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「表彰でもして、――情の方から抑えつけて、喜んで働かして置かないと、飛んでもなくなる。」吉岡がそう云った。
「少し張り込んで、金箔を塗った立派な表彰状を出してさ、授与式をワザと面倒臭く、おごそかにすれば、もう彼奴等土百姓はわけもなくころりさ。」――そう云ったのが岸野だと云うのだった。
――まさか
校長を信頼していた健が、そのことを直ぐ校長に話してみた。
「そんな馬鹿な、理窟の通らない話なんかあるものか。お前さんが親孝行だし、人一倍一生懸命に働くからさ。」と云った。――健だって、それはそうだろう、と思った。
阿部だけは、地主やその手先の役場の、とても上手い奸策だと云った。
「もう少し喰えなくなれば、模範青年ッて何んだか、よく分るえんになる。」
――皆ねたんでいる!――健はその当時は阿部に対してさえそう思った。
然し、健は、父親の身体が変になり、働きが減り、いくら働いても(不作の年でも!)それがゴソリゴソリと地主に取り上げられて行くのを見ると、もとはちっともそうでなかったのに、妙に投げやりな、底寒い気持になった。切りがない、と思わさった。――「何んだい模範青年が!」――阿部の云ったことが、思い当ってきた。
それから健は、誰にでも「模範青年」と云われると、真赤になった。
「武田」
会が始まった。
「開会の辞」で武田が出た。如何にも武田らしく演壇に、兵隊人形のように直立して、演説でもするように、固ッ苦しい声で始めた。聞きなれない、面倒な熟語が、釘ッ切れのように百姓の耳朶を打った。
――……この危機にのぞみ、我々一同が力を合わせ、外、過激思想、都会の頽風と戦い、内、剛毅、相互扶助の気質を養い、もって我S村の健全なる発達を図りたい微意であるのであります。
――……なお、此度は旭川師団より渡辺大尉殿の御来臨を辱うし、農場主側よりは吉岡幾三郎氏代理として松山省一氏、小作方よりは不肖私が出席し、ここに協力一致、挙村円満の実をあげたいと思うのであります。
七之助は聞きながら、一つ、一つ武田の演説を滑稽にひやかして、揚足をとった。
「武田の作ちゃも偉ぐなったもんだな。――悪たれだったけ。」
健の前に坐っている小作だった。――「余ッ程、勉学したんだべ。」
七之助が「勉学」という言葉で、思わず、プウッ! とふき出してしまった。
「大した勉学だ。――※と地主さん喜ぶべ。円満円満、天下泰平。」
健とちがって、前から七之助にはそういう処がある。洒落やひやかしが、百姓らしくなく、気持のいい程切れた。
「地主代理」
地主代理は思いがけない程子供らしい、細い声を出した。それに話しながら、何かすると、ひょいひょい鼻の側に手を上げた。それが百姓達には妙に「人物」を軽く見させた。七之助は、そら七ツ、そら十一だ、そら又、……と、数えて笑わせた。――地主と小作人は「親と子」というが、そんなに離れたものでなしに、「頭脳と手」位に緊密なもので、お互がキッチリ働いて行かなければ、この日本を養って行くべき大切な米が出来なくなってしまう。他所では此頃よく「小作争議」のような不祥事を惹き起しているが、この村だけはそんな事のないように、その意味でだけでも、この新に出来た組合が大いに働いて貰いたい。……地主代理は時々途中筋道をなくして、ウロウロしながら、そんな事を云った。
「分りました。んだら、もう少し小作料ば負けて貰いたいもんですなア――。」
誰かが滑稽に云った。――皆後を振りむいて、どッと笑った。
「佐々爺」
こういう会があると、「一杯」にありつける。何時でも、それだけが目当でくる酒好きな、東三線北四号の「佐々爺」がブツブツこぼした。
「糞も面白ぐねえ。――早く出したら、どうだべ。」
「んだよ、んだよ、な、佐々爺。」――七之助が面白がった。
