Chapter 1 of 19

お鳥は、兄のところを拔けて來る場合が見付かり難かつたとて、四日目にやつて來た。そして直ぐ入院した。持つて來た行李までも運び込まうとしたので、義雄は、

「荷物までも入院させるには及ぶまい」と云ふと、

「お前は信用でけんから、ね。」頸をつき出し、目を細く延ばした。

「もう、質屋へは入れないよ。」

「分るもんか。」

「けちな奴だ」とは云つて見たが、義雄はかの女の始末なのを一年以上も利用してゐたのを思ひ出す。思ひ通りの贅澤はやらせることが出來なかつた代り、いつもまとまつた金の取れた時に、それをすべてかの女にまかせたのである。

すると、それを大事がつて、よくしまつて置き、ちびり/\と實際生活上の必要にしか出さない。そして、一ヶ月なり、一ヶ月半なりのうちに、みんな無くなつてしまふ。然し、それでも、まとまつた金を受け取る時の嬉しさをかの女は忘れられない樣子であつた。

然し時々その手を氣が付いて自分のつまらないのを訴へることもあつた。そんな時は、かの女の望み通り、西洋料理屋なり、音樂會なり、三越、白木屋などにつれて行つた。

「考へて見れば、若い女をむざ/\と、可哀さうでもある」と、成るべくお鳥の爲すがままにして置くのである。

寂しいから、夜だけは義雄の方へとまりに來て呉れろと頼んだが、それも人の手前、をかしく思はれるからいやだと云つた。

「みなに何と云はう? 兄さんだと云うて置こか?」

「そんな嘘を云つたツて、人には直ぐ分るよ。」

「どう分るの?」

「亭主でなければ、色男、さ。」

「いやアなこツた!」かう云つて、わざと横を向き、「そんなおぢイさんを――さう思はれるのは恥かしい。」

「恥かしいたツて、覺悟の上ぢやアないか?」

「では、お父さんだと云をか」と、からかつて笑ひながら、「けふも、直ぐ旦那さんにすれば、年が行き過ぎてる云うてたさうだもの。」

「年寄りの旦那さん――西洋人なら、いくらもあらア。」

「毛唐人ぢやあるまいし、いやアなこツた。――それとも、お前が田中子爵の樣に金持ちなら――」

「さうすりやア、どうせ、お前ばかりではない、五人でも、六人でも、意張つて女を持つかも知れない。」

「若く生れ變つてお出でよ。」

「その時ア、寫眞屋さんなどは女房にしない、さ。」

「誰れもお前の女房にして呉れとは云うてをらん。今、少しで仕あがるところを惜しいのだけれど――」

「さう、さ、仕上がる頃には、寫眞學校のハイカラ生徒とくツついてゐたのにと云ふんだらう?」

「御心配には及びませんよ。獨りで寫眞屋を開業して、若い人を喰はしてやらア、ね。」

「それがお前の理想か?」

「へん、お前の無理想とか、屁理想とか云ふのとは違ひます。」

「利いた風なことをぬかすな」と、義雄は、眞面目になつて、自分の威嚴を持つて主張する主義にわけも分らず口を入れる女を叱りつけた。

お鳥は、看護婦や入院患者等に親しみが出來、病院の勝手が分つて來るに從ひ、金錢上の不自由を感ずる樣になつた。

それを小分けして見ると、三等室の患者は役員や賄ひまでに馬鹿にされることもそれだ。ほかの人は二枚も三枚も立派な着がへを持つて來てゐるのに、自分はいつも一枚しかないこともそれだ。人はつき添ひの婆アさんを雇つたり、看護婦を頼んだりしてゐるのに、自分はたツた獨りぼツちであることもそれだ。また出るお膳だけではうまくないと云つて、鑵詰を明けたり、うなぎをあつらへたり、間食をしたりする人々の間で、自分ばかりがつつましくしてゐるのは、如何にも貧乏臭く見えることもそれだ。

