Chapter 1 of 1

Chapter 1

ある日のこと、学校で先生が、生徒たちに向かって、

「あなたたちはどんなときに、いちばんお父さんや、お母さんをありがたいと思いましたか、そう感じたときのことをお話しください。」と、おっしゃいました。

みんなは、目をかがやかして、手をあげました。最初にさされたのは、竹内でありました。

「私が、病気でねていましたとき、お父さんは毎晩めしあがるお好きな酒もお飲みになりませんでした。そして、お母さんは、ご飯もあまりめしあがらず、夜もねむらずにまくらもとにすわって、氷まくらの氷がなくなれば、とりかえたりしてくださいました。僕は、コツ、コツと氷の砕ける音をきいて、しみじみとありがたいと感じました。」と、答えました。

先生は、これをきくと、おうなずきになりました。ほかの生徒たちも、みんなだまって、おとなしくきいていました。そのつぎに、さされたのは、佐藤でありました。佐藤が、立ちあがると、みんなは、どんなことをいうだろうかと、彼の顔を見守っていました。

「僕も、やはり竹内くんと同じのであります。いおうと思ったことを、竹内くんがみんな話してくれました。」

佐藤の答えは、ただそれだけでありました。先生は、こんど、小田をおさしになりました。彼は、組じゅうでの乱暴者でした。そればかりでなく、家が貧乏とみえて、いつも破れた服を着て、破れたくつをはいてきました。くつしたなどは、めったにはいたことがないのです。みんなの視線は、たちまち、小田の顔の上に集まったのはいうまでもありません。

彼は、立ち上がると、

「私のお母さんは、お金のないときは、自分のだいじなものも売って、僕のためにいろいろなものを買ってくださいます。そんなとき、私はじつにすまないと感じます。」といいました。すると、先生は、

「いろいろなものとは、どんなものですか。」と、おききになりました。小田は、その答えに困ったらしく、しばらく、うつ向いてだまっていましたが、やっと顔を上げると、

「僕の月謝や……また、どこかへ帽子をなくしたときには、お母さんは、自分の着物を売って、買ってくださいました。」と、答えました。

この言葉は、みんなに少なからず動揺をあたえました。なかには、また、くすくす笑うものさえありました。しかし、先生が、笑うものをおしかりなさったので、すぐに静かになったけれど、小田は、そのとき、みんなから、なんだか侮辱されたような気がして、顔が赤くなりました。

そのとき、ひとり隣に並んで腰をかけている北川だけは、笑いもしなければ、じっとしてまゆひとつ動かさず、まじめにきいていました。小田は、心の中で、彼の態度をありがたく思ったのです。

小田のお父さんは、もう死んでしまって、ありませんでした。ひとりお母さんが、手内職をして、母子は、その日、その日、貧しい生活をつづけていました。

彼は、学校から帰ると、今日のお話をお母さんにしたのでした。その日あったことは、なんでも帰ってからお母さんに話すのが常でありました。これをきくと、お母さんは、

「あんまり、おまえが家のことを正直にいったものだから、みんなに笑われたのですよ。」と、目に涙をためて、おっしゃいました。

「お母さんが、僕のために、自分の大事になさっているものもなくして、買ってくださるのを、僕がありがたく思っているといって、いけないのですか。」

「いえ、正直にいって、すこしも悪いことはないんですけど……。」

こういって、お母さんは、また目をおふきになりました。

「だが、お母さん、笑ったやつもあったけど、笑わないものだってありましたよ。笑ったやつは、こんどなぐってやるのだ。」と、小田が、いいました。

「そんなことをしてはいけません。おまえが、乱暴だから、みんなが、こんなときに笑うのです。どちらが正しいかわかるときがありますから、けっして、そんな乱暴をしてはいけません。」と、お母さんは、おいましめになりました。

小田は、考えていましたが、

「ねえ、お母さん、いつか、家へ遊びにきたことのある、北川くんなどは、だまってきいていましたよ。」といいました。

「よくもののわかる、おりこうなお子さんですね。」と、お母さんは、いって、また、涙をおふきになりました。

それから、二、三日してからです。小田は、学校へゆく途中で、あちらからきた、北川くんに出遇しました。彼は、今年から学校に上がったという、小さな弟といっしょでありました。

「おはよう。」

「いっしょにいこうよ。」

たがいに、声をかけ合って、三人が、並んで歩きました。そして、学校の門をはいったときであります。

「ひとりで、パンが買える?」と、北川くんが、立ち止まって、やさしく弟の顔をのぞくようにして、きいていました。

小さな弟は、だまって、うなずきました。

「もし、お金を落としたら、兄さんのところへいってくるのだよ。」と、北川くんは、いっていました。

兄弟を持たない小田は、この仲のいい二人のようすを見て、心からうらやまずにはいられなかったのです。

「僕たち、お母さんが、かぜをひいてねているので、今日は、弁当を持ってこなかったんだ。」と、北川くんが、小田に向かって、話しました。

そのとき、小田は、また自分のお母さんのことを思わずにはいられませんでした。

「いまごろ、お母さんは、いっしょうけんめいで、お仕事をなさっているだろう……。」

そう思うと、お母さんの、お仕事をなさっている姿が、目にありありと浮かんできて、しぜんと熱い涙がわいてくるのでした。

その日、ちょうど、お昼の前の休み時間でありました。北川の弟さんが、しきりに兄さんをさがしているのを見つけましたから、小田は、大きな声で、

「北川くん!」と、呼んで、知らせたのです。

北川は、すぐに走ってきました。そして、弟のそばへいって、なにかいうのをきいていましたが、

「だから、気をつけるようにいったじゃないか。」という声がきこえたかと思うと、小さな弟は、しくしくと泣きだしました。

小田は、弟が、パンのお金を落としたのだなと悟りました。しかし、いってたずねるまもなく、

「泣かんだって、いいのだよ。」といって、北川が、自分の持っているお金をやって、弟の頭をなでると、弟は、泣くのをやめて、急に、元気づいて、あちらへ駈け出してゆきました。

「なんて、朗らかな兄弟だろう。」と、小田は、この有り様を見て、感心しました。

そのうちに、話す時間もなく、ベルが鳴ってお教室に入り、授業がはじまりました。

いよいよお昼になって、みんながお弁当を食べるときとなったのです。ひとり、北川だけは机に向かって、宿題をしていました。

小田には、なにもかもわかっていました、自分が、パンを食べずに、弟にパンを買ってやったことも。この心があればこそ、このあいだも、自分の話をまじめにきいていてくれたのだと、小田は、思いました。

「これが、ほんとうの同情というものだ。」

そう小田は悟ると、自分の行為までが顧みられて、これから、自分も、ほんとうの正しい、強い人間になろうと決心したのでした。

●図書カード

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