「飽き飽きするでえ!」
佐々爺は何時でも冷酒を、縁のかけた汁椀についで、「なんばん」の乾したのを噛り、噛り飲んだ。――それが一番の好物で、酔うと渋い案外透る声で、猥らな唄の所々だけを歌いながら、真直ぐな基線道路をフラフラ帰って行った。――佐々爺が寄ると、何処の家でも酒を出した。酒が生憎なかったりすると、佐々爺は子供のように、アリアリと失望を顔に表わして頼りなげに肩を振って帰って行った。
佐々爺は晩出たきり、朝迄帰らない時がある。酔払って、田の中に腐った棒杭のように埋ったきり眠っていた。探しに行ったものが揺り起しても、いい気に眠っていた。
「女郎の蒲団さもぐり込んだえんた顔してやがる!」
ところが、佐々爺は村一番の「政治通」だった。「東京朝日」「北海タイムス」を取っているものは、市街地をのぞくと、佐々爺だけで、浜口、田中、床次、鳩山などを、自分の隣りの人のことよりも、よく知っていた。今度床次がどうする、すると田中がこうする。――分った事のように云って歩く。自分では政友会だった。
阿部に「爺さんは、どうして政友会かな?」と、きかれて、「何んてたッて政友会だべよ。政友会さ。百姓にゃ政友会さ。景気が直るし、仕事が殖えるしな。」と云った。
「この会、政友会さ肩もつッてたら、うんと爺ちゃ応援すべな。」
七之助がひやかした。
「政友会ば?――んだら、勿論、大いにやるさ。勿論!」
「広く農村にも浸潤されなければならない」
次は「渡辺大尉」だった。
軍帽を脇の下に挟んで、ピカピカした膝迄の長靴に拍車をガチャガチャさせて、壇に上ってくると、今迄ガヤガヤ騒いでいたのが、抑えられたように静かになった。が、すぐ、ガヤガヤが返ってきた。――子供達は肩章の星の数や剣について、しゃべり出した。口争いを始めた。――百姓は、たまに軍人が通ると、田の仕事を忘れて、何時迄も見送っていた。兵隊のことになると、子供と同じだった。
「農村に於ける軍人的精神」――それが渡辺大尉の演題だった。軍隊に於ける厳格なる秩序、正しい規律、服従関係を色々な引例をもって説明し、これこそが外国から決して辱かしめられた事のない日本の強大な兵力を作って居るものであり、そしてこの精神は、ひとり軍隊内ばかりでなく、広く農村にも浸潤されなければならない。殊に外来悪思想がややもすれば前途ある青年を捉え、この尊い社会秩序を破壊せんとするに於ては、益健全なる軍人精神が、実に農村に於てこそ要求されなければならないのである。――そういう意味のことを云った。
武田達は終るのを今か、今かと待っていて、さきがけをして拍手をした。
「阿部さん。」
後から小作が声をかけた。――「外来何んとか思想だかって、あれ何んですかいな。さっきから、どの方も、どの方も仰言るんですけれどねえ。」
「さあ……」阿部は一寸考えていた。「この村にそんなもの無えんでしょう……。」
それから別のことのように、笑談らしく、「んでも、あんまり小作料ば負けてけれ、負けてけれッて云えば、地主様の方で怒って、過激思想にかぶれているなんて、云うかも知れないね。」――云ってしまってから、口のなかだけで笑った。
武田は又上ると、会の性質、目的、入会条件、事業等について説明した。余興に入り、薩摩琵琶、落語、小樽新聞から派遣された年のとった記者の修養講話――「一日講」――があり、――そして、「酒」が出ることになった。
「馬鹿に待たせやがったもんだ。」
「犬でもあるまいし、な!」
胃の腑の中に、熱燗の酒がジリジリとしみこんで行くことを考えると、日焼けした百姓ののどがガツガツした。――誰でもそう酒に「ありつけ」なかった。
「今日は若い女手は無えんだと。」
「んとか?」
「又、良え振りして、武田のしたごッだべ!」
それでも、女房達や胸に花をつけた役員などが、酒をもって入って来ると、急に陽気になった。