「あなたは感心に間食をしませんな」と云はれたのを、お鳥は非常に輕蔑された樣に思つた。

心細くもなつたのだらう、また一つには、義雄をつき添ひと見せる爲めでもあらう、せめて、毎日、渠を幾度も病室へ見舞はせたり、また自分から渠の下宿へ出かけたりして、多少の滿足をしてゐる。

義雄も亦、お鳥の特に氣分が惡さうな時は、閉門時刻までも、そばについてゐてやることもある。そして、氷峰の細君になるときまつたお鈴の弟が――義雄に一度遊廓をおごられた關係から――病人の見舞ひとして、ビスケトの鑵を贈つて來たのを持つて行つてやると、お鳥は他の患者等に對して見えがいいと喜んだ。

夫婦としては餘り年が違ふと云ふこと、並びにお鳥がそこではおほハイカラに見えることが注意を引いて、たださへ新らしい話し種を求めてゐる患者間に、おほ評判となつた。

「なか/\親切な旦那さんです、な」などと冷かされながらも、お鳥自身は病院内でなか/\持てるので、その點はかの女も愉快らしかつた。

或時、義雄が見舞ひに行くと、お鳥は隣りの寢臺の、「わたしの良人は教育家です」と意張つてゐる、小學教員の細君に寫眞を出して見せてゐる。かの女等が寫生した物ばかりだ。

隅田川の景色もあれば、大森の八景園や鎌倉の大佛もある。男生徒と女生徒とが田舍者の夫婦に假裝して、わざと道化た取り方のもある。またお鳥自身が特に修正までしたと云ふのには、或る庭園の茶室の縁がはで、ハイカラな青年の腰かけたのが寫つてゐる。そして、それと同じ庭園の一部らしいところで、お鳥が片手に蝙蝠傘をつき、一方の肩に寫眞機を入れた角カバンをかけてゐるのもある。

義雄は最後の二枚を見て、むら/\と嫉妬の念が起つた。そして、その男とお鳥とが互ひに自分等を寫し合ひしたのだと思ふと、確かに一つの疑問の見當がつけられた。

然しその場では何とも云へないから、何氣ない樣に再びその二枚を見かはすと、どちらの人物も齒の浮く樣にきざなのが目に立つ。男は長い髮を眞ン中で奇麗に分け、ハイカラの洋服すがたが、如何にも女に見せてゐる樣で、腰かけ方までいやににやけてゐる。女はまた持ち慣れないコダクを下手に肩にかけ、その重みで顏の筋肉までが多少一方へ引き下げられてゐるのに、無理に澄まし込んで、その澄ました口がおのづからさきの方へ押し出されるのを、一方の傘で後ろにつきささへ、お負けに、片足をあげて、まさに段々をおりようとするところだ。女の氣取るのも、ここまで來ると、あきれるよりほかはないと、義雄は思つた。

「無學で、淺墓で、虚榮心の強いものは仕やうがない」と思ふと、嫉妬などはどこかへ行つてしまつて、――不斷は、或程度まで虚榮心を許すべしと主張しながら、――輕侮といや氣としか起つて來ない。「然し、それも若い女のことだから」といふ樣な、寛仁の態度で迎へて見ると、義雄は娘に對する父の樣な氣にもなつて、ただかの女を監督してゐさへすればいい位の冷淡な考へにもなることがある。

渠の年輩として、老成じみた理性が、兎角、智、情、意合致心の一角に高まり易いにも拘らず、その理性を情化合一するほどの心熱が、渠の主義として主張する刹那的強烈を以つて、戀を實現する用意は、いつも、渠の胸中に缺けてゐるのではないと、渠自身は思つてゐる。

