Chapter 1 of 1

Chapter 1

砂書きの老人

上村松園

まだ私が八、九歳のころ京都の町々にいろいろな物売りや、もの乞いがやって来ていたが、その中に五十歳ぐらいのきたならしい爺さんが、絣木綿のぼろを纒って白の風変りな袴をつけ、皺くちゃな顔には半白の鬚など生やして門々を訪れてまわっていた。

別にものを売るのではない。ただ腰に砂を入れた袋をさげていて、その中に白黒黄藍赤など五色の彩色砂を貯えている。

門前に立っては、もの珍しげによりたかる私どもにむかって、

「それそれ鼻たれ、そっちゃへどけ、どけ……」

と一応怒鳴り廻してから、砂袋の中から五色の砂を取りまぜて握り出しては門の石だたみの上にそれをさっとはくように撒く。

さまざまな色と形が実に奇妙に、美しく、この哀れな老爺の汚ならしくよごれた右手のなかからつぎつぎと生命あるもののごとく形造られてゆく。

私ども鼻たれはこの驚異を前にそれこそ呆然と突ったって見惚れてしまっている。

花がびっくりするようにあざやかな色彩で描き出される。黒一色の書文字も素人放れがしている、と人々は語り合ってもみる。

「砂書きのオヤッサン!」

これは子供たちの待ち遠しい娯しみであった。

大人たちは一銭、二銭のほどこしものをしてやる義務を感じる。別に老人が乞うたわけではない、いわばこの「砂書き老人」の当然の報酬であったのだろう。

花を描いても天狗を描いても富士山を描いても馬や犬を描いても、それに使われる色とりどりの砂は一粒も他の色砂と交ることもなく整然と彼の老爺の右の手からこぼれるのである。あたかもすでに形あるものの上をなぞらえるがごとく、極めて淡々と無造作に描きわけてゆく。

どのように練習しても、ああはうまくかけるものではない。天稟の技というのはああいうのをさして言うのであろう。またそれは、あの貧しい老爺だけがのぞき得た至妙至極の芸術の世界であったのかも知れない。

あの老人は大地へ描きすててしまったからその絵はあとに残ることがなかったのであるが、あれほどの技がもし絵画のほうへ現わせていたら恐らくあの老人は名のある画家のひとりともなっていたであろうに。

しかしまた思うのである。あの「砂書き老人」の砂絵は、すぐに消えてしまうところに一瞬の芸術境があり、後世に残されなかったところにあの老人の崇高な精神が美しくひとびとの心に残されたのであると。

その後あのような不思議な砂書きはとんと姿をみせなくなった。

あるいはこの世でたったひとりの専売特許的存在であの「砂書き老人」はあったのかも知れない。

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