Chapter 1 of 1

Chapter 1

新しい道が、つくりかけられていました。おかをくずし、林をきりひらき、町の中を通って、その先は、はるかかなたの、すみわたる空の中へのびています。そこには、おおぜいの労働者が、はたらいていました。

トロッコが、ほそいレールの上を走りました。道ばたには、大きな土管がころがり、くだいた石や、小じゃりなどが、うずたかくつまれていました。

はたらくものの中には、年をとったものもいれば、まだわかいものもいました。かれらはシャベルでほった土をトロッコへなげこんだり、つるはしをかたい地面にうちこんで、溝をつくったりしました。こうして、しごとをする間は、たがいに口をきかなかったけれど、自分をなぐさめるために、無心で歌をうたうものもありました。

やがて正午になると、近くの工場から、汽笛がきこえます。すると一同は手を休めて、昼飯を食べる用意をしました。それからの一時間は、はたらく人々にとって、なによりたのしかったのでした。

二人の少年は、石へこしかけて、秋の近づいた空をながめていました。

「そんなら、Kくんは小さいときに、家を出たんだね。」と、Nがいいました。

「そう、母親がなくなると、父親はちっともぼくたちをかまってくれなかったから、どこかへいけば、母親のかわりに、やさしくしてくれる人があろうかと思ってね。」と、Kが答えました。Nはうなずきながら、

「わたしは、ちょうどきみとははんたいで、父親の顔をおぼえていない。まったく母親の手一つで、大きくなったのさ。その母の手だすけもできぬうちに、母は死んでしまった。」

「考えると、二人とも不幸だったんだね。」

「世の中には、両親がそろって、こんな悲しみを知らないものもあるんだが。」と、Nはたばこに火をつけました。

「それでもまだきみには、やさしいおかあさんがあったからいい。さびしいときは、いつでもおもかげを思いだして、自分をなぐさめることもできるから。」といって、Kは自分の子どものころのことを話したのでした。

いつも、ぼくはさびしい子どもだった。ある日、桑畑で、いくたりかの女が桑の葉をつんでいるのを見た。なんでもその葉はどこかの養蚕地へおくられるというのだった。むすめもいれば、おばさんもいた。その中に、白い手ぬぐいをかぶった、やさしそうなおばさんがあった。ぼくは、こんなようなおかあさんがおればいいになあと、なんとなく、したわしい気がして、そのそばへいって、桑をつむてつだいをした。おばさんは、ぼくの頭をなでてくれた。

このおばさんは、いい声で歌をうたった。その声をきくと、ぼくは悲しくなってしぜんに目からなみだがながれた。そして、おばさんが木から木へかわるたびに、ぼくはかごのかたすみを持ってやった。みんなの前で、はずかしいのをがまんして、すこしでもおばさんの手だすけになろうと思った。

そのあくる日、桑畑へいくと、もうここの仕事はおわって、みんなが、昼すぎは帰るのだという。ぼくは勇気を出して、

「おばさんのおうちは、どこなの。」ときいた。

「ぼっちゃん、遠いのですよ。あっちの港町です。もし、あっちへいらしたら、およりくださいね。わたしのうちは、停車場のすぐ前ですから。」と、おばさんが教えてくれた。

それから後も、ぼくは桑畑へいったがまったく人かげがなかった。北の方へたれさがる水色の空をながめていると、どこからか、ほそい歌声がきこえるような気がして、ただぼんやりたたずんだ。

ついに、ぼくは、ある日のこと、ほこりをあびながら、白くかわいた街道を歩いていった。港町へいけば、おばさんにあえると思ったのだ。いつしか夕日は松林の中にしずみかけた。もう足はつかれて、これから先へいくことも、またもどることもできなくなって、道ばたでないていた。そのとき、そこを通りかけた自転車が、ぼくを見るとふいに止まって、

「おい、Kぼうじゃないか。」と、声をかけた。

それは、近所のおじさんだった。

「どうして、こんなところへきた。おとうさんといっしょか。」と、おじさんはきいた。

ぼくが頭をふると、おじさんは、ふしぎそうに、ぼくを見るので、

「海を見たい。」と、ぼくはいった。

「あはは、ばかめが。海までまだたいへんだ。さあ、早くこれにのれ。いっしょに家までつれていってやるから。」と、おじさんは後ろへぼくをのせると、走りだした。

「Nくん、こんなようなことも、あったんだよ。」と、Kがいいました。

だまってKの話をきいていたNは、たばこの火がきえたのも知らなかった。

「だれにも、にたような話はあるのかな。それで、苦しい世の中と思っても、なお生きようとするのは、いつか、いい人間にめぐりあえるような気がして、美しいゆめがもてるからですね。」

