磐梯山
磐梯山は古名を石椅山というた、それは石椅の神として崇められていたからで、『文徳実録』の斉衡二年正月の条に
己酉。加二陸奥国石椅神従四位下一
とあるものがそれである。『延喜式』には
※磨郡一座小
磐椅神社
とあり。※磨は今は耶麻と書いている。そのヤマなる郡名の起ったのも畢竟此山あるが為に外ならない。社は現に猪苗代町の北方に立派に保存され、宝物の鏡の銘に
奉懸岩椅大明神 本地御正体一面
右志趣者為心中祈願成就円満乃至法界平等利益所奉□□如件
永仁三年閏二月十八日 藤原氏女 敬白
と記されている。欠字は「依而」の二字であろうか。永仁は伏見天皇の年号であるから、今より六百三十四年前のものである。
ハシは元来舟のことで、フネは容器をいう意味であったことは、湯フネ・酒フネ又は馬フネなどの例があり、柩のことをもフネというた、天皇崩御ありて玉体を御霊柩に納めまつることを御舟入と申す言葉が之を証明している。ハシの舟なることは陸と大船との間を往来する小舟をハシケと称することに依りて知られる。要するにハシは水を渡る道具の名で、動くハシと動かないハシとがある。して見ると石椅の神は猪苗代湖に関係あるらしくも思えるが、石舟石橋にしても解釈のしようがない。然るにハシは横に平に渡すものであるが、竪に上下に渡すものをもハシといい、前者と区別する為にハシタテと呼ばれたものが後の梯子のことである、すると石椅は石のハシタテの略されたもので、山が突兀として聳えているところから其の名を得たものと考えられる。或は又ハシは南洋系の言葉では道を意味している、例せば三浦半島の走水はハシ水で、水の道即ち渡場の意であるから、石椅は天そそる岩の道の意に解せぬこともない。それが後になって訓の同じき梯が椅に代用され、石が磐となり、バンダイと音読されるようになったのは何時の頃か判明せぬが、永仁三年以後であることだけは確である。