Chapter 1 of 29

宋赤絵壺

在銘

高サ  七寸六分

胴廻  五寸七分

口径  二寸九分

この壺の銘には「太平十年五月十六日造」とある。「太平」は遼の年号で、その十年は宋の仁宗の天聖八年(西暦一〇三〇)にあたり、天下が宋の太祖によって半ば統一されてまだ間もないころで、しかも、宋の文物が漸く盛大を告げようとした矢先だった。

ところで一説には朱銘の宋赤絵のものには偽作が多いともいう以上、これもあるいは相当問題にしていいことであると一応は疑っても見たが、なにぶんにも眼前にこの作品を置いては、決して左様な懸念をさしはさむ余地が見出せないのである。

由来作品の真贋は、その内外両容を直覚して、一種のうぶさと一脈の創成力といったようなもののあるかないかを見て、大体これを判断し、しかる後、それぞれの条件をならべて、初めてその決着がつけられるようであるが、この場合一番大切なのは、言うまでもなくその直覚力がどこまで霊的に働くかということである。固より危い吾人の直感力である。敢えて大方の信を博するに足りぬかも知れぬが、もし許されて判定をつけるということになれば、これは宋の赤絵としては、一種の上手なる製作であるとせざるを得ないのである。

仮りにこれが第二次的の作品であったとすれば、そこにはもっと巧智の露頭がなんらかの形で現わされてよいと思う。

ところが、この作品に於て見られる軽率でない華やかさは、大時代的な一種の文化意識の結晶として、あくまでもその時代を感覚し切ってこそおれ、いやな怪しげなところは更にないと看取されるのである。

中国の陶磁も宋に至っては、洗練を欠いた泥臭さといったようなものが全体的に取除かれ、一躍水際立った調子を獲得するに至っている。

言うまでもなく、これは純然たる陶器であって、焼かれた火度もおのずから低く、質もまたそれだけに軟らかい。そして永らく土中にあった関係からか、壺の地肌に施した釉薬など、表面は大部分粉吹いた風化現象を呈し、そこへ処々土の喰い入りも認められる。

模様は所謂上絵付けである。赤、黄、青、紺と、その四色の色相が渾和して、上代的内容を持っているのも嬉しいが、模様の形式が、次第に模様の独立を前提として、所謂「割出し」への発足をなしているのも、陶磁の模様の発達を順序づける資料として、注意して見てよいであろう。

更にこの壺を蓋したまま、つまみを中心として鳥瞰した場合、一点の円が(実に左様言いたい)、段組みの形を取って、蓋の面肩の廻りに次々に大きくひろがって行っているのである。殊にその円の段組みをなしたひろがりの中に、処々渦巻文をはさんで、模様に一種の感情を強調しているあたり、宋時代のこだわりのない文化意識が実によく出ていると思われるのである。

それに壺そのものの全体の形も締まりすぎでなく、またボテ過ぎでなく、ちょうどその中を得ていて、しかも腰から下の自然な締まり具合など、所謂千番に一番のかねあいの、一見宋窯ならでは望んでも容易に得られない達人芸の冴えを見せているではないか。

いったいに器体そのものを完全に保持している宋赤絵のものの少ない中に、この器一点が殆どその例外であるのも珍しいこととしてよい。

元来中国の陶磁は、唐は唐、宋は宋、明は明、清は清というふうに、その時代の表現相がすこぶる明白である。殊に一般に宋窯と称せられる宋時代の陶器は、ちょうどわが日本の鎌倉時代の彫刻仏を見るように、その時代の精神とか、または特徴とかいうものを極めて端的に表現しているように思う。くどいようだが、この作品の如きも、そこにそれ自体が感ずべきものを、明確に感じていはしないだろうか。

またこの着画に於て特に注意していいと思われるのは、人物の描法がまたいかにも本画の要領そのままであることである。本画としては尋常の画人では、到底やれそうもないような枯れ切って、しかも味のある筆を見せているにはいるが、しかし、これを同じ宋窯のうちの赤絵の皿の類に見受けられる省略に成功したいかにも陶画らしい陶画「草花文」のものに比べる場合、これはそれらより、ずっと遥かに先駆的なものであろうということも想像出来るであろう。(昭和八年)

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