5
長浜の村は、道路の近くの緑の崖の麓にあって、杉の木立の陰になった岩の池の周りに、全部で十二軒ばかりの茅葺き屋根の農家が散在している。池は、崖の中心からまっすぐに噴き出してくる湧き水で満たされており、冷たい水で溢れている――あたかも詩人の心から直接に詩が浮かんでくることを人々が想像するかのように――。ここは人力車や休息している人たちの数から測ると――明らかに絶好の休息場所である。木陰にはベンチがいくつか置かれている。喉の渇きを癒した後、私はそこに腰掛けて煙草をくゆらしていた。そして、女の人が洗濯をしたり、また、旅の者たちが池で一息入れているのを眺めたりしていた――私の俥夫も服を脱いで桶で冷たい水で水浴びをしている。すると、背中に赤ん坊を背負った若い男が私にお茶を運んできてくれた。私が赤ん坊をあやすと、その子は「あァ、ばァ」と発声した。
これが日本人の赤ん坊が発する最初の声である。しかし、これはとても東洋的である。それはローマ字では Aba と書かれよう。そして、まだ誰にも教えられていない発声として、 Aba は興味深いのである。日本の子どもたちの話しぶりでは、それは「さようなら」に当たる言葉である――だから、とても幼児がこの幻想の世界に入ってくるときに発する言葉とは思えないものである。この小さな魂が、誰かにあるいは何に向かってさようならと言っているのか?――まだ親しく覚えている前世での友だちに向かってだろうか?――あるいはあの冥府からの旅の道連れたちに対してだろうか? 赤ん坊たちは私たちのためにこうだとは決められないのだから――つぎのように推測することが、まずは信心めかした観点からは妥当なところといえるのではあるまいか。つまり、赤ん坊ははじめて発声するという謎めいた瞬間に何を考えていたか、この疑問に答えられるほど成長した暁には、そんなことなどすっかり忘れ去っているものなのだ、と。
突然、奇妙な思い出が浮かんだ――たぶん赤ん坊を負ぶった若い男を見たからか、岩清水のざわめきの音のためだったか、それはつぎのような物語である。
昔むかし、ある山の中に、貧しい木樵の夫婦が住んでいた。二人はすっかり年老いていたが、子どもはなかった。お爺さんは、毎日、木樵に出かけ、お婆さんは家で機織りをしていた。
ある日、おじいさんはある木を切るためにいつもより深く森の中へ分け入った。すると、突然、これまでに見たこともない小さな池の畔に出た。ここの泉の水は不思議なほど澄んでいて、冷たかった。その日はとても暑かったし、また一生懸命に働いたから彼はとても喉が渇いていた。そこで、自分の大きな編み笠を脱いで、跪くと、しばらく泉の水を飲んだ。この水のおかげでいつもと違ってみずみずしく若々しい気分になった。それから、池の水面に映った自分の顔を見ると、思わず後退した。確かに自分の顔のようではあったが、家の古い鏡で見慣れている顔とはまったく違っているではないか。それはとても若い男の顔だった! 我が目を疑った。両手を頭に差し伸べてみると、ほんの少し前にはほとんど禿げていたのに、今は黒い髪がふさふさとしている。また顔も少年のように張りがあってなめらかだった。あったはずの皺は全部消え去っていた。その時、お爺さんはにわかに新しい力が体中に漲るのを感じた。また、これまで老齢のため萎えていた手足を見つめると、驚くかなそれらは若い筋肉でくっきりと、また固く盛り上がっている。知らなかったのだが、お爺さんは「若返りの泉」の水を飲んだのである。それを飲んだために彼は変わったのである。
まず、お爺さんは小躍りして、おお、と歓喜の叫び声を上げた。そして、今までのどの時よりも速く走って一目散に家に帰った。家に入るや妻が驚いた。――というのは、お婆さんは見知らぬ若者だと思ったからだ。若返ったお爺さんは不思議な出来事を語ったが、妻はにわかには信じられなかった。けれども、やっとのことで眼の前に居る若い男が自分の本当の夫に間違いないと信じることができた。夫は不老の泉の在りかを教えると、一緒に行こうと言った。
すると、お婆さんが言った。「お前さんは若返って美男子になったので、この老婆をもう愛することはできますまい。ならば、あたしもすぐにそれを飲まなければならないでしょう。しかし、家から遠いところに二人一緒に出かけることはありますまい。あたしがひとりで行きますから、お前さんはここで待っていてくだされ。」
そう言うと、お婆さんは一人で森の方へばたばたと出かけて行った。
お婆さんは、ああここかと泉を見つけた。さっそく跪いて、水を飲み始めた。ああ! 何という冷たさ、それになんと甘露なことか! 老婆は飲みに飲み続けて、息を継ぎ、そしてまた飲んだ。
今や若返ったお爺さんは辛抱強く待っていた。老いた妻が綺麗な細身の少女となって戻ってくるものと思っていた。しかし、彼女はいつまで経っても帰って来なかった。お爺さんは、心配のあまり、家の戸締まりをすると、探しに出かけた。
例の泉の所まで来たが、老婆の姿は見あたらなかった。諦めてもう帰ろうとしたときだった、泉の近くの丈の高い草の茂みの中に小さな泣き声がする。そこに行ってみると、妻が着ていた服と――おそらく生まれて六ヶ月くらいのとても小さな乳飲み児の――赤ん坊を見つけた!
実は、お婆さんは霊泉の水をたくさん飲み過ぎていたのだ。飲み過ぎて若い時期をはるかに超えて、まだ口もきけない幼児の頃にまで若返ってしまったのだ。
乳飲み児を腕に抱き上げると、赤ん坊は悲しげに、どうしたらよいかわからない気持ちで夫を見上げた。夫は赤ん坊をあやしながら――不思議な思いで、また憂鬱な気持ちで家に連れて帰った。
浦島について空想した後では、この昔話の教訓は、以前に読んだときよりも満足のいくものではないようだ。というのは、人生の泉を飲み過ぎてしまえば、私たちが若返ることはないからである。
裸になって涼しくなった俥夫が戻ってきた。申し訳なかですが、この暑さじゃ、とてもお約束の四〇キロを走ることは無理です。けれど、残りの道のりを走ってくれる代わりの俥夫がおりますけん、と断ってきた。それで、これまで走った分は五五銭でいいですから、と言う。
本当にとても暑い日だった。後で三七度七分以上もあったと聞いた。遠くで、雨乞いの太鼓の音が、暑さそれ自体の脈拍でもあるかのように途切れることなくドーン、ドーン、ドン、ドン、ドンと響いている。そして、私は龍神の娘の、乙姫様のことを思った。
「七五銭ですよ、と浦島屋の乙姫様は言った」ので、私はこれを守ることにした。「アナタ、約束ドオリ、ナイデス。ケレド、七五銭、払ウデス――ワタシ、神様恐ワイデスカラネ。」
そして、まだ疲れていない俥夫の後ろに座ると、私はまたじりじりと照りつける炎天下の中へと疾走していった――太鼓の大きな音のする方へと。