起に、眠り眠りここを歩行いて、ドンと躓いたのがこの石で、転ぶと、胸を打って、しばらく、息を留めた事がござりました。田舎寺のお小僧さんで、やっぱり朝稽古に通う、おなじ年頃の仲よしの友だちが来かかって、抱起したので助って、胸を痛めもしませんだが、もう一息で、睡りながら川へ流れます処。すればこの石は大恩人。これがあったために躓いたのでござりませぬ。石は好い心持でいる処を、ぶつかったのは小児めの不調法。通りがかりには挨拶をしましたが、仔細あって、しばらく、ここへ参るまいと存ずるので、会釈に一献進ぜました。……いや思出せば、なおその昔、伜が腹に居ります頃、女房と二人で、鬼子母神様へ参詣をするのに、ここを通ると、供えものの、石榴を、私が包から転がして、女房が拾いまして、こぼれた実を懐紙につつみながら、身体の弱い女でな、ここへ休んだ事もあります。御祝儀なしじゃ、蕎麦屋さん、御免なされ。は、は、は。)と、寂しそうに笑って、……雪道を――(ああ、ふったる雪かな、いかに世にある人の面白う候らん、それ雪は鵞毛に似て、)――と聞きながら、職人が、もうちっとと思うのに、その謡が、あれなの、あれ……」
「ええ。」
「そのおなじ謡が、土塀の中からも、嗄声で聞こえるので、堪らなくなって、あとじさりをしながら、背後を見ると、今居たと思う蕎麦屋が影もなしに雪に消えたので、わッと云うと、荷のあった前を山を飛越すように遁げたんですって。
――話は岐路になりますけれども、勉強はしたいものですわね、そのお小僧さんは、ずッと学問を、お通しなすって、いまでは博士で、どこのか大学の校長さんでいなさるそうです。肝心の、近常さんの伜ですがね。」
「伜……成程。」
「それは、から、のらくらしていて、何だか今もって、だらしのない人だって。……(それほどの近常さん宗旨の按摩に、さっぱりひいきがないんだから、もって知るべしだ。)とそう云ってね、天狗様も苦り切っていたわ。」
「大きにもっともだ。もって知るべしだ。成程。」
「ひどく、感心するんだわね。」
「いや、何しろもっともだから。」
「まったくだわね。」
「――そこで、どうなったんだろう。それから。」
「お察しなさいよ……どうなる、とお思いなさるの? あなた、なまじっか、御先祖のお位牌へも面目、と思いなすっただけに、消した蝋燭にも恥かしい。お年よりに愚痴を聞かせれば、なお不孝。ろくでなしの伜には言ったって分らないし、それに東京へ行っているし、情なさの遣場のない、……そんな時、世の中に、ただ一人、つらい胸を聞かせたし、聞いて欲し、慰めてももらいたいのは、御新造さんばかりでしょう。近常さんは、御自分の町を隔てた、雪の小路を、遠廻りして、あの川。」
と云って、松の枝ずれに振袖がすっと立った。――「あの橋、……」
姿の紫を掛けはせずや。麓を籠めて、練絹を織って流るる川に、渡した橋は、細く解いた鼓の二筋の緒に見えた。山の端かえす夕映の、もみじに染まって。……
――その橋も、麓の道も、ただ白かった――と云って袖を飜した、手も手先も、また、ちらちらと雪である。
「ちらほらここからも小さく見えますね、あの岸の松も、白い蓑を被いで、渡っておいでの欄干は、それこそ青く氷って瑪瑙のようです。ですけれども、真夜中ですもの、川の瀬の音は冥土へも響きそうで、そして蛇籠に当って砕ける波は、蓮華を刻むように見えたんですって。……極楽も地獄も、近常さんには、もう夢中だったんですわね。……
ついでに、あちらを御覧なさいまし。あの山の出端に一組、いま毛氈を畳み掛けているのがありましょう――ああ一人酔っている。ふらふら孑孑のようだわね……あれから、上へ上へと見霽の丘になって、段々なぞえに上る処……ちょうどここと同じくらいな高さの処に、」
振袖姿は、塚と斜めに立っている。
「樹林がこんもりして、松の中に緋葉が見えましょう。他所のより、ずッと色の冴えました、ね。もう御堂も壊れ壊れになりましたし、それだし、この辺を総体にこうやって、市の公園のようにするのにつけて、御本尊は、町方の寺へ納めたのだそうですが、あすこに、もと、お月様の御堂がありましたって。……お月様の森の、もみじですもの、色は照りますわ。――余り綺麗だから、一葉二葉、枝のを取って来たのを――天狗がですよ。白い饅頭にさして、その紅い鳥冠にしたんだって言ったんですがね。
――市から監督につけておく、山まわりの巡吏に、小酷く叱られましたとさ、その二三枚葉をったのを。……天狗でも巡吏にはかなわないんですわね。もっとも、手でなんぞ尋常なんじゃなくッて、羽団扇で払いたのかも知れません。……ああ、あの、緋葉がちらちらと散りますこと。ひとりで散れば散るんですけれど。……この風の止んだ静かな山の暮方に、でもどこかそこらの丘の上から、意趣返しに羽団扇で吹かしているのかも知れません。」
