一 はしがき
東北文化の研究については、土俗上、信仰上、見のがすことのできないものの一つにオシラ神がある。オシラ神の事については、ことにこの方面の研究にはなはだ多くの薀蓄を有せられる佐々木喜善君の報告を、本誌創刊号上において紹介するを得たことを光栄とする。たまたまこれと時を同じゅうして、わが郷土研究界の権威なる柳田國男君が、「オシラ神の話」と題する興味深い一文を文藝春秋の九月号に発表せられた。けだしこの神に関する研究が、ますます盛んになろうという機運の到来したものといわねばならぬ。もしこれをこの神の威霊を信ずる人たちに言わせたなら、或いはオシラ神の思召だと言うかもしれぬ。これがまことに偶然の事であるとしても、我々はこれを機会として、ますますこの方面の資料の蒐集に努力し、各方面からこれが研究を進めてみたい。かくの如くにして、わが東北文化の一面は漸次明らかにせらるべきである。
オシラ神のことについては、これまでにもすでに柳田、佐々木の両君をはじめとして、少からずその説が学界に紹介せられている。しかしながらそれは主として現代における奥州方面のことであって、過去の事、また他の地方のことは、あまり多く紹介せられておらぬかに見受けられる。所変れば品変る、難波の芦は伊勢の浜荻だなどと、いまさら事新しゅう言うまでもないが、もとは同一根原のものであっても、地方により、時代によって、名称も違えばこれに関する伝説も変ってくる。余輩はそれらの違った材料をなるべく多く集めて、また変った立場からの見解をも広く尋ねて、これを綜合した上にはじめてこの神の由来沿革を明らかにすることを期待する。前記佐々木喜善君も引き続きその薀蓄を発表せられるべく予約せられた。東大史料編纂官たる鷲尾順敬博士も、博士の仏教的見地から採訪せられたる資料について、不日高見を寄せらるべく承諾せられた。願わくば各地の同好者諸君、この機会をもって続々見聞せられたところを御報告くだされたい。これが説明のために写真またはスケッチを添えられることはもっとも歓迎するところである。
取りあえず本号には、羽前庄内地方のオクナイ様のことを紹介して、次にいささかこれに関する臆説を述べてみたい。