(七)狡猾船頭
思わず理屈を捏ねたが、この時は理屈どころではない。疲れて足を引摺り引摺り、だんだん山道に差し掛かる。道は少しも険阻ではないが、ただ連日の大雨のため諸所山崩れがあって、時々頭上の断崖からは、土石がバラバラと一行の前後に落ちてくるには閉口閉口。一貫目位の巌石がガンと一つ頭へ衝ろうものなら、忽ち眼下の谷底へ跳ね飛ばされ、微塵となって成仏する事受合だ。ああ南無阿彌陀仏南無阿彌陀仏。現に久慈川のとある渡船場付近では、見上ぐる前方の絶壁の上から、巨巌大石の夥しく河岸に墜落しているのを見る。この絶壁下には先頃まで鉱山事務所があったのだが、轟然たる山崩れと共にその事務所はメチャメチャになり、一人の技手は逃げ損って蛙のごとくに押潰され、その片腕とか片脚とかは、かの巨巌の下に今なお取出す事が出来ず残っているという事だ。これには流石の髯将軍も首を縮めて、お得意の奇声を放つこと飢えたる豚のごとし。
この渡船場で滑稽な事があった。河水はさまで氾濫していなかったが、渡船に乗って向うの岸に着き、
「船頭、いくら遣ろう」と訊けば、
「一人前四銭ずつだ」と、黒鬼のような船頭は澄ました顔をしている。
「そうか、高い渡船銭だな」といいながら、八人前三十二銭渡して岸に上ると、岸上の立札には明かに一人前一銭ずつと書いてある。
「此奴、狡猾い奴だ」と、兵站係の衣水子、眼玉を剥き出し、
「八人前八銭ではないか、余分を返せ」と談判に及べば、船頭は一旦握った金を容易に放して堪るものかと、
「この大水だで――」と頑強に抵抗したが、「馬鹿をいうな。二尺や三尺増水したとて、四倍も増銭を取る奴があるものか。癖になるから返せ返せ」と、無理無理に二十銭だけ取返せば、船頭は口惜しそうに、
「ケチなお客だなァ」と、一行を見送りつついつまでも口を尖らしている。こっちがケチなのではない。山男のくせに欲張るからとんだ罵倒を受けたのだ。