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「あの、お話し中ですが、その成駒屋というのは、なんですか?」
「役者じゃないか。先代の福助さ。しかし君は福助を見ていないだろう。まあ、いい男の典型の如きものだと思えば間違いはない。ところで、その緊張の頂点に於て僕の頭脳に閃いたものがあるんだ。僕は嘗て、一通人から、いわば騎士道上の忠言を受けたことがあるのだ。劇場なんかでね、玄人などから誘導的視線を受けた場合の心得だね。そういう際彼女等は例外なく先方からなにかきっかけを見つけて名刺などを呉れるそうだから、こちらもそこは心得ていて、彼女等にその行為を円滑に遂行せしむべく、充分に隙を見せなければいけないというのだ。僕はその時この忠告を思い出すと共に、今こそ先蹤の求めたるところをわれまた求めんという、一大勇猛心を起し、次の幕あいには逸速く席を立って廊下に出て、人生に於ける遭遇、機縁なるものの何処に秘められているかは、神のみぞしろしめす、機会というものに対しては自分はあくまでも従順でありたい、そういう殉教者にも似た希願を胸に抱いて、僕は歌舞伎座の廊下をさかんに往きつ戻りつしたんだ。自分では充分に隙を見せたつもりなんだ。なんだか自分が助六にでもなったような気分で、いまに名刺の雨が降るという期待でわくわくしていた。」
「それで、雨が降りましたか?」
「ところが、さっぱり降らないんだ。彼女達も廊下に出てそちこちに三々五々屯して、例の囁きだけは止めないんだがね。『成駒屋よ、いいわねえ。』『ちょいと、横顔がいいじゃないの。』『あら、ハンカチを出して鼻を拭いているわ。』『プーシュキンに似てやしない?』まさかそんなことは云わないが、しかし、一人のその群を抜きん出て僕に慇懃を通じようとする奇特な者とてはいないんだ。なんべん廊下を往復したか知らないが、遂に徒労に終った。」
「ひやかしにあったようなものですわね。」
「そうなんだ。褒めてばかりいて、財布の紐はほどかない。やっぱり玄人なんてえのはちゃっかりしているんだね。他日友人間にこの話を披露したところ、異口同音に『おごれ。』さ、成駒屋に間違えられただけでも大出