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思ひ出 抒情小曲集
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思ひ出 抒情小曲集
北原白秋
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Translation Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 9 of 135

8

蛇目傘を肩にしてキツとなつた定九郎の青い眼つきや、赤い毛布のかげを立つてゆく芝居の死人などに一種の奇妙な恐怖を懷いた三四歳の頃から私の異國趣味乃至異常な氣分に憧がるる心は蕨の花のやうに特殊な縮れ方をした。

かういふ最初の記憶はウオタアヒアシンスの花の仄かに咲いた瀦水の傍をぶらつきながら、從姉とその背に負はれてゐた私と、つい見惚れて一緒に陷つた――その生命の瀬戸際に飄然と現はれて救ひ上げて呉れた眞黒な坊さんが不思議にも幼兒にある忘れがたい印象を殘した。

日が蝕ひ、黄色い陰鬱の光のもとにまだ見も知らぬ寂しい鳥がほろほろと鳴き、曼珠沙華のかげを鼬が急忙しく横ぎるあとから、あの恐ろしい生膽取は忍んで來る。薄あかりのなかに凝視むる小さな銀側時計の怪しい數字に苦蓬の香沁みわたり、右に持つた薄手の和蘭皿にはまだ眞赤な幼兒の生膽がヒクヒクと息をつく。水門の上を蒼白い月がのぼり、栴檀の葉につやつやと露がたまれば膽のわななきもはたと靜止して足もとにはちんちろりんが鳴きはじめる。日が暮れるとこの妄想の恐怖は何時も小さな幼兒の胸に鋭利な鋏の尖端を突きつけた。

ある夜はわれとわが靈の姿にも驚かされたことがある。外には三味線の音じめも投げやりに、町の娘たちは觀音さまの紅い提燈に結びたての髪を匂はしながら、華やかに肩肌脱ぎの一列になつてあの淫らな活惚を踊つてゐた。取り亂した化粧部屋にはただひとり三歳四歳の私が匍ひりながら何ものかを探すやうにいらいらと氣を焦つてゐた。ある拍子に、ふと薄暗い鏡の中に私は私の思ひがけない姿に衝突かつたのである。鏡に映つた兒どもの、面には凄いほど眞白に白粉を塗つてあつた、睫のみ黒くパツチリと開いた兩の眼の底から恐怖に竦んだ瞳が生眞面目に震慄いてゐた。さうして見よ、背後から尾をあげ背を高めた黒猫がただぢつと金の眼を光らしてゐたではないか。私は悸然として泣いた。

私の異國趣味は穉い時既にわが手の中に操られた。菱形の西洋凧を飛ばし、朱色の面(朱色人面の凧、Tonka John の持つてゐたのは直徑一間半ほどあつた。)を裸の酒屋男七八人に揚げさせ、瀝青を作り、幻燈を映し、さうして和蘭訛の小歌を歌つた。

私はまたいろいろの小さなびいどろ罎に薄荷や肉桂水を入れて吸つて歩いた。また濃い液は白紙に垂らし、柔かに揉んで濕した上その端々を小さく引き裂いては唇にあてた。さうして私の行くところにはたよりない幼兒の涙をそそるやうに、強い肉桂の香が何時でも付き纒ふて離れなかつた。

うつし繪の面に濕つた仄かな油のひほひはまた新らしい七歳の夏を印象せしめる。私はよく汗のついた手首に、その繪の女王や昆虫の彩色を痒いほど押しては貼り、剥してはそつと貼りつけて、水路の小舟に伊蘇普物語の奇しい頁を飜へした。

無邪氣な惡戲の末、片意地に芝居見を強請んだ末、弟を泣かした末、私は終日土藏の中に押し込められて泣き叫んだ。その窓の下には露草の仄かな花が咲いてゐた。哀れな小さい囚人はかうして泣き疲れたあと、何時もその潤んだに幽かな燐のにほひの沁み入る薄暗い空氣の氣はひを感じた。そこには舊い昔難破した商船から拾ひ上げた阿蘭陀附木(マツチのこと、柳河語)の大きな凾が濕りに濕つたまま投げ出されてあつた。私はそのひとつを涙に濡れた手で拾ひ取り、さうしてその黄色なエチケツトの帆船航海の圖に怪しい哀れさを感じながら、その一本を拔いては懷かしさうに擦つて見た。無論點火する氣づかひはない。氣づかひはないが、たゞ何時までも何時までも同じやうにたゞ擦つてゐたかつたのである。麹室のなかによく弄んだ骨牌の女王のなつかしさはいふまでもない。

Tonka John の部屋にはまた生れた以前から舊い油繪の大額が煤けきつたまま土藏づくりの鐵格子窓から薄い光線を受けて、柔かにものの吐息のなかに沈默してゐた。その繪は白いホテルや、瀟洒な外輪船の駛つてゐる異國の港の風景で、赤い斷層面のかげをゆく和蘭人の一人が新らしいキヤベツ畑の垣根に腰をかがめて放尿してゐる、おつとりとした懷かしい風俗を畫いたものであつた。私はそのかげで毎夜美くしい姉上や肥滿つた氣の輕るい乳母と一緒に眠るのが常であつた。

頑固で、何時もむつつりした、舊い家から滅多に外へも出た事はなく、流行唄のひとつすら唄へなかつた私の父にも矢張り氣まぐれな道樂はあつた。あの陰氣な稻荷の巫女や、天狗使ひや、(A+B)2 ………などの方程式で怪しい占ひをした漂浪者や、護摩を焚く琵琶法師やを滯留さしては、いろいろな不思議を信じた行爲の閑暇にはまた七面鳥を朱欒のかげに放ち、二三百の白い鉢に牡丹を開かせ、鷄を飼ひ、薔薇を植ゑる事を忘れなかつた。さうして樣々に飽きはてては年毎にその對手を替へた。鷄を鵞に替え、朝顏のために前の薔薇を根こそぎ棄てて了つた。さうして遂にはちゆうまえんだに豚小屋まで設けたほど、凡てが投げやりであつた。

私はまた五島平土の船頭衆から長崎や島原の歌も聞いた。年の師走には市が立つてそれらの珍客を載せた大船はいつも四十艘五十艘と港入りした。酒造のほかに何の物音もしなかつた沖ノ端の街は急に色めき渡つて再び戰のやうな「古問屋の師走業」がはじまる。さうしてこの家の舊い習慣として、その前後に催さるる入船出船の酒宴には長崎の紅い三尺手拭を鉢卷にして、琉球節を唄ふ放恣にして素朴な船頭衆のなかに、柳河のしをらしい藝妓や舞子が頑くななな主人の心まで浮々するやうに三味線を彈き、太皷を敲いた。その小さい舞子のなかの美くしい一人を Tonka John はまた何となく愛しいものに思つた。

Chapter 9 of 135
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