Chapter 1 of 1

Chapter 1

言はでものこと

岸田國士

芝居と云ふものを強ひて「大勢」に見せるものと考へる必要はない。

「自分たちの芝居」と云ふものがあつていゝ。「ほかのものには面白くない芝居」があつても仕方がない。

先づ「これは芝居だ」と云へるやうな芝居が書きたい。

「これも芝居だ」と云へるやうな芝居も書きたい。

「これが芝居だ」と云へるやうな芝居は、一生のうちに書けるかどうか。

「或こと」を言ふために芝居を書くのではない。

芝居を書くために「何か知ら」云ふのだ。

怒つてはいけません。あなた方が批評をお書きになるのとどう違ひますか。おや、違ひますか。

「劇的」と云ふ言葉は「美しい」と云ふ言葉ぐらゐ通俗的になつてゐる。

誰でもが「劇的」と呼ぶ「或種の感動」は、必ずしも「芸術的感動」ではない。

さう云ふ感動を生命とする芝居も、「自分たちの芝居」と呼びたくない。

自分には芝居は書けないといふことを気づくのは、自分には芸術はわからないといふことがわかるほど、むづかしいことではない。

なんでもかんでも芝居を書かうとは思はない。

然し芝居を見に行くのがいやになつたくらゐで、芝居を書くことをやめはしない。

嘗て歌を作つたことがある。

「この男、月いくらぐらゐ取るならんと、……博士の講義、聴きしこともあり」

歌は駄目だと思つた。

芝居を書かうと思ひ立つてから芝居を見に行きだした。

芝居が好きだとも云ひだした。

「最新式」に限ると云へば鉄砲などもさうのやうだ。

「そんなものはいらん」

「いるかいらないかを聞いてるんではない」

芝居を書くと云ふことのうちには、芝居を見る楽しみも大方含まれてゐる。

「貴様、日本のことは書けんのか」と、友の一人は憤慨して云ふ。

「今は、書けん」

「うそつけ」と、もう一人の友が云ふ「日本のことぢやないか、貴様が書いてるのは」

「さうだらう」

作者に霊感を与へるやうな俳優はないか。

――俳優を活かすやうな作者はないか。

先づ、俳優が出なければ……。

――いゝや、作者が先だ。

黙れ、黙れ。もつと上手に、二人とも、お辞儀をしろ。

「読む戯曲」は、不幸な劇作家の手すさびに過ぎない。

不幸な劇作家とは俳優に見放された劇作家である。

今日の「読む戯曲」が、明日の優れた「上演脚本」でないとは限らない。

一例。「戯れに恋はすまじ」

「今日の舞台」は――劇場は、俳優は――「昨日の戯曲」のために作られたものだ、と思つてゐてもいゝではないか。

「戯曲の読めない人」がある――

「楽譜の読めない人」があるやうに。

「誰にでも読める戯曲」は概ね「見るに堪へない芝居」である。

Chapter 1 of 1