Chapter 1 of 13

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籠釣瓶

岡本綺堂

次郎左衛門が野州佐野の宿を出る朝は一面に白い霜が降りていた。彼に伴うものは彼自身のさびしい影と、忠実な下男の治六だけであった。彼はそのほかに千両の金と村正の刀とを持っていた。享保三年の冬は暖かい日が多かったので、不運な彼も江戸入りまでは都合のいい旅をつづけて来た。日本橋馬喰町の佐野屋が定宿で、主と家来はここに草鞋の紐を解いた。

「当分御逗留でござりますか」

宿の亭主に訊かれた時に、次郎左衛門は来春まで御厄介になるといって、亭主の顔に暗いかげをなげた。正直な亭主は彼のためにその長逗留を喜ばなかったのである。治六が下へ降りて来たのをつかまえて、亭主は不安らしくまた訊いた。

「旦那はまた長逗留かね。お家の方はどうなっているんだろう」

「いや、もう、お話にならねえ」と、治六は帳場の前にぐたりと坐って馬士張りの煙管をとり出した。彼の父も次郎左衛門の家の作男であったが、彼が四つの秋に両親ともほとんど同時に死んでしまったので、みなし児の彼は主人の家に引き取られて二十歳の今年まで養われて来た。侍でいえば譜代の家来で、殊に児飼いからの恩もあるので、彼はどうしても主人を見捨てることはできない因縁になっていた。

「実をいうと、佐野のお家はもう駄目だ。とうとう押っ潰れてしまったよ」と、治六は悲しそうな眼をしばたたいた。

亭主はしばらく黙って、旅疲ればかりではないらしい彼の痩せた顔を見つめていた。

「お家が潰れた」と、亭主は呆れたように言った。「いつ、どうして……。この前に見えた時にはちっともそんな話はなかったが……」

「なに、あのときにも内々覚悟はしていたのだが、この秋になって急にばたばたと傾いて来たので……。こうなっちゃあ人間の力で防ぎは付かねえ」

治六はきれいに諦めたらしく言っていた。去年からの主人の放蕩で、佐野で指折りの大家の身上もしだいに痩せて来た。もっとも、これは吉原通いばかりのためではない。ほかに有力な原因があった。侠客肌の次郎左衛門は若いときから博奕場へ入り込んで、旦那旦那と立てられているのを、先代の堅気な次郎左衛門はひどく苦に病んで、たびたび厳しい意見を加えたが、若い次郎左衛門の耳は横に付いているのか縦に付いているのか、ちっともその意見が響かないらしかった。

「百姓の忰めが長いものを指してのさばり歩く。あいつの末は見たくない」

口癖にこう言っていた父は、自分の生きているあいだに、形見分けの始末なども残らず決めておいた。足利の町へ縁付いている惣領娘にもいくらかの田地を分けてやった。檀那寺へも田地の寄進をした。そのほか五、六軒の分家へも皆それぞれの分配をした。

「これでいい。あとは潰すともどうとも勝手にしろ」

父は財産全部を忰の前に投げ出して、自分は思い切りよく隠居してしまった。それでも先代の息のかよっている間は、若い次郎左衛門はさすがに幾らか遠慮しているらしい様子も見えたが、その父が六十一の本卦がえりを済まさないで死んだのちは、もう誰に憚るところもない。二代目の次郎左衛門は長い脇指の柄をそらして、方々の賭場へ大手を振って入り込んだ。父が三回忌の法事を檀那寺で立派に営んだ時には、子分らしい者が大勢手伝いに来ていて、田舎かたぎの親類たちを驚かした。足利の姉は涙をこぼして帰った。それは次郎左衛門が二十二の春であった。

次郎左衛門には栃木の町に許婚の娘があったが、そんなわけで破談となった。妾を二、三人取り替えたことはあったが、一度も本妻を迎えたことはなかった。いかに大家でも旧家でも、今の次郎左衛門に対して相当の家から娘をくれる筈はなかった。次郎左衛門の方でも野暮がたい田舎娘などを貰う気はなかった。彼はいつまでも独身で気ままに暮らしていた。

彼は博奕場へ入り込むようになってから、ある浪人者に就いて一心不乱に剣術を習った。その動機はこうであった。あるとき博奕場で他の者と論争を始めると、相手は腕をまくってこう言った。