兀並んだ丘は一つずつ、山深き奥へ次第に暗い。
「近常さんは、それですから幻の月の世界へ、縋りついて攀上るように、雪の山を、雪の山を、ね、貴方、お月様の御堂を的に、氷に辷り、雪を抱いて来なすって、伏拝んだ御堂から――もう高低はありません、一面白妙なんですから。(今戻ったぞ、これの、おお、この寒いに、まだ石碑さえ立てないで、面目ないが、ほかに行く処は、ようないのじゃ。)とこの塚に、熱い涙をほろほろと挨拶をなすった心の裡。……貴方、お世辞にでもお泣きなさいよ、……私も話すうちに、何ですか、つい悲しくなって来た。」
と、眩ゆそうに入日に翳す、手を洩るる、紅の露はあらなくに、睫毛は伏って、霧にしめやかな松の葉より濃かに細い。
「いや、どうも、私も先刻から、何だか。」
と、なぜか多津吉は肩を揺って、首垂れた。
「その時ですって、枝も風に鳴らずに、塚も動かないでいて、このお墓所が、そのまま、近常さんの、我家の、いつもの細工場になって、それがただ白い細工場で、白い神棚が見えて、白い細工盤が据って、それで、白い塚が、細工盤と角を取った長火鉢だったんですって。」
多津吉は掌を強く目を払って、熟と視る。
「ですから、火も皆白いんです。鉄瓶もやっぱり白い。――その下に、焚いてありました松の枝が、煙も立たずに白い炎で、小さな卍に燃えていて、そこに、ただ御新造の黒髪ばかり、お顔ばかり、お姿ばかり、お顔はもとより、衣紋も、肩も、袖も、膝も真白な……幽霊さん……」
「ああ。」
「ね、ただ、お髪の円髷の青い手絡ばかり、天と山との間へ、青い星が宿ったように、晃々と光って見えたんですって。
ああ、貴方、お拝みなさるの。
私も拝みたい。」
「ちょっと!……塚の前で、さしむかって、私と並ぶと、きみが、そのまま、白くなって消えそうで危っかしい。しばらく、もう、しばらく。」
と息忙しい。
「ええ、そうね。この振袖を、その方のおかたみかも知れないなぞと、自惚れているうちは可いけれど、そこへ寄って、そのお姿と並んでは、消えてしまうもおなじですわね。ちょっと、ここからお拝み申して……」
と、腰をすらりと掌を合わせた。
「御免遊ばせ、勝手にお風説なんかして。」
と、膝を折りつつ低く居て、片手に松葉を拾う時、簪を鬢に挿すのであった。
多津吉は向直って、
「それから。」
「まあ、その銅壺に、ちゃんとお銚子がついているんじゃありませんか。踊のお師匠さんだったといいますから、お銚子をお持ちの御容子も嬉しい事。――近常さんは、娑婆も苦患も忘れてしまって、ありしむかしは、夜延仕事のあとといえば、そうやって、お若い御新造さんのお酌で、いつも一杯の時の心持で。……どんなお酒だったでしょうね、熱い甘露でしょう、……二三杯あがったと思うと、凍った骨、枯れた筋にも、一斉に、くらくらと血が湧いて、積った雪を引かけた蒲団の気で、大胡坐。……(運八が銀の鶏……ではあれども、職人頭は兄弟分、……まず出来た。この形。)と雪を、あの一塊……鳥冠を捻り、頸を据え、翼を形どり、尾を扱いて、丹念に、でも、あらづもりの形を。――それを、おなじ雪の根の松の下へお置きなさると、鏨はほんとうのを懐中から、鉄鎚を取って、御新造さんと熟と顔を見合って、(目はこう入れたわ。)丁!(左は)丁と打込む冴に、ありありとお美しい御新造さんの鬢のほつれをかけて、雪の羽がさらさらと動いて、散って、翼を両方へ羽搏くと思うと、――けけこッこう――鶏の声がしたんですって。」
二人思わず、しかし言合わしたごとく、同時に塚の枯草の鳥冠を視た。日影は枯芝の根を染めながら、目近き霧のうら枯を渡るのが、朦朧と、玉子形の鶏を包んで、二羽に円光の幻を掛けた。
「――そう言って、幾たびも、近常さんは臨終の際に、お年よりをはじめ、気を許した人たちに、夢現のように……あの霜の尖ったような顔にも、莞爾してはお話しなすったそうですがね――
その何ですとさ、鶏の声が、谷々へ響いて、ずッと城下へ拡がると一所に、山々峰々の雪が颯と薄い紫に見えたんですって、夜が白みましたの。ああ、御新造さんの面影はもう見えません。近常さんは、はッと涙をお流しなすったそうですが、もうただ悲しいばかりの涙じゃアありません。可懐い、恋しい、嬉しい、それに強さ、勇ましさもまじったのです。どうしてって言えばね、雪をつかねた鶏の鳥冠が、ほんのりと桃色に染りましたって、日の昇り際の、峰から雲に射す影が映って彩ったんです。