武田が股梯子をもって来て、皆から見える高いところへビラを張りつけた。
┌───────────────────────┐
│ 酒一斗 校長先生 │
│ 金三十円也 岸野殿 │
│ ビール一打 ※殿 │
│ ビール一打 吉岡殿 │
│ 手拭百本 H町長殿 │
│ 金十円也 相馬殿 │
│ 右本会設立ヲ祝シ、各位ヨリ御寄贈下サイマシ │
│ タ。 │
│ 有難ク御礼申上ゲル次第デアリマス。 │
│ 幹事 │
└───────────────────────┘
」]
「ホオーッ!」
「豪儀なもんだ。矢張りな。」
「有難いもんだ。」
盃と銚子がやかましく、カチャカチャと触れ合った。
――役員や招待された人や講演した人達は、吉本管理人の宅へ引き上げた。そこで水入らずの「酒盛」を始めた。H町からは、自動車で酌婦が七、八人やってきた。――皆は夜明け近く迄騒いでいた。酌婦達はその夜帰らなかった……
阿部や健達は一足先きに表へ出た。星が高い蒼い空に、粒々にきらめいていた。出口から少し離れた暗がりで、二、三人、並んで長い小便をしていた。――側を通ると、
「オ、阿部君!」
ガラガラ声で、伴だった。健と七之助は頭を下げた。
寄ってきて、阿部に、「どうだ、この魂胆は!――直ぐ、あっちさ通信頼むど。」――声を低めて云った。
健は黙って、皆の後をついて行きながら、兎に角、近いうちに阿部を訪ねてみよう、と考えていた。
三
節は悲しかった
「んで……?」
「……………」
節は一言も云わなくなってしまった。
健もだまったまま歩いた。
昼のうちに熟れていた田から、気持の悪いぬるい風が、ボー、ボー、と両頬に当って、後へ吹いて行った。歩いて行くのに従って、蛙が鳴きやみ、逆に後の方から順々に鳴き出した。
「どうした?」
「……………」
「ええ?」
「……………」
だまっている。ひょいと見ると、闇の中で白い横顔がうつむいていた。
「川の方さでも行ぐか?」
「……………」
川の方へ曲がると、矢張りついてきた。悪戯をして、一寸つッついても、何時でも身体をはずませて、クックッと笑いこけるのに、顎をひいて、身体をコッちりさせている。女に黙られると、もうかなわなかった。――途中の家々では窓をあけて、「蚊いぶし」をやっていた。腰巻一つの女が、茣蓙の上へ、ジカにゴロゴロしているのが見える。――暑苦しい晩だった。
河堤に出る雑草を分けて行くと、細身の葉が痛く顔に当った。何処かで、ヒソヒソ声がする。――そんな組が二つも、三つもあった。二番草を終って、ここしばらく暇だった。
堤に出ると、すぐ足の下の方で、話し合っている大きな声と一緒に、ザブザブと馬を洗っているらしい音がした。踏みの悪い砂堤に足を落し、落し出鼻を廻わると、河原で焚火をしていた。――夜釣りの魚を集めているらしく、時々燃えざしを川の真中へ投げた。パチパチと火の粉を散らしながら、赤い弧を闇にくっきり引いて、河面へ落ちると、ジュンと音をたてて消えた。水にもそれが映った。
「綺麗だね。」
今度は健がだまった。そのまま沈黙が少し続くと、
「怒ったの?……」と、節が云った。
やっぱり節だ。――短い言葉に節がすっかり出ている。健は急に節がいとおしく思われた。健は怒ってでもいるように、無骨に、女の肩をグイと引き寄せると、いきなり抱きすくめた。はずみで、足元の砂がズスズスッと、めり込んだ。
節は何時ものように、歯をしめたままの堅い唇を、それでも心持ちもってきた。女の唇からは煮魚の、かすかに生臭い匂いがしていた。
「何食ってきたんだ。口ふけよ。」
節は真面目な顔をくずさずに、子供のように袖で口をぬぐった……。
二人は草を倒して敷いて、その上に腰を下した。こっちの焚火が映って、向う岸の雑木林の明暗が赤黒く、ハッキリ見えていた。
「健ちゃ、阿部さん好き?」
「……阿部さんのどこさあまり行ぐなッて云いたいんだべ。」