然し渠はその勢ひづいた鼻さきを折られる樣な經驗を、さきには東京に於けるお鳥、最近は札幌に於ける敷島によつて得た。云はば、有形的な事業や渠の所謂戀愛的努力――すべての努力を戀愛的に解してゐるが――に極度の疲勞を來たし、――それでも、その疲勞のうちに疲勞の内容を握つてゐれば渠としてはいいのだが、――ただ疲勞の爲めに疲勞をおぼえる樣なゆるみが出來て來た。

この樣なことは、その他にもないでもなかつた。然しそれが有る度毎に、渠は、自分が深刻な命脈にはづれて、トルストイの冷刻にもならず、ドストイエフスキの熱刻にも行かず、ただ淺い、淡い、なまぬるい感じと氣分とにぐらついてゐるのをおぼえる。然し、渠自身はいつも強烈深大の不愉快と悲痛とを進んで受けてゐるつもりである。苦痛があればあるだけ、その苦痛をもツと深入りしたいともがくのが生命だと思つてゐる。

然しまた渠は、今、雲上から落ちた天人の樣に、大切な刹那をはづれて、その氣力がない。目前に接近する女性をも、熱烈に自己化しようとは努めず、ただあツさりと取り扱つてゐる。お鳥は、今では、却つてその方を喜ぶので、初めはそれと反對かも知れないのを恐れて、義雄の下宿へちよく/\きても直ぐ歸つたのが、段々いい氣になつて、長く話をしてゐる樣になつた。

そして、かの女はのろけまじりに昔の所天のことや近頃會ふ人々のことを語り、義雄の燒き持ち心を挑發しようとする。そして、

「副院長さんはあたいに氣があるんだよ。ほかの患者がをつても、あたいが行くと、おほ騷ぎだ――あたいもあの人に診察して貰ふ方がえい、な」などと云ふ。

また、或看護婦がお鳥を二等室の一患者に取り持たうとしてゐるとか、男子の病室のものが時々廊下で待つてゐて、話をしかけて困るとか、すべて、かの女の根本的病状を知つてゐる義雄には、可笑しと思はれるのろけ話だ。

「そりやア、まことに御結構――お鳥さんのではなく、庭鳥の聲です」など云つて、義雄が受け流すと、馬鹿にされたと思つて、かの女は急にその色の白い、然し筋肉にたるみある顏をくしやくしやとしがめ、鼻息を荒くして、渠に向つて來て、

「このおぢイさん」などと渠を打つたりつめつたりする。

然し、それではまだ足りないと思つてか、義雄が爐を右にしてがらす窓のそばの小机にもたれてゐるのを押しのけ、その席を奪つて、自分が机に向ひ、渠をじらすつもりで手紙を書き出す。手紙のことでは、義雄も、かの女と一緒になり立てには、隨分嫉妬的注意を拂つてゐたのである。自分以外に、どんな關係者があるかも知れないと疑つてゐたからだ。かの女は、然し、自分の出す一切の郵便物の宛名を、姪や自分の朋輩に送るのでさへ、渠に見せたことがない。渠は、たまに、見ないふりして見て置くくらゐのことにとどめてゐた。ここへ來てからも、隨分出したのは分つてゐるが、東京の

「本郷區千駄木」云々と、上書きに書いてゐるのをちよツと見て、あれは寫眞學校の先生のところだ、な、と思つたほか、別にどれにも追窮はしなかつた。

義雄の下宿には、お鳥と同じ年輩の娘があつて、練習がてら、或産婆の手傳ひをしてゐる。師匠の忙がしい時は、自分が代理になつて産婦の家へかけつける。そして、兩親に厄介はかけないで、自分の衣服などは自分で拵らへられるだけの給料は貰つてゐる。

その娘が、今年は、雪中を出あるく時の用意にとて、縞セルの被布を拵らへた。お鳥はそれをうらやましくなつて、然し入院料で心配させたあげくであるから、さう強くは云へず、義雄に一つ買つて呉れいと云ふ謎を懸けた。