Nは、こう答えて、上着のかくしから、なにかとりだしました。それは、手ぬぐいにつつんだ鏡のかけらでした。

「きみ、それは、どうしたの。」と、Kがきいた。

「あすこで、ひろったのです。Kさん、この町はわたしに思い出がふかいんです。」と、こんどはNが、そのわけをKに話してきかせたのです。

わたしは、おふくろがなくなった後、どうすることもできず、おなじ長屋にすんでいた、あんまさんのところで、せわになりました。わたしの仕事というのは毎日親方の手を引いて、あの町かどのところへくることでした。そして、親方が、尺八をふく間ついていて、通りかかる人が、お金をくれるのをもらったのでした。戦争前は、あすこに大きくてりっぱなカフェーがありました。

夏の日の午後のこと、きゅうに空がくらくなって雷がなり、雨がふりだしました。

「夕立ちだから、じき、はれるだろう。」と、親方はいって、二人はカフェーの、のき下へはいり、たたずんでいました。すると、ぴかりぴかり、いなずまのするたび黒い森や、でこぼこの屋根が、うきあがって見えるかと思うと、地球をひきさくようなすさまじい、雷の音がして、わたしはふるえながら、親方の手をひっぱって、もっとドアに近く身をよせようとしました。そうすればたきのようにふる雨が、かろうじてよけられるからです。

このとき、とつぜんドアがあきました。見ると、うすべに色の長いたもとの着物をきた女給さんが、ぱっちりした目をこちらへむけ、二人を見ながら、

「そこではぬれますから、早く中へおはいんなさい。」と、いってくれました。

頭から顔までぬらしながら、親方は、ただもじもじしていると、そのねえさんは、わたしの手をとらんばかりにすすめたので、二人は、つい、すいこまれるごとく、ドアの中にはいりました。そして、わたしは生まれてはじめて、こんなに美しく、かざりたてられた、たてものの中を見たのです。ふだんは、風のふきすさぶたてものの外に立って、五色にかがやくネオンをながめながら、中からもれる、たのしそうな音楽や心のうきたつような歌にききほれるだけで、煉瓦のかべをへだてて、そこには、どんな世界があるのか、想像することもできなかったのでした。

「すこし、おかけなさいな。」と、ねえさんがいってくれたので、二人は、かたすみのほうにあった、テーブルのわきへ、こしをかけました。

まだ、たくさんの美しいおねえさんたちが、立ったりかけたりしていました。わたしは、どこから、こんなうつくしい人ばかりあつまってきたのかと、ふしぎに思いました。わたしが、目をみはっていると、また、さっきのおねえさんが、きて、

「わたしにも、ちょうど、あんたぐらいの弟があるのよ。さあ、ひとつですけれど、おあがんなさい。」と、いって、紙にのせて、おかしをくれました。親方は尺八をにぎりうなだれていたが、それに気づくと、わたしにかわって、礼をいってくれました。

しばらくすると、雷も雨も、わすれたようにやみました。二人が、外へ出るころは、だんだん、客がたてこんで、あちらでも、こちらでも、笑い声がきこえ、それとまじって、グラスのふれあう音がしました。

あのときから、何年たったであろうか、戦時中、空襲で、このあたりは焼け野原になってしまいました。きょう、カフェーのあとで、この鏡のかけらを見つけて、ひろいあげると、おりから空にあらわれた赤い雲がうつって、わたしは、おねえさんのすがたを思いだしたので、記念にしようとポケットに入れたが、考えれば、やはりつまらんことですね。

と、Nはいって、そのかけらを道ばたになげすてました。

Kはこの話をきくと、なんとなくNを、他人のような気がしなくなった。そして、早くから親をなくした子というものは、すこしかわいがってくれるものがあれば、こんなにも恋しく思うものかと、つくづく感じたのでした。

「そうさ。むかしのゆめなんか、なんにもならんよ。ふきとばして、希望をいだいて強く生きぬこうぜ。ぼくたちは、もうはたらける年になったんだもの、だれからも、ばかにされない。これから、おたがいに力になろうよ。」と、NをはげますようにKはいいました。

「ああ、ゆかいだ。きみと、どこへでも、いっしょにいきましょう。」と、NがKの手をにぎると、Kもまたかたくにぎりかえしました。

かれこれ、休み時間が、きれたとみえます。あちらから、トロッコの走ってくる音がしました。すると、一同が立ちあがった。二人も、また、元気にシャベルをもちました。

●図書カード

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