保身の道
「こうして鉱山を降りて来ると、生きかえる様な気がするな」
守備隊長に呼ばれて、使の兵と一緒に出た孫軍曹は、箇旧の街に近い丘を下りながら云った。
「花は咲いているし、樹は青いし」
この高山地帯に四季はない。何時も四、五月頃の気候で、ひどく高い山の上か、低い谷間でなければ、そう暑くも寒くもないのだ。
丘の中腹の塀に囲まれた、兵営の様な大邸宅の中庭にも、花壇の花が咲き誇っている。
「鉱山はたまらないぞ、あの子供の奴隷を見ているのは……」
「軍曹殿、そんな弱気では駄目ですね。あの邸宅をご覧なさい。みんなあの子供達の働きで贅沢をしているんですぜ……雲南ドルで年収二、三百万ドル、中には百人も武装した護衛を連れて歩く奴がいるんですからな」
「ふーん、君は箇旧には古いのかね」
「もう四年になりますがね、前の守備隊長の時には、徴発金を納めない鉱山主の所へ、よく懲罰に押しかけたもんでさ」
「そうかね、俺も子供を撃つ位なら、その方へ廻るね」
「はッはッは、黄中尉の様にやりますかね」
迎いの古兵は媚びるように云った。
「しかし、軍曹殿が、鉱山の餓鬼どもを気にするのは変ですよ。奴等はああいう風に生れついてるんでさ、放してやったって、又、他処で同じようなことをしなきゃア、結局食えないんですからね。ああいうものを一人前の人間に見ていちゃアきりがありませんや」
孫軍曹は、そんな馬鹿なことがあるもんか、現に万里と同じ生れ、同じ育ちの俺でさえ、貴様の上官の軍曹になっているではないか、万里だって、売られる前に軍隊へでもとられていたら、白人とでも五分に闘う、一人前の男になっていただろうと思った。
が、彼はただむっつりと黙り込んでいた。
案内された守備隊長の新しい邸というのは、丘のはずれの、街を見下ろす、高いユーカリ樹の林の中に建っていた。
フランス式の別荘風で、大佐の邸というより将軍の別邸と云った贅沢な建物である。
広い庭の隅に、何を建増するのか、運動選手のように背中に番号をつけた囚人達が、足につながれた鉄鎖の音をさせながら働いていた。
雲南府の街中でも見る光景で、初めてのことではないが、孫軍曹はその鎖の音に何とも云えない厭な気がした。
沈大佐は洋風の机の前で書類を調べていた。孫軍曹を見ると、艶のある、右と左と大きさの違う眼をぐっと開いて、
「貴様は世界一の大馬鹿者だぞッ」
と呶鳴った。軍曹は来たなッと思ったが、最大級の言葉を使うのは大佐の上機嫌の時の癖なのでそう驚きもしなかった。
「何とか云え……貴様は役にも立たん小孩の死骸を掘出すのに、鉱山中の坑夫の仕事を数時間も邪魔したそうだが」
「大佐殿、小孩は生きながら埋められたのでありまして――」
「莫迦! 埋ってしまったものが生きているか、死んでいるか誰に分る。以後坑内のことに干渉は許さん。いいか、覚えて置け。抗戦には金が要るんだ。国家は今、如何なる犠牲を払っても、多量の錫を美国へ送らなければならないのだ」
「しかし、大佐殿」
孫軍曹は、私邸に呼ばれている心安さや、部屋の様子や、大佐の態度に、従卒時代の親しみを感じながら、ぼそぼそと云った。
「少年達の待遇は……その……極度に酷いのでありまして、美国人にでも知れましたら、黙って居らんだろうと思うのであります」
「貴様、何処でそんなしゃれた文句を聞き噛って来たんだ。それだから世界第一の大馬鹿者だというんだ。美国だって箇旧の錫がどうして採鉱されているか位知らんで金を貸すか。その金の為に戦争が続いて何百万の兵隊が死のうが、箇旧で中国の子供が全滅してしまおうが、美国が今更何を云うか。人道主義は向うの売物なのだぞ。その売物の人道主義を何で美国が買うんだッ。奴等の買いたいのは錫なんだ。いいか欲しいのは錫なんだぞ。馬鹿者奴! 分ったか」
大佐は、自分の言葉に調子づき、一気にまくし立てて軍曹を見守ったが、その大きさの違う眼は(小僧、呶鳴られて内心ふくれてるな、だが、お前なんぞに話しても分らんだろうが、俺の今云ってることは真相なんだぞ)と云っていた。
孫軍曹は答えなかった。大佐は、そのむっつりした態度に、ぴくっと眉を動かすと、顎で扉を締めさせて、低い調子で云った。
「孫、考えなくちゃいかんぞ」
「はあ?」
「抗戦の前途ももう先が見えて来たんだ。将軍連はみんな保身の道に……つまり、この戦争がどんな風に結末がついてもいいようにだ、自分の地盤と金を作ることに一生懸命だ……吾々だけが前線で頑張って見たところでどうにもなるもんじゃない……自分が前線からここへ来たのも分るだろう……いいか、だから、つまらん事に力みかえらんで鉱区の成績をあげさせろ。俺に一々口を出させんでも、お前は、ここでは恐れられているんだからな……あの鉱山が成績があがれば、それを標準に全鉱区からうんと徴発金を収めさせることも出来るんだ」
「…………」
大佐は孫軍曹の心の中を見透すように注目した。何処を見ているか分らないような気味の悪い眼である。
「無論、お前にもそれだけの事はしてやる。これはお前だから云うのだが、これからは金を掴んだ奴が勝だ。お前にしても、何時まで、先の知れた下士でもあるまいからな」
孫軍曹は、やはり返事をしなかった。が、彼は、もう反対は出来なかった。大佐がこういう調子で出た時に逆らったら、どういう結果になるか、知り過ぎていたのである。
彼は、べそをかいたような顔をして腰をかがめた。
「よし」
大佐はこれで用が済んだというように机を叩いた。そして抽斗から紙幣の束を掴み出し、厚さを計って一部分、引きぬくと、顎と一緒に軍曹の方へ突き出した。
そして軍曹が泣き出しそうな顔をして躊躇しているのは自分の知遇に感激しているものと思い込んで、
「遠慮するな、今夜はゆっくり街で垢でも落して行け」
と云った。
大佐の部屋から引下って来た孫軍曹は、中庭の隅で吠え立てた、獰猛な西蔵犬を射殺しかねないほど興奮していた。犬はつないであったのだが、彼は滅茶滅茶に拳銃でもぶッ放したい気持だった。
“鉱山の経理が云ったことは本当だ”
あの雲南府の官署で、荷物を持って行った副官の妙な態度も、左遷だと思ったのが、大佐にとってはなるほど吉報だった訳も初めて分ったのだ。
彼は、銃を担った右の肩が、ちょいとあがっているのと同じように永い間の習慣で沈大佐に威圧され、何も云うことが出来ずに金を受取ってしまった自分が悲しかった。
“吾々だけが頑張ったって、どうなるものか……沈大佐はそう云ったが、それでは両親に別れ、妻や兄弟に別れて、故郷を何百里も離れ、物凄い戦に斃れた兵隊はどうして浮ばれるんだ”
孫軍曹は大佐の邸を出ると、悄然としてあてもなく街の方へ下りて行った。