Chapter 1 of 6

家の前に柿の木があって、光沢のない白い花が咲いた。裏に一本の柘榴の木があって、不安な紅い花を点した。その頃から母が病気であった。

村には熱病で頭髪の脱けた女の人が歩いている。僧侶の黒い衣を被たような沈鬱な木立がある。墓石を造っている石屋があれば、今年八十歳の高齢だからというので、他に頼まれて盲目縞の財布を朝から晩まで縫っている頭巾を被った老婆が住んでいる。

彼は、多少学問をしたので迷信などに取り付かれなかった。腐れた古沼には頭も尾もない黒い虫が化殖るように迷信の苔がこの村の木々に蒸しても、年の若い彼は頓着しなかった。

然るに或夜、夢を見て今迄になかった重い暗愁を感じて不快な気持から眼醒めた。

曾て来たことのない沙地の原へ出た。朧ろに月は空に霞んでうねうねとした丘が幾つも幾つもある。

全く道に迷うたのである。月の光りに地平線を望むと、行手に雲が滞っていて動かなかった。尚おも歩いて行った。月の光りは一様に灰色な沙原の上を照らしていて、凹凸さえ分らない。幾たびか踏み損ねて窪地に転げた。けれど勇気を出して起きては歩いて行った。ただ行く手には、同じいような形の円い沙の丘が連っていた。足許を見ると其処、此処に一個宛夢のように色の褪めた花が咲いている。白でもない。青でもない。薄黄色な倦み疲れた感を催させるような花であった。その黄色な花の咲いている草の葉は沙地に裏を着けていた。葉の色さえ鮮かでない。

単に葉は漠然として薄墨色に見えた。その花は、何の花であるか名を知らないが、海の辺に咲いている花の種類であると思った。

この沙原の先は海ではあるまいか。

暫らく、道の上に立って、遠くに響く波音を聞き取ろうとした……何の音も聞えて来ない。人も来なければ、犬の啼声もしないのである。

けれど彼は、足に委せて行ける処まで行こうと思った。いつしか細い道は、何処にか消えて、自分は道のない沙原を歩いている。

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