一 異人の齎した文学
(一)河内里(土中下。)右、由レ川為レ名。此里之田不レ敷レ草下二苗子一。所二以然一者、住吉大神上坐之時、食二於此村一。爾、従神等、人苅置草解散為レ坐。爾レ時草主大患訴二於大神一、判二云汝田苗者、必雖レ不レ敷レ草、如レ敷レ草生一。故、其村田于レ今不レ敷レ草作二苗代一。(播磨風土記)(二)復有二兄磯城軍一。布二満於磐余邑一。(磯。此云レ志。)賊虜所レ拠、皆是要害之地。故道路絶塞無レ処レ可レ通。天皇悪之。是夜自祈而寝。夢有二天神訓一之曰、宜取二天香山社中土一(香山。此云二个遇夜摩一。)以造二天ノ平八十枚一(平。此云二毘羅个一。)并造一厳一、而敬‐二祭天神地祇一。(厳。此云二怡途背一。)亦為二厳咒詛一。如レ此則虜自平伏矣。(厳咒詛。此云二怡途能伽辞離一。)天皇祇‐二承夢訓一、依以将レ行。時弟猾又奏曰、倭国磯城邑有二磯城八十梟帥一。又、高尾張邑(或本云、葛城邑。)有二赤銅八十梟帥一。此類皆欲下与二天皇一距戦上。臣窃為二天皇一憂之。宜今当取二天ノ香山ノ埴一、以造二天平一、而祭二天社国社之神一、然後撃レ虜則易レ除也。天皇既以二夢辞一為二吉兆一。及レ聞二弟猾之言一。益喜二於懐一。乃使下椎根津彦著二弊衣服及蓑笠一、為中老父貌上。又使三弟猾被レ箕為二老嫗貌一、而勅之曰、宜汝二人到二天香山一、潜取二其巓土一。而可二来旋一矣。基業成否、当以レ汝為レ占。努力慎焉。是時、虜兵満レ路難二以往還一。時椎根津彦乃祈之曰、我皇当三能定二此国一者、行路自通。如不レ能者、賊必防禦。言訖径去。時群虜見二二人一。大咲之曰。大醜乎(大醜。此云二鞅奈瀰勾一。)老父老嫗。則相与闢レ道使レ行。二人得レ至二其山一、取レ土来帰、於レ是天皇甚悦。乃以二此埴一、造二作八十平・天手抉八十枚(手抉。此云二多衢餌離一。)厳一、而陟二于丹生川上一。用祭二天神地祇一。則於二彼菟田川之朝原一、譬如二水沫一而有レ所二咒著一也。(神武紀)(三)故大国主神、坐二出雲之御大之御前一時、自二波穂一、乗二天之羅摩船一而。内二剥鵝皮一剥為二衣服一、有二帰来神一。爾雖レ問二其名一、不レ荅。且雖レ問二所レ従之諸神一、皆白レ不レ知。爾多邇具久白言、(自レ多下四字以レ音)此者久延毘古必知之。即召二久延毘古一問時、荅二白、此者神産巣日神之御子、少名毘古那神一。(自レ毘下三字以レ音)故爾白三上於二神産巣日御祖命一者。荅下告此者実我子也。於二子之中一。自二我手俣一久岐斯子也。(自レ久下三字以レ音)故与二汝葦原色許男命一、為二兄弟一而、作中堅其国上。故自レ爾、大穴牟遅与二少名毘古那一二柱神、相並、作二堅此国一。然後者、其少名毘古那神者、度レ于二常世国一也。故顕二白其少名毘古那神一、所謂久延毘古者、於二今者一山田之曾富騰者也。此神者、足雖二不行一、尽二知天下之事一神也。於是大国主神愁而、告下吾独何能得二作此国一。孰神与吾能相中作此国上耶。是時有二光レ海、依来之神一。其神言、能二治我前一者、吾能共与相作成。若不レ然者、国難レ成。爾大国主神曰、然者、治奉之状奈何。荅三言吾者伊二都岐奉于倭之青垣東山上一。此者坐二御諸山上一神也。(神代記)
数限りなくある類型のほんの一例として、右の三種の文献を引いて、我々の国の文学の歴史の話の出発点を作つて見ようと思ふ。我々の住む国土に対して、他界が考へられ、其処の生活様式が、すべて、此土の事情と正反対の形なるものと考へてゐた。其最著しいのは、我々の祖先が、起原をつくつたと考へてゐる文学そのものが、その祖先自身の時代には、それが悉く空想の彼岸の所産であると、考へられてゐたことであつた。この彼此両岸国土の消息を通じることを役とする者が考へられ、其齎す詞章が、後々、文学となるべき初めのことばなのであつた。週期的に、この国を訪づれることによつて、この世の春を廻らし、更に天地の元に還す異人、又は其来ること珍なるが故に、まれびとと言はれたものである。異人の齎す詞章が宣せられると共に、その詞章の威力――それに含まれてゐる発言者の霊力の信仰が変形したところの――に依つて、かうした威力を持つものと信じられた為に、長く保持せられ、次第に分化して、結局文学意識を生じるに至つたのだ。
扨、その異人の住むとせられた彼岸の国は、我々の民族の古語では、すべてとこよ――常世又は常夜――と称せられてゐた。その常世なる他界は、完全に此土の生活を了へた人々の魂が集中――所謂つまる――して生きてゐる、と信じられてゐた。さうして、此常世と幾分違つた方向に岐れて行つたと思はれる夜見の国に、黄泉大神を考へた如く、さうした魂のうちに、最威力あるものをも考へてゐた様である。而も、対照的に思惟し、発想する癖からして、二つの対立したものと考へ、それが祖先である為に、考妣一対の霊と思はれる様にもなつた。更に、彼土にある幾多の魂が、その威霊の指導に従つて、此国へ群行し来たるものとも考へてゐた。だから、異人は他界の威霊であると考へたものが、唯生活方法が違ふ外に、我々と共通の精神を持つた神聖な生き物としての、ひととも考へられた。又ある地方、或は或時代には、多く神と信じられ、常世神とも称せられる様になつた。この様に、異人に対する考へは、極めて自由で、邑落に依つて一致しない部分の多かつたことが思はれる。だが、さうした整頓せられない種々な形を恣に考へることは、却つて正確な知識を捉へることの出来ないことだから、姑く、記・紀・風土記の援用文に見えた代表的な姿に括めて説かねばならぬ。
