Chapter 1 of 1

Chapter 1

遠い、あちらの町の中に、宝石店がありました。

ある日のこと、みすぼらしいふうをした娘がきて、

「これを、どうぞ買っていただきたいのですが。」

といって、小さな紙包みの中から、赤い魚の目のように、美しく光る石のはいった指輪を出してみせました。

ちょうど、主人の留守で、トム吉が手にとってながめますと、これほど、性のいいルビーは、めったに見たことがないと思いましたから、しばらく感心して、掌にのせてながめていました。

娘は、小僧さんが、なんというだろうかと、さも心配そうな顔つきをしていました。

(もし、これが、いい値に売れなかったら、病気の弟をどうしたらいいだろう。そればかりでない、明日から私たちは食べてゆくことができないのだ。)

と、いろいろ思っていたのです。

「この指輪を、どこでお求めでございましたか。」と、トム吉は、たずねました。

すると、娘は、正直にその指輪について話したのです。

「それは、死なれたお母さんが、お祖母さんからもらって、大事になさっていたのを、お亡くなりなされる時分、指からぬいて、これはいい指輪だから、よほどのときでなければ、はなしてはいけないとおっしゃって、私にくださったものです……。」

と、娘は、いまの不自由をしていることまで、物語りました。

トム吉は、だまって、娘さんのいうことをきいていましたが、

「じゃ、弟さんがご病気で、この大事になさっている指輪をお売りなさるというのですか。」

と、たずねました。

娘は、かなしそうに、目にいっぱい涙を浮かべながら、うなずきました。

「いや、まことにけっこうな石です。」

といって、トム吉は、真物の相場どおりに高値で買ったのでした。

娘は、いい値に指輪が売れたので、たいそうよろこんで、これもお母さんのおかげだと思って、はやく弟の治療をするために立ち去りました。ちょうど、それと入れちがいに、主人がもどってきました。

トム吉は、主人の顔を見ると、

「こんな性のいいルビーが出ました。」

といって、娘から買った指輪を見せたのであります。主人は、眼鏡をかけて見ていましたが、

「なるほど、珍しい、たいした代物だな。」と、微笑みながら、

「これを、いくらで買ったか。」と、たずねました。

いつも、こうした取引にかけては、万事、自分を見まねていて、ぬけめがないとは思いましたが、念のためにきいたのでした。

しかし、トム吉が、真物どおりの相場で、正直に買ったと知ると、たちまち、主人の顔は不機嫌に変わって、怒り出しました。

「いま、出ていったあの娘だろう。あんな素人をごまかせないということがあるもんか。みんな、おまえが、商売に不熱心だからだ。」

といって、しかりました。

いったい、宝石ばかりは、目のあかるい人でなければ、真物か、偽物か、容易に見分けのつくものでありません。また、性のいいわるいについても同じことです。だから、不正直の商人になると、そこをつけこんで、いい品でもわるいといって、安く買い、わるい品でもいいといって、高く売ったりして、もうけるものです。

トム吉は、こうした、曲がったことをする主人に使われていましたが、かわいそうな娘のようすを見たり、また、その話をきくと、真物を偽物といってごまかされなかったばかりでなく、指輪を売って、弟の病気を快くしようというやさしい情に感心せずにはいられなかったのでした。

しかし、この正直であったことが、禍いとなって、

「おまえみたいなばか者は、私が留守のときには、なんの役にもたつものでない。」

といって、ついにトム吉は、暇を出されてしまいました。

「私にも、やさしい姉さんがあるのだ。」

といって、トム吉は、この町を去って、ごく自分の小さい時分にいたことのある町を指して、旅立ちをしたのであります。

彼は、途中で、自分と同じ年ごろの男と道づれになりました。砂漠を越しての、長い、長い、旅でありますから、二人は、いつしか打ちとけて親しくなり、たがいの身の上などを話し合うようになりました。この若者も、これから、なにかしら仕事をして、成功しようという希望を抱いていました。

青い草もない、単調な砂漠の中を歩いてゆくときでも、二人の話はよく合って、べつに退屈を感ずるということがなかったのです。また、烈しい太陽の光に照らされて、なんでも黄色く見えるような日でも、二人が語り合っているときは、心の中に涼しい風が吹いたのであります。

ある日のことでした。二人が、並んで道を歩いていると、ふいに、若者は立ち止まって、つまさきで砂をかき、砂の中から、なにか小さい石ころのようなものを拾いあげました。

「こんなものを見つけたが、なんだろう?」

と、若者は、それを手の上にころがして、ながめていました。青みがかった、虫の形をした石です。その石に光るものが彫り込んであって、端のところに、糸の通りそうな小さな穴があいていました。

