六
それ以來、私は老僧に逢はなかつた。もう一度大阪の宿へ尋ねて行くかも知れないといふことであつたから、二三日心待ちにしたまゝで、東京へ歸つて了つた。
この最後の對面の時、老僧は蟲が知らしたとでもいふのか、「××さん、わしが死んでも時々は思ひ出して呉れるやろな。思ひ出す種にこれを一つ進ぜよう。」と言つて、朱※の急須を一つ呉れた。地肌が澁紙のやうに皺を見せた燒き方なので、老僧は澁紙※ぢやなぞと言つてゐた。
歸りに京都で宇治の新茶を買つて、早速其の澁紙※の急須で淹れて飮んだことを、老僧に知らしてやると、「澁紙はうい奴にて候、仕合はせな奴にて候。貧衲はまだ新茶に縁なきに、彼れは早や其の香味を滿喫し居る由、舊主人も爾の幸運を喜んで居るとお傳へ下され度候。」といふ葉書が來た。老僧はまだ朱※、紫※、烏※といろ/\の急須を有つてゐて、それに取つかへ引つかへ粗末な茶を淹れて愛翫してゐたやうであつたが、子に縁が薄いので、急須をば子のやうに思つてゐたのかも知れない。
今年の一月に年始状を出して置いたが、先方からは何んとも言つて來なかつた。昨年の正月だつたか、骸骨の畫を書いた上へ、「ごし/\とおろす大根の身が減りて殘りすくなくなりにけるかな」とした老僧の葉書が、多くの「謹賀新正」の中に混つてゐたのを思ひ出して、私はいよ/\大根が摺り減らされたかと、哀はれに思つてゐたが、一月も末になつてから、子供の字で「賀正」としたのが老僧の名で來た。さうして其の次ぎの日に、苦惱の痕のまざ/\と見られる調はない字で、「世間並の流行感冒に罹つて漸く命は取り止めたり、それも束の間、肺がわるうなつて、旦夕に迫る」とした葉書が來た。偖こそと私は折り返へして、「何か喰べたいものでもあれば、遠慮なく言つて來て下さい。直ぐ送ります」と書いてやると、一週間ほどしてから、矢張り苦しさうな筆蹟で、「折角の御意、差し當り何も欲しいものはなけれども、流星光底長蛇を逸してはと、一日一夜考へ通した末、鮒の雀燒きを所望いたす。成るべく小なるがよし。それから寒夜頸筋の寒きに惱む。お女房の肩掛の古いのがあつたら一つ惠みたまへ。頸卷き一つにも不如意な貧衲の境界を御身は如何に觀る。富より得る快さは會つて知らねども、貧より味ふ樂みは五十八年來嘗めつくしたり。……」として、まだ何か書きたかつたまゝで、筆を投げたさまが、葉書の餘白に現はれてゐる。表の宛名は例の子供の字であつた。
そこで私は、早速千住まで鮒の雀燒きを買ひにやつて、毛絲の肩掛けとともに送つてやつた。すると直ぐ、「うまいあたゝかい、うれしい」と書いた苦し氣な葉書と、「鮒の雀燒を喰ふと、また雀の鮒燒きが喰ひたくなつた。隴を得て蜀……」と、これは中途で切れたながら、割合に元氣らしい字の葉書とが二枚一所に來た。
雜司ヶ谷の鬼子母神へ行つて、雀の燒とりを買つて來て送つてやらうかと思つてゐるうちに、三月となつて、私は新らしい筆を起さなければならぬ長篇の準備に取りかゝつて、暫らく老僧のことを忘れてゐると、
「ごりがん事……永劫の旅路に」といふ天南からの訃報が來たのであつた。早速天南に宛てゝ、香料を送つておいたが着いたか、着かぬか、それさへ分らない。
近頃になつて上國から來た人の又聞の話に據ると、老僧の遺骸は滿洲に居る次男が歸つて來るまで、其のまゝにしてあつたが、次男のところがなか/\知れなかつたので、歸り着くまでに半月の餘もかゝつたといふことであつた。
●図書カード