この三種の様式のまれびとの信仰は、多くの古典のみか、後代久しく、中には今に至るまで、民間伝承に其姿をとどめてゐる。古事記の例を見ると、霊物と威霊と二通りの形に、一つの影向を伝へわけた跡を見せてゐる。前段後段に、原因関係を示す形をとつてゐるが、実は一つ事の語り分けに過ぎない。而も日本紀では、これを単なる海原を照し来る光り物、即、外来魂として取り扱つてゐる。此点に於いては、極めて都合よく、まれびと観念の種々な過程を説明したものと言へる。第二の日本紀の例で見ると、異人の旅は、如何なる邑落をも、障碍なしに通過することの出来た事を示してゐる。更に、男性の祖霊の形が椎根津彦であり、弟猾は祖霊の女性なるもの――兄猾との対照から男性と見て来てゐるのは誤りで、当然この伝への出来る訣があるのだ――として、一対のまれびとの形を見せてゐる。そして、考妣二体の神が呪詛にあづかる点をも具へてゐる。播磨風土記を見ると、この例は極めて多いが、其中の一つを引いたので、最適切に、彼岸の国土から農村行事の時を定めて、一体の主神及び其に伴ふ群行神のあつたことを、更に伝説化してゐるのだ。而も、春の訪れから分化した、苗代時の来臨を示してゐる処に注意せねばならぬ。
かうした常世・まれびと及び此土の生活の関聯した例は、数へきれない程だが、その合理化を経た結果、多くは、最重大なまれびとの職分に関する条件を言ひ落してゐるものが多い。異人の齎した詞章が、この民族の文学的発足点をつくつたことを、此から述べようと思ふ。即、常世ものゝ随一たる呪詞唱文に就いての物語である。
第一に明らかにして置かなければならないのは、異人は、果して異人であるか、と云ふ事である。言ふまでもなく、さうした信仰を持つ邑落生活の間に伝統せられた一種の儀礼執行者に過ぎない。この行動伝承を失つたものが、歴史化して行く一方、行動ばかりを伝へたものは、演劇・相撲・射礼などを分出して行つた。その行動伝承に関与するものは、即、此土の人間で或期間の神秘生活を積んだ人々であつた。即、主神となる者は、邑落の主長であることもあり、又宗教上の宿老であつた事もある。更に其常世神に伴はれる多くの群行神は、此聖役を勤めることに依つて、成年戒を経る訣であつた。さうして、其行事の中心は、呪詞を伝承し記憶を新にさせることにあつた。而も其詞章は、天地の元、国の元から伝はつてゐる、と信ぜられた一方、次第に無意識の変化改竄を加へて、幾多の形を分化した。又季節毎に異人の来訪を欲する心が、週期を頻繁にした。その都度、扮装した神及び伴神が現れて、土地の精霊に降服起請を強ひるのが詞の内容であつた。此が即ことゞひで、後世の所謂いひかけ・唱和及び行動伝承としての歌垣のはじめに当る。このことゞひに応へない形式からしゞまの遊び――後の見芸――が起つて来、更に、口を開いて応へる形――もどき芸――が出来て来る。この両様の呪詞が、一つは所謂祝詞と称せられるものゝ原型であり、応へる側のものが寿詞と称する、種族・邑落の威霊の征服者に奉ると云つた意味の寿詞――賀詞――となつて行つたのである。
この呪詞が、常世の国から将来せられ、此土のものとなつたと考へ変へられて行く様になつた。が、その威力の源は、常世にあるといふ記憶を失はなかつた証拠はある。のろふ(呪)が、もと宣言であり、同時に精霊に対する呪詛であつたのが、呪詛の一面に偏して行つたのと同じ動きを見せてゐる語に、とこふ(詛)なる語がある。その語根とこは、尠くともとこよの語根と共通するものであり、又さう考へられてゐたことも事実だ。つまり、宣言・呪詛両方面に、常世の威霊が活動したことを示すのだ。更に、祝詞を創始した神として伝はる思兼ノ神は、枕詞系統の讃美詞を添へた形で、八意思兼ノ神、又常世ノ思兼ノ神と称へられてゐた。八意は呪詞の数の限定せられてゐた時代に、一つのものを以て幾つかに融通した為、一詞章であつて数種の義を持ち具へてゐる事を欲した為の名である。さうした事の行はれるのは、一に常世の威霊によるものとせられた。で、この神の冠詞として、常世なる語をつけたのである。かういふ宣詞とも名づくべきものゝ古い形が、今日では痕跡も残存してゐない。非常な分化を遂げた後のもので、而も其用途さへ著しく変化した祝詞から演繹して来る外に、方法はない。だが其も、宣詞及び呪詞の幾種類かを比較して見ることによつて、或点までは確めることが出来るのである。