「きっと、ここを通った人が落としたものだろうが、なににしたものかな。」

と、若者は、頭をかしげていました。

「こうして、自分の目にはいったのだから、捨てずに、記念として持ってゆこうか。」

と、若者は、青い石を掌の中でころがしながら、朗らかに笑いました。

「どれ、どんなものを拾ったのですか。」

と、トム吉は、若者の拾った青い石を見せてもらいました。よく見ると、それは、また、すばらしいものです。トム吉は、見ているうちにほしくなりました。自分の持っているものなら、なんでもやって、代えてもらいたかったのです。それほどすばらしい品でした。しかし、トム吉は、驚きの色を顔に出すまいとしました。これは、宝石商の店に使われている時分の癖が出たのです。そして、心の中で、どうかしてごまかして、自分のものにすることはできないものかと思っていました。

「小さい穴があいているが、なににしたものでしょうね。」

と、若者は、そんなたいしたものとは知るはずがなく、こう問いました。

「さあ……。」といって、トム吉は、口ごもりました。そして、胸の中では、なぜこの石がはやくおれの目に見つからなかったろうというくやしさでいっぱいでした。

この青みがかった穴のあいている石は、太古の曲玉であって、光るのは、ダイヤモンドでありました。トム吉は、宝石商の店にいる間に、これと同じものを一度見たことがあります。そして、それが驚くほど高価に取り引きされたのを記憶していました。いま、この珍貴な曲玉が、砂漠の中で見つかったというのは、昔、隊商の群れが、ここを往来したからです。

「これが、おれのものだったら、どんなに大金持ちになれるだろう……。」と、トム吉は、残念がりました。

彼は、若者が、この石の値打ちを知らないのを幸いに、この砂漠の中を旅する間に、どうかして、自分のものとする工夫はないかと思ったので、わざと平気な顔つきをして、

「ボタンにしては、あまりお粗末なものですね。どうせ、土人の子供が頸にかけたものかもしれません。」

こういって、若者の手に返しました。快活な若者は、荷物のひもをほぐして糸を造り、曲玉に通して、道化半分に、自分の頸にかけて歩きました。そして、いつかその石のことなど忘れて、なにかほかの話に興がって、笑っていました。

ひとり、トム吉は、若者の頸にかかった曲玉が歩くたびに揺れるのを見たり、ダイヤモンドが長い間砂にうもれて、いくぶん曇っているけれど、みがけば、どんなにでも光るのだと思うと、そのほうに気をとられて、ぼんやりと、あいづちを打つだけで、いままでのように、話に実がはいりませんでした。

それよりか、ただ、トム吉は、

「どんなようにいったら、うまくだまして、あの曲玉を自分のものにすることができるだろう。」

と、考えていました。

トム吉は、渺々とした砂漠の上に、あらわれた白い雲を仰ぎながら、

「人間の運命なんて、わからないものだ。いま二人は、こうして同じように貧乏をしているが、これから、あちらの町へ着いて、あの曲玉が、宝石商に売られたら、そのときから、この男は、もう貧乏人でなく、大金持ちになれるのだ。そして、自分は、やはり、このままの姿であろう。」

と、思ったのでありました。

そのうちに、日数がたって、砂漠も通りすぎてしまいました。ある日の晩方、二人は、前方に、紫色の海を見たのであります。

「あ、海だ!」

「海だ!」

二人は、同時に叫びました。赤い夕日は、ちょうど波間に沈もうとしています。二人は、遠く歩いてきた道をかえり見ながら、岩の上に腰を下ろして休みました。押し寄せる波が、足もとに砕けて、引き返しては、また押し寄せているのです。

トム吉にも、また、若者自身にも、おそらくわからなかったことであったろうが、若者は頸にかけた糸をいつのまにかはずして、人さし指にはめて、くるくるとまわしていました。そして、トム吉が、はっと思ったしゅんかんに、糸は指からはなれて、曲玉は、波の中に落ちて呑み込まれてしまいました。

若者は、そんなことには気にもとめずに、口笛を鳴らして、このかぎりない美しい景色に見とれていましたが、トム吉は、失望と悔恨とくやしさとで、顔の色は、すっかり青ざめていました。

翌日、ここまで道づれになってきた二人も、いよいよ別れなければなりませんでした。

若者は、トム吉に向かって、

「もし、私が、成功をして大金持ちになったら、きっとあなたの町へたずねてゆきます。そして、あなたを、お助けいたします。どうか、お達者でいてください。」

といって、堅く、その手を握りました。そして、右と左に、別れてゆきました。

トム吉は、立ち止まって、だんだんに遠ざかってゆく若者のうしろ姿を見送っていましたが、まったくその姿が見えなくなると、そこに身を投げ出して、すすり泣きをはじめました。

「なんて、おれは、あのとき、あさましい考えを起こしたのだろう、もし、正直だったら、そして、自分が骨をおって、あの宝石を高く売ってやったら、あの男は、思いがけないもうけに喜んで、半分はお金を分けてくれたにちがいない。そうすれば、二人とも幸福で、いまごろは、楽しい旅をつづけていたであろう……。」

と、後悔しました。トム吉は、しばらくしてから、立ち上がりました。

「これからは、いつでも正直にして、自分だけもうけようなどとは考えまい。そうだ、おれには、やさしい姉さんがあった。町へ帰ったら、姉さんのためにつくそう……。」

と、トム吉は、志す町の方に向かって歩いていきました。

●図書カード

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