6 結論
およそ人類は威張る事の出来る場合には出来るだけ威張りたがるの性質を有しているものである。ことに武士から虫螻蛄の如くに扱われていた町人・百姓等は、さらにそれをエタに向かって転嫁する。社会の階級観念はますます甚だしくなる。小天地にのみ圧窄せられたエタがいよいよ堕落の底に落ち込み、ますます貧乏になったのも実際やむをえなかった。性格の良くない輩も勢い自然に増加して来る。所謂「風儀宜しからぬ」の問題も頻繁に起って来て、はては夜分に出て来て悪事を働く者もあれば、町人百姓に交って悪戯をするものも出て来る。これは彼らが活きんが為の必然の要求、自暴自棄より来る当然の結果なりとは云え、またその原因が世間にあって、世間の圧迫が彼らをしてここに到らしめたものだとは云え、一般世人にとってそれはすこぶる迷惑な事であったに相違ない。ここに於いてか一見彼らを区別すべく、服装その他を別にせしめる必要が起った。夜間の外出を厳禁するの必要も生じて来た。明治三年の和歌山藩の取締令の如く、この必要から起った当然の帰趨であった。そしてそれはひとり和歌山藩のみではなかった。ここに至っては彼らは殆ど罪人扱いである。牢屋住まいの扱いである。その結果彼らはますます堕落する。堕落の結果ますます世間から嫌われる。当初は当然の権利として要求した筈の扶持米の如きも、所謂旦那方の慈悲心に訴えて恵んでもらうという状態になっては、乞食仲間に成り下がり、しかもその穢れ多しと思われている点に於いては、一般乞食よりもかえって損な立場に置かれたので、遂に幕末維新頃に見る様な悲惨なものになってしまったのである。
エタの被った残酷なる圧迫は、彼らが穢れたものだと誤解せられた点に素因を有している。しかしながらその圧迫を劇甚ならしめた直接の動機は、彼らの人口増加から起った生活難の結果である。彼らにして是非とも一般人民と区別せしむるを必要とするならば、これに圧迫を加えてその溢出を防ぐのは社会自衛上やむをえぬ手段であったかもしれぬ。これに対して反抗を続け、間隙を求めて逸出を図るの事は、また彼らにとって自己生存上の当然の要求であらねばならぬ。しかもこの闘争に於いて、彼らの取った手段は常に拙劣であった。これが為に彼らは一層当路者と一般世間の嫌悪を招き、結局敗残の極みに陥ってしまったのである。今やエタ非人の称廃せられてよりここに半百年に近く、彼らは既に久しく帝国臣民として何ら区別のないものとなっているのである。しかも世間はなおその圧迫を全然解放するに至らず、帝国民中五十分の一にも相当する多数の同胞を不遇の地に放置することは、まことに昭代の恨事と言わねばならぬ。(完)
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