Chapter 1 of 1

Chapter 1

あるところに、気の弱い少年がありました。いい少年でありましたけれど、気が弱いばかりに、うそをついたのです。自分でも、うそをつくことは、よくない、卑怯なことだということは知っていました。

「もう、これから、私はうそはつかない。」と、うそをいった後では、いつも少年は心にそう思うのでした。

けれど、それは、悪いと思われないような場合もありました。たとえば、病人に向かって、

「このあいだよりも、ずっとお顔の色がよくおなりです……。」というと、実際は、そうでなくても、病人を喜ばすものである。こんなときのうそは、かならずしも悪いのでない。もし、そういうことができれば、

「僕は、昨夜、お化けを見たよ!」といって、なにか畑の中にあったものを見て、空想にふけったことをまことしやかに、友だちに話すと、つまらなそうな顔つきをしていた友だちらが、急に目を輝かして、近くそばへ集まってきて、

「君、ほんとうかい……。」というのであります。

「ああ、ほんとうだ。」と、少年は、熱心に、空想したことを、見たことのように話すのでした。

この少年のうそというのは、たいていこうした罪のない、ちょっとみんなをおもしろがらせようとする種類のものでした。

「自分のうそは、けっして、悪いうそではないのだが、それでも、いってはいけないものだろうか?」と、少年は、自分の心に向かって、たずねました。

「それは、いけないにきまっている。うそをつくのは、人間として、卑怯なことだ。」と、自分の心と思われない、なんだか年とった、太い声が答えます。

このとき、同時に、それを打ち消すように、自分より、ずっと勇敢な、いきいきした、やはり、それも自分の心と思われないような声が、

「そんなうそは、いったってさしつかえない。小説でも、文章でも、みんな、うそのことを真実らしく書いてあるのじゃないか……。」といいました。

少年は、この二つの異なった、自分の心のどちらに従ったがいいか迷ってしまいました。

「小説はうそをつくものだということはわかっているが、おまえのいうことがうそだとわかれば、だれもおまえを信じなくなるだろう。」と、年とった太い声がいいました。

こうして、少年は、つねに、自分の良心をとがめながら、気が弱いので、ついみんなを笑わせたり、喜ばせたりしたいために、うそをつく癖を改めることができなかったのでした。

そのうそは、無邪気なものであっても、それをほんとうにした人は、あとでうそということがわかると、ばかにされたと思った。そして、だんだんみんなは、この少年を信用しなくなったのでした。

「おまえは、いい子だけれど、ていさいのいいうそをつくので、悪い子になってしまった。」と、少年のお母さんは、いって、泣かれたことがあります。

そのたびに、少年は、自分の悪い癖を改めようと努力しました。気の弱い少年には、なかなかそれができなかった。つい知らずに、うそをいってしまうのでした。そうした後では、いつも深い後悔をするのでした。

なんでも長い間に、できてしまったことは容易のことで改まるものでないごとく、こうした癖もまた、その一つです。

ある夏の日のことでありました。少年は、いつものように、学校から帰って、外へ遊びに出ました。

友だちは、どこへいったものか、往来へ出てみたけれど、だれの姿も見えませんでした。これは、きっと河の方へ遊びにいったのだろう……。自分も、その方へいってみようと思いながら、少年は、往来を歩いて、だんだん村はずれのさびしい方へとやってきました。

道が三方に分かれるところがあります。ちょうどそこにあった石の上に腰かけて、一人の男が、ぼんやりとした顔つきをして休んでいました。その男は、旅の人のようです。

少年が、歩いていくと、旅人は、にっこりと笑いました。少年は、やさしい、どこかのおじさんだと思うと、急になつかしくなりました。

「おじさんのお家は、遠いとこなの?」と、少年は聞きました。こんなに、やさしいおじさんが、もし近くであったら、自分は寂しいときに遊びにいこうものをと思ったからです。

