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二つの絵 芥川竜之介の回想
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二つの絵 芥川竜之介の回想
小穴隆一
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Translation Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 6 of 61

□夫人

芥川の「或舊友へ送る手記」は明らかによそゆきのものであらう。芥川が生前に白い西洋封筒にいれて封じ、僕にいくつか渡してゐたものの中の一つには、

僕等人間は一事件の爲に容易に自殺などするものではない。僕は過去の生活の總決算の爲に自殺するのである。しかしその中でも大事件だつたのは僕が二十九歳の時に□夫人と罪を犯したことである。僕は罪を犯したことに良心の呵責は感じてゐない。唯相手を選ばなかつた爲に(□夫人の利己主義や動物的本能は實に甚しいものである。)僕の生存に不利を生じたことを少からず後悔してゐる。なほ又僕と戀愛關係に落ちた女性は□夫人ばかりではない。しかし僕は三十歳以後に新に情人をつくつたことはなかつた。これも道徳的につくらなかつたのではない。唯情人をつくることの利害を計算した爲めである。(しかし戀愛を感じなかつた譯ではない。僕はその時に「越し人」「相聞」等の抒情詩を作り、深入りしない前に脱却した。)僕は勿論死にたくない。しかし生きてゐるのも苦痛である。他人は父母妻子もあるのに自殺する阿呆を笑ふかも知れない。が、僕は一人ならば或は自殺しないであらう。僕は養家に人となり、我儘らしい我儘を言つたことはなかつた。(と言ふよりも寧ろ言ひ得なかつたのである。)僕はこの養父母に對する「孝行に似たものも」後悔してゐる。しかしこれも僕にとつてはどうすることも出來なかつたのである。今、僕が自殺するのも一生に一度の我儘かも知れない。僕もあらゆる青年のやうにいろいろ夢を見たことがあつた。けれども今になつて見ると、畢竟氣違の子だつたのであらう。僕は現在僕自身には勿論、あらゆるものに嫌惡を感じてゐる。

芥川龍之介

P.S 僕は支那へ旅行するのを機會にやつと夫人の手を脱した。(僕は洛陽の客棧にストリンドベリイの「痴人の懺悔」を讀み、彼も亦僕のやうに情人に嘘を書いてゐるのを知り、苦笑したことを覺えてゐる。)その後は一指も觸れたことはない。が、執拗に追ひかけられるのは常に迷惑を感じてゐた。僕は僕を愛しても、僕を苦しめなかつた女神たちに(但しこの「たち」は二人以上の意である。僕はそれほどドン・ジュアンではない。)衷心の感謝を感じてゐる。

といふのがある。

芥川は僕にこれを昭和二年のはじめに渡してゐるが、それよりも前に鵠沼で、○○○子(□夫人)との交合の場合の、「動物的本能」といふか執拗といふのか、彼女のそれを、必要以上にくどく聞かせてゐて、なぜまたそのうへにかやうに書いたものまで渡してゐたものか。(これは世に殘ることを意識して書いてゐる「或舊友へ送る手記」以前のものである。)僕にはいまだに芥川のその考へはわからない。(「或阿呆の一生」二十一、參照)

芥川は僕に渡したものには、その相手の名前をはつきり□夫人と書いてゐる。□夫人は、世にいふ閨秀歌人、芥川の言ふところによれば高利貸の娘であり、藝者の娘であり、狂人の子であつて○劇の電氣技師の夫人である。

芥川は「河童」を書上げればもういつ死んでもよいと言つてゐた。しかし、□夫人の性情といつたものが確かに芥川の「河童」のモティフにはなつたらうが、「書上げればもういつ死んでもよい。」と言つてゐたほどの、喘ぎにあへいでゐた芥川の苦惱は、「河童」のどこににじみでてゐるといふのであらう。「河童」は體力のなくなつた芥川といふものを考へさせる。