「ふん!」渠が鼻であしらふと、

「へん、御親切だから、ねえ」と、笑ひにまぎらし、「然し、あんな田舍ツぺいが被布を着たツて、似合やせん。」

「お前だツて、東京ぢやア、まだ田舍ツぺいだ。」

「そんなら、あたいが通ると、東京の人が年寄りでも見かへるのはどうしたわけだ?」

「それかい?」義雄はわざと輕く受けて、机の上にある自分の旅用の小鏡をつき出し、

「これと相談したら、分らう。」

「ふン!」お鳥は額にゆるい皺を澤山寄せて、鏡を引ツたくつて、脇へ投げつける。「あたいだつて、さう惡い顏ぢやない。」

「色が白いだけ、さ――お前のおほ廂と顏の造作とが釣り合つてゐない。」

「何でもえい、さ――お前の世話にはならん!」かの女は締りのない顏をそむけ、光りの青い目を疊の上に投げる。

「ここの娘は實際自分自身の處分をしてイらア、ね。」

「あたいだツて、寫眞の方を卒業すれば、そんなことは出來る!」

かう云ふ風な云ひ合ひもあるが、義雄は宿のものにはお鳥を體裁上妻と云つてゐる。お鳥はまたさう思はれたくないので、わざと、義雄の困る樣に、人々の前で、また聽えよがしに、勝手なだだを捏ることがある。

お鳥は、最後に札幌に着した日から入院して、義雄の下宿にとまつたことがない。且、義雄の口には毒蛇のやうな毒があると云つて、お鳥は渠を避けてゐる。渠には、それが却つて意外の疑念を挿さむ餘地を與へたので、ひそかに女の方の容態を確かめる爲め、或日、身づから病院の婦人科へ出かけた。

車つき運び寢臺の上に乘せられ、魔睡劑の利き目がまだ殘つてゐるのが運び去られる。母らしい老人に負ぶさり、足のさきに繃帶された娘が出て行く。ハンケチに包んだ藥り瓶を提げ、實に氣持ち惡さうな青白い顏が、そろり/\と歩いて行く。

膽振や日高の切り開らかれた道路の兩がはの、黒土の脇腹に火山灰層の白い筋が通つてゐる樣に、白ペンキで塗つた板かべの腰に二本の赤筋の通つてゐる廊下で、義雄はそんな患者等に出會つたが、それらに比べては、お鳥の病氣はまだ輕いと思つた。

そして、かの女の屬する治療室の入り口まで行くと、看護婦等は何の用があると云はないばかりの樣子だ。また、一方のベンチに腰をかけつらねてゐる婦人連は一切にこちらの方へ目を向ける。立派な身なりのもあつた、さうでないのもあつた。奧さんらしいのもゐた、苦勞人らしいのもゐた。

奧の方には白い幕が張つてあつた。雨の降つてゐる日で、室内も周圍から壓迫したやうに鬱陶しくかげつてゐる。

「西藏密教の奧の院!」何だか、こんな感想が突然起つたが、それ以上は門外漢に神祕のやうだ。左りの方に掛り員室の入り口があるのに氣がつき、義雄は直ぐそこへ這入り、來意を告げる。

うは鬚のはねた若いのが、洋服の上に白衣をつけて、忙しさうにしてゐたのを見た。それがお鳥の好きな醫學士だらうと思はれた。

その翌日、三ヶ條の責任ある囘答が來た。第一、お鳥には梅毒の恐れは決してない。第二、ただ一たび移された痳毒が慢性になつたのだ。第三、それも經過はいい方だと云ふ。これで、義雄は自分以外の關係者が、自分の東京出發後、もしやあつたかとも思はれたその證據を實際に發見することが出來なかつたのである。

で、何げなく、お鳥を安心させる爲め、この囘答を見せても、なほ、かの女は最初と最後との證明を信じないほど、自分の病氣を苦にしてゐるのである。

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