「遠いところとも。汽車に乗ったり、船に乗ったりしなければ、いかれないところなのだ……。」と、旅人は、少年の顔を見て、笑いながら答えました。

そういって、旅人は、思い出したように、両方のたもとをさぐり、また、ふところなどを探して困ったなというような顔つきをしたのです。

「おじさん、どうしたの?」と、少年は、旅人の前に立ちながら、たずねました。

「たばこをすおうと思ったが、マッチをどこかへなくしてしまった……。」と、旅人は、答えました。

「マッチがないの?」

「このへんに、たばこや、マッチを売る家はないかしらん……。」と、旅人はいいました。

「売っているところはないけれど、僕、マッチを持ってきてあげよう。」と、少年はいいました。

旅人は、少年の言葉を聞いて、喜ばしそうな顔つきをしましたが、考えながら、

「おじさんは、日の暮れないうちに、また遠くまで歩かなければならぬのだ。坊のお家はよほどあるだろうから、たばこをすうのを我慢していこう……。」といったのです。

少年は、目をかがやかしながら、

「すぐに持ってきてあげよう!」といって、あちらへ向かって駈け出しました。

旅人は、少年のしんせつを無にしてはいけないと思って、黙って、ほほえみながら、そのうしろ姿を見送っていたのです。

少年は、近くに、友だちの家があるから、そこへいって、マッチを借りてこようと思いました。いっしょうけんめいに駈けて、森を曲がると、友だちの家が畑の中に見えました。彼は、元気づいて、その家の入り口まで、息を切らしながらたどり着きました。彼は、友だちの名を呼んだ。けれど、返事がなかった。

「いないのだろうか?」と、少年はがっかりしました。

しかし、自分は、友だちのお母さんを知っているから、家へはいって頼もうと思いました。彼は、家へはいりました。けれど、家は、みんな留守であって、だれもいなかったのです。

「畑へいっているのだろうか?」

少年は、こうつぶやくと、しかたなしに、その家から出て、こんどは、知っているおばあさんの家へ駆けていったのです。自分の家へ帰るよりは、まだ、そのほうが早かったから。

「おばあさん、マッチを貸しておくれ。」と、少年は、その家へはいるなりいいました。

「マッチかい。さっき、私は、目がわるいので、土瓶の水がこぼれたのを知らずにいたら、マッチが、みんなぬれてしまって、火がつかない……。それは、困ったことをしたな。」と、おばあさんは、目をくしゃくしゃさせながら答えたのです。

少年は、がっかりしてしまいました。どうして、こんなまわり合わせになったかと思いました。これでは自分は、あの旅人に対して、うそをつくことになってしまう。旅人は、急いでいるのだ……と思うと、少年は、とうとう自分の家まで駆けていって、マッチを握って、すぐに旅人のいるところへ走っていきました。

旅人は、かなり長い間、少年のもどってくるのを待っていました。しかし、どうしたことか、なかなかもどってきませんでした。

「なんといっても、子供の足だからな。」と、旅人はいいました。そして、西の空をながめました。夏の日もいつしか、傾きかけていたのであります。

旅人は、だまっていくのは悪いと思って、

「おそくなるから出かけますよ。坊ちゃんのごしんせつをありがたく思います。旅人より。」と書いて、石の上にのこして、男は去りました。

少年は、ついおそくなって、旅人に、うそをいったと思われはしないかと、心配しながら走ってきてみますと、もうそこには、旅のおじさんはいませんでした。少年は、石の上にのこしてあった紙きれの文字を見ると、旅人は少年のいったことをけっしてうそには思わなかったばかりか、深く、心に感謝していたことがわかったのです。

このことは、少年の心を深く感動させました。もう自分は、けっして、うそをいっては、悪いと思いました。

そして、正直というものは、かならず相手を感じさせずにおかないものだと知ったのです。

それから少年は、正直な子供となりました。

――一九二七・六作――

●図書カード

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