「いくら佐野のお大尽さまでも、こうなりゃあ腕づくだ。腕で来い」

幸いにささえる者があったので、その場は何事もなく納まったが、もし彼がいう通りに腕づくの勝負となったら、次郎左衛門はとても彼の敵でないことを自覚していた。次郎左衛門はその以来、人間がいざという場合にはおのれの力のほかに恃む物のないことを今更のように思い知って、まず剣術を習った。柔術を習った。取り分けて剣術に趣味をもって毎日精出して習ったために、後には立派な腕利きとなった。彼はその力を利用して方々を暴れ歩いた。少し気に食わないことがあると、誰にでも喧嘩を売った。子分でも妾でも容赦なしに踏んだり蹴たりした。妾は一年と居付かないでみんな逃げてしまった。

父が死んだのちの彼はもう唯の百姓ではなかった。彼はむしろ博奕打ちとして世間から認められていた。彼もそれを得意としていた。しかし彼は大親分と立てられるような徳望にかけていたので、相当の子分をもちながら彼の縄張り内は余りに拡げられなかった。子分にも片腕になって働くような者が一人もできなかった。彼はいつまでも孤立の頼りない地位に立っていた。彼は吝でないので、ずいぶん思い切って金を遣った。しかもその縄張りは余り広くないので、収支がとても償わない。彼の身代はますます削られてゆくばかりであった。その上に彼は吉原狂いを始めた。

去年の春、彼は治六とほかに二、三人の子分を連れて江戸見物に出た。この佐野屋に宿を取って、彼はその頃の旅人がみんなするように、花の吉原の夜桜を観に行った。江戸めずらしいこのひと群れは誰也行燈の灯かげをさまよって、浮かれ烏の塒をたずねた末に、仲の町の立花屋という引手茶屋から送られて、江戸町二丁目の大兵庫屋にあがった。次郎左衛門の相方は八橋という若い美しい遊女であった。八橋は彼を好ましい客とも思わなかったが、別に疎略にも扱わなかった。彼はひととおりに遊んで無事に帰った。

江戸のよし原のいわゆる花魁なるものが、野州在の女ばかりを見馴れていた彼の眼に、いかに美しく神々しく映ったかは言うまでもなかった。彼はまた次の夜すぐに二回を返した。その次の夜には三回目を付けた。三回目の朝には八橋が大門口まで送って来た。三月ももう末で、仲の町の散る花は女の駒下駄の下に雪を敷いていた。次郎左衛門もその雪を踏んで、一緒に歩いた。

彼はほかの子分どもをひとまず国へ帰してしまった。治六だけを宿に残して、それからほとんど一夜も欠かさずに廓へかよった。彼は見返り柳の雨にほととぎすを聞いたこともあった。待合いの辻の宵にほたるを買ったこともあった。彼は三月の末から七月の初めへかけて百日ほども八橋に逢い通した。金がつづかないので、国から幾度も取り寄せた。

「旦那さま、盆がまいりますぞ。いい加減に戻らっしゃい」と、治六も呆れてたびたび催促したので、次郎左衛門もさすがに気が付いたらしく、盂蘭盆まえに一旦帰ることになった。

帰って見ると、百日あまりの留守の間に子分どもの多くは散ってしまった。自分の縄張り内は大抵他人に踏み荒らされていた。いつもの次郎左衛門ならばとても堪忍する筈はなかった。彼は虎のように哮って、自分の縄張りを荒らした相手に食ってかかるに相違なかった。彼は得意の剣術を役に立てて、相手と命の遣り取りをしたかも知れなかった。しかし彼の性質はこの春以来まったく変っていた。

彼が性格のいちじるしく変化したことは、佐野屋で一緒に起き臥ししていた治六にもよく判っていた。虎はいつか猫に変って、彼のおそろしい爪も牙も見えなくなってしまった。彼は誰にも叱言一ついわないようになった。彼は薄気味の悪いほどにおとなしくなった。その理由は治六にも判らなかったが、ともかくも吉原がよいを始めてから、主人の性質がこう変ったということだけは容易に想像された。

「まあ、まあ、打っちゃって置け」と、次郎左衛門は子分どもを却ってなだめていた。

自分の縄張りを踏み荒らされても、指をくわえて黙っている次郎左衛門のなまぬるい態度が子分どもの気に入らなかった。かれらは歯がゆく思った。親分を意気地なしと卑しんだ。折角踏みとどまっていた少数の子分もみんな失望して散った。さらでも孤立の次郎左衛門は、いよいよほんとうの一本立ちになってしまった。彼の影はいよいよ寂しくなった。

「いっそ、この方が旦那のためになるかも知れねえ」と、治六はひそかに喜んだ。

縄張りは人に奪られ、子分はみんな散ってしまう。次郎左衛門はもう博奕打ちとしては世間に立てなくなったのである。それをしおに料簡を切り替えて、もとの堅気の百姓に立ちかえれば、本人も家も安泰である。そう祈っているのは治六ばかりでなく、分家の人たちもみんな同じ望みをもっていた。

次郎左衛門は果たして博奕打ちをやめた。喧嘩もやめた。今までは奉公人まかせにしておいた帳簿などを自分で丹念に検めて、ついぞ持ったことのない十露盤などをせせくるようにもなった。彼は純な百姓生活にかえって、土の匂いに親しんだ。

それを聞いて、足利の姉は再び涙を流してよろこんだ。彼女はここで弟に相当の嫁を持たせて、いよいよしっかりと彼と家とを結び付けようと試みたが、それは全く失敗に終った。余事は格別、縁談に就いて彼は誰の相手にもならなかった。

明くる年の春は来た。田面の氷もようやく融けて、彼岸の種蒔きも始まって、背戸の桃もそろそろ笑い出した頃になると、次郎左衛門はそわそわして落ち着かなくなった。彼は蔵に積んである米や麦を売って、あらん限りの金をふところに押し込んで、再び江戸見物にのぼった。ことしも治六が供をして出た。

吉原は去年にまして賑わっていた。年々栽え替えられる桜にも去年の春の懐かしい匂いが迷っていた。

次郎左衛門は今年も立花屋から送られて、大兵庫屋の客になった。彼は八橋に二百両の土産をやった。そうして、ことしも春から夏の終りにかけて百日ほども遊んで帰った。

「いくらお大尽さまでも、ちっと道楽が過ぎましょう」と、佐野屋の主人は二年越しの遊蕩に少しく顔をしかめていた。治六は喧嘩づらで急き立てて、ことしも盆前にひとまず国に帰ることになった。帰る時に次郎左衛門は宿の亭主に言った。

「ことしの内にまた来るかも知れません」

「お急ぎの御用があれば格別、今年はまあ在所に御辛抱なすって、また来春お出でなさいまし」と、亭主は言った。

次郎左衛門は唯にやにや笑いながら草鞋の紐を結んで出た。それが果たして今年の内に出直して来た。しかも佐野屋の家は潰れてしまったというのであった。亭主も夢のように思われてならなかった。

「なにしろ、もう七、八年前から身代も痛み切っていたところへ、去年も吉原で二千両ほども遣う。ことしもそれに輪をかけて三千両ほども撒き散らす。それじゃあとても堪らねえ」と、治六は投げ出すように言った。「去年江戸から帰ってすっかり堅気になって辛抱しなさるようだったから、まあいい塩梅だとわしらも喜んでいたんだが、なあに、やっぱり駄目なことさ。おまけに今年の秋は八朔と二百十日と二度つづいた大暴れで田も畑もめちゃめちゃ。こうなったら何も悪いことだらけで……。それにわしらが知っているのも知らねえのもあったが、田地のいい所は四、五年まえから大抵よそへ抵当にはいっている。それが四方から一度に取り立てに来たんだから、いやもう埒はねえ」

「それで大家もばたばたと没落したんだね」と、亭主は深い溜め息をついた。

「それでも足利のおあねえ様や分家の手合いが寄り集まって、何とか埒をあけることに苦労しているんだが、どうも右から左に纏まりそうもねえ。つまり、旦那は自分の身上をみんな投げ出して、親類の人たちにあとの始末をいいように頼んで、空身で生まれ故郷を立ち退くことになったのさ。空身といっても千両ほどの金をもっている。それを元手に江戸で何か商売でも始めるつもりだから、この後もまあよろしく願いますよ」

「千両……。古河に水絶えずだね」と、亭主は感心したように言った。「それだけの元手がありゃあ、江戸でどんな商売でもできますよ。千両はさておいて、百両あっても気強いものさ」

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