十
渠は夜を徹して執筆した。
この「悲痛の哲理」は、中央公論に出た義雄論を反駁して、合はせて自説を一層明らかにするつもりで。
第一章「僕の意志」には、文藝家は深い思索力を缺き、哲學研究者は獨創の見に乏しい現代に於いて、文藝と哲學とを合致する義雄自身の新哲理、新情調を發表するのは、どちらにも分らないといふ困難があること。第二章「新文藝に平行すべき新哲學いまだ實現せず」に於いては、人生即文藝の意は肉靈合致の心熱的態度によつて事實の特殊的把持をすること。第三章「現實は自我の無理想的活動」に於いては、解決附きの經驗には、いつも輪廓的、外向的無内容が伴ふから、最も内容的になるには盲動の刹那を自覺すべきこと。第四章は、義雄の論敵こそ却つて排斥すべき抽象論者たること。第五章、第六章、第七章に於いては、解決が附けば既に死であること。理想といふものは、生その物なる主義とは違つて、さうありがたがるべきものでないこと。無解決の活動は苦痛だが、それが人生その物であること。
以上は既に書きあがつてゐた分だが、云ひ足りない分を欄外に書き入れて行つた。シヨペンハウエルの苦樂觀――これは隨分刹那的につツ込んである説だが――まだ/\相對的なものだと難じて、「一刹那にも苦樂の交替があるのは事實だが、その苦痛が快樂に變るのは死の分子に移るのだから、人生の價値は後者になく、前者の者だ」と書いたのは、われながら古今に絶した一發見だと書きそへた。
渠は新たに第八章「獨存自我は神の如き手段にあらず」といふ項目に筆を執つたが、論敵は故綱島梁川(義雄はその生前に直接に攻撃したのだ)の淺薄な宗教論と大して違ひのない形式を應用してゐること。プラグマチズムの實用眞理説はまだ悲痛な刹那の一元的内容を十分に説明することが出來ないこと。「極端な個人主義にして極端な國家主義と合致する」義雄自身の「國家人生論」を引證して、獨存自我の出現は威力にあること。「ニイチエは神をぶち毀したが、自我なる物を充實させることが出來なかつた。渠は悲痛に重みを置いただけ、その自我は多少内容的になつたが、ただ分裂的自我にちよツと威勢を附けたくらゐに過ぎない」こと。乃ち、ニイチエは「積極的自我の獨存的價値には思ひ及ばなかつた」こと。などを書いた。
第九章「論者とカライルと僕との相違」といふ項目を書き出す時、午前五時が鳴つた。お鳥を見ると、疲れてしまつたのか、たあいもなく眠つてゐる。
「まア、そツとして置け」と、義雄はつづけて筆を運び、カライル、シヨペンハウエル、ニイチエ、ツルゲネフ、メテルリンクなどは耶蘇教國的感化を脱し切れないから、どうしても抽象的傾向を有することを指摘し、「近代の哲學的傾向が、物の分析をやつても、ある程度まで内向的を重んずる樣になつたのは嘉すべしだが、何等の能力もない死物もしくは虚無(といふ抽象物)に逆襲的壓迫力があるかの如く見なす思想が盛んになつたのは、生活の法則と思索的論法とを革新すべき任務ある僕等の注意して反對すべきところである」と書いた。
この革新――これが威力ある自我の活動的實現になるのだ。渠は身を以つてそれに任じてゐるのだと思つてゐる。
第十章「特別發現なるわが國の神代生活と現代的生活との比較」に至り、初めてかの「氣象考」の陽根中心説をも紹介した。そして、その説が豫想する肉靈合致の心熱的生活――「思想的生活」と命名してある――は、ヘブライ人やギリシヤ人の最古代には強烈に出てゐないが、わが國の古事記を研究して見ると、それが殆ど現代的なほど強烈に實現されてゐること。本末をあやまつてゐる今の神道者流が、もし他日一隻眼を開らく時が來たら、十年前の單純な日本主義にも奮起したほどなのだから、この義雄の國家人生論的神道の新哲理に奮ひ起つたらうと云ふこと。そして、思想と實行とは別々な生活ではない、また別々になつてはならぬのだといふこと。
第十一章、「強烈生活の本質と空影とを混ずる勿れ」に於いては、人生の心熱的態度は刹那主義に結びついて、初めて義雄の新説となること。「合致もしくは統一は強烈生活に於ける事實であつて、目的もしくは手段でない」こと。「分化や分業は、強烈的存在の影であつて、決して内容でない」こと。「刹那的燃燒の有無が萬事をその場に可否してしまふこと。強烈孤獨の悲痛生活を自覺するものは、刹那の自己を、いつも、たとへば、「男女間の關係を最も極度に追行した時」の如く適切に感得してゐるといふこと。
この最後の論證を、男女間のことは始ど知らないと世間から云はれてゐる論敵には、殆ど解し得られまいと思つて、義雄は微笑した。それと同時に、自分は妻に就き、お鳥に就き、また最近は敷島に就き、耽溺的努力を隨分經驗して來たことを思ひ浮べる。
然しその耽溺はまだ滿足を與へなかつた。と云ふのは、自分の自我心はそれに滿足するには餘りに熱刻、冷刻、もしくは深刻であつたからである。然し、兎に角、弱劣者でなく、優強者としてとほつて來たのだと思ふ。
ただ現今のお鳥の樣なものの爲めにおほかた心中までしかけたのは、優強者としての努力にゆるみがあつたばかりの間違ひだ。死といふ無内容物の魔がさしてゐたのだ。この論文がかうして書ける以上は、もう、大丈夫だ。自分には思策も實行だ。そして、實行出來ないことは思索にも這入るべきものでないし、思索にも這入らないなら、空物だ。宗教家の形式、禪家の一喝、神祕家の沈默、すべてこれらは實行的自我を逸する、否、無にする所以だと。
かう勇氣が盛んになつたに乘じて、なほ、第十二章「利己心は優強者の憚るところなき特色」、第十三章「優強者政治の必要」、第十四章「優強威力者の幻影は現實なるべき表象主義」といふ樣な項目を擧げて見た。その他に、まだ/\澤山書くべきことがある。
然し義雄はここまで一氣呵成に運んだ筆を中止した。曉がた六時の時計が鳴つたのである。宿の臺どころでは、下女が起き出たらしい。そして、渠の神經はます/\冴えて來るが、あたまは疲勞して考へがまとまり兼ねて來た。
それでも、お鳥の青ざめた顏をして熟睡してゐる寢床へは、何となく、いやな樣で、這入りたくない。
風でも入れようと、窓のカーテンをあげると、そらは晴れてしまつたのが見える。いツそ散歩に出ようと決心し、獨りでそツと室を出た。
積雪を渡つて吹く風は非常に寒い。然しその新鮮な空氣を呼吸して散歩するうちに、義雄はあたまの遲鈍を恢復した。遲鈍が恢復すると共に、全身に自分の氣力が行き渡り、男性的欲望が身内に燃えて來て、寒いと思つた風も自分の顏に當ると、直ぐあツたかみを感ずる樣になつた。そして、
「若々しい北海道! 活動の好時期!」かう云ふ考へを思ひ浮べると、自分の想像はまだ踏みよごされない雪の上を渡つて、多くの木挽き等が雪の深山に椴松、蝦夷松の切り倒されたのを挽き、多くの人夫等がそれを橇で引き出すところに飛んで行く。
健全なオゾンのにほひ、新らしい木材の音までも近く聽える。渠には、樺太トマリオロの奧なる石炭鑛を見に行つた時に、初めて意識して吸つた強いオゾンのにほひとそれが與へた元氣とを、いまだに忘れられない。
「北海道や樺太へは、然し、出直すより仕かたがない。」かう考へて、義雄は大通りなる黒田伯の銅像を横切り、開拓碑の前に立つて、その石文を讀んで、自分自身とも思はれる北海道なる物の年齡を數へて見た。