Chapter 1 of 5

その年の春はいつまでも寒さが続いたので、塚原俊夫君は、私に向かって、また大地震でも起こらねばよいがなどと、時々私を気味悪がらせておりました。けれども、幸いに、大きな天災地変もなく、五月に入ってからは急に暖かくなって、実験室の前の躑躅が一時に咲き揃いました。

「兄さん、気候が寒いと、あまり大きな犯罪も起こらないようだねえ」

と、ある日の午後、俊夫君は、紫外線装置の部屋から、退屈そうな顔をして出てきながら言いました。

「犯罪など起こらない方がいいねえ。俊夫君には物足らぬかもしれないけれど、世間はたしかに迷惑するよ。しかし、ここ一週間ばかり急に暖かくなったから、また、犯罪がふえるかもしれないねえ。ことに浅草Y町の株屋殺しのように、事件が迷宮に入ると、それを模倣して人殺しが続出しないともかぎらない」

「ああ、そうそう」

と、俊夫君は、急に熱心な顔をして言いました。

「あの株屋殺しは、もう二週間になるが、まだ犯人が見つからぬようだねえ。いったい、警察は何をしているんだろうか。殺された人間がありゃ、殺した人間のあることは当たり前じゃないか」

「そりゃ君、無理だよ。人間は神様でないから。しかし、君は、あの事件について何か説をたてているのか」

「いや、僕は近頃、新聞記事というものが、日を経るに従っていよいよ出鱈目になってゆくことを知ったので、自分に依頼されない事件には、立ち入った研究をしないことにしているよ」

ちょうどその時、訪問の客があったので、私が扉を開けにゆきますと、それは他ならぬ「Pのおじさん」すなわち警視庁の小田刑事でありました。

「Pのおじさん、久しぶりですねえ」

と、俊夫君は、うれしそうな顔をして、小田さんのそばに駆けよりました。

「きっと、いいお土産を持ってきてくださったでしょう。僕、この頃うち、腕が鳴って仕方がなかった」

「いいお土産とも、実に大きなお土産だ」

と言いながら、小田さんはテーブルの前の椅子に腰を下ろしました。

「ああ、うれしい」

こう言って、俊夫君はしばらくの間、実験室を飛びまわりました。「お土産」というのは言うまでもなく、事件解決の依頼であります。やがて俊夫君が席につくと、小田さんは言いました。

「お土産というのは、他ではない、浅草Y町の株屋殺しさ」

私たちは思わず顔を見合わせました。

「たった今、俊夫君と、その話をしていたところでした」

と、私は言いました。

「それじゃ、俊夫君は、新聞でこの事件を研究していたのか」

と、小田さんは尋ねました。

「いいえ、詳しいことは少しも知りません。でも、犯人の容疑者として、誰やら、あげられたではないですか」

「うむ、それがね、いま検事局で、その男を厳重に取り調べているけれども、どうしても白状しないのだ。しかし、さっぱり証拠がないから、みんなが困っているのだ。だから、俊夫君にその証拠を見つけてもらおうということになったのだよ」

「どうか、事件の経過を逐一話してください」

と、俊夫君は言いました。

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