「或阿呆の一生」三十八、復讐に、帝國ホテルの露臺で□夫人が、「あの子はあなたに似てやしない?」と芥川に言ひ、芥川が「似てゐません。第一……」と言ふ、さらに□夫人が「だつて胎教といふこともあるでせう。」と言ふ會話がのつてゐる。芥川は□夫人と交合の際、コンドームを使つてゐたことを僕に言つてゐたが、コンドームが避妊用としても常に安全であるかどうかを保證するのは、その發賣元のまはし者ぐらゐのものであらう。(ともあれ□夫人と通じたことは彼には致命的な結果を招いたことの一つである。)僕は芥川に自決の意をつたへられてから、決行されてしまふまで、僕の意見を求められればともかく、ただ芥川の話を聞いてゐるだけで、なるべく芥川の氣の休まるはうへとばかり考へてゐたので、これといつて話を問ひつめて聞いた覺えはたえてないが、いづれは自殺を決行してしまふ芥川に、いやでも聞いておかなければ、生涯芥川を疑ふことになるのがいやで、唯一度、死ぬ一ト月足らず前に、「ほんとにその子は似てゐないの?」と言つたことがある。芥川はそのとき、向ふむきになり、疊の上にひつくりかへつて、「それがねえ、困るんだ。」とつぶやくやうに言つてから、またひつくりかへつて僕にゐざりよりながら、「君の足を撫でさせろよ。」と僕の踝から下のない右足を捉へてはなさずに、(僕の下宿で僕は義足をはづしてゐた、)撫でさすつてゐてから、左膝を枕にして、「ここにかうしてゐると氣が休まるよ。僕には君が僕の母親の生れかはりのやうに思へる。」としよんぼりして言つてゐた。(芥川のいふところによると、芥川の母の死んだ日か翌日かが僕の生れた日に當つてゐる。)僕はそのやうすをみてゐるので生涯芥川といふ人間を愛しつづけてゐるが、まだ一度もみてゐない子、□夫人が一人の少年をさして、「あの子はあなたに似てゐやしない?」と言つた、その子が芥川龍之介の子であるかもしれないといふ疑ひは捨てさることができない。

なぜ、芥川は自殺を擇むだか? なぜ、命數にまかせて生きることを面目を失ふ事と考へてゐたのか? なぜ、死を急ぐ必要を感じてゐたか? 狂人の子である芥川は、(「或阿呆の一生」二、母、參照)發狂を怖れてゐた。〔彼は自身で自分の破壞されてゆく頭腦の動く形を充分に承知してゐた。〕と僕は昔の「二つの繪」にはさう書いたが、最近の佐藤春夫に、『「齒車」の中に書かれてある現象、あれは眼科のはうの醫者の教科書にもあることで、芥川はそれを讀んで知つてゐて書いたことだらうか、芥川のことであるから多分讀んでゐてああいふことを書いてゐたのであらうが』と教へられたのは、參考になる話である。

芥川は宇野浩二のことばかりにではなく、彼自身齋藤茂吉(故人)の診察を受けてゐる。僕は齋藤茂吉に芥川の死後二三囘會つてはゐるが、芥川のことで話をしたことは一度もなかつた。

帝國ホテルの露臺で、「あの子を御覽なさい。似てゐませう?」と□夫人が芥川に言つた、それは、□夫人は芥川が書殘してゐるやうな復讐といふ意味でさういつたのではなく、むしろ、□夫人一人の幸福感でさう言つてた言葉であつたのかも知れない。

滑稽にも女人にはをりふし、交合のない、忌嫌ふ男の容貌にさへ似た者を産む場合さへある。

芥川は、「O君の新秋」――僕が相州鵠沼海岸伊二號に借りてゐた家の庭で、猫のやうにそうつとして松葉や松ぼくりを掻きあつめ、幾册かの大學ノートを燒いてゐたことがあつた。僕は顏をほてらしてゐる芥川を見てみぬふりで手傳はず、默つたままで燃してしまふのを待つてゐたが、芥川は燃してしまふとそのまま、自分の家に歸つてしまつた。(芥川は伊四號に住む。家主はひとつ人で、庭と庭との間には垣がないのだ。四七頁の圖面參照。)

刻明な讀者はここで、芥川が□夫人と關係した年齡が、芥川の口で言つてることと書いてゐるものとでは、そこに一年のちがひがあるのに氣づかれてゐるであらう。芥川の大正八年九月十日の日記には「□夫人と會ふ」と誌してあるといふ。大正八年ならば口で言つてゐたその年にあたり、二十九歳と書いてあるちがひは、芥川が二十九歳のときに□夫人が出産してゐる、そのあたりからの錯覺からきてゐるのであらう。芥川は僕に、「君にもう一年はやく會つてゐたならば、僕もかういふまちがひを起さずにすんだのだが、」といふことを言つてゐたものである。

Chapter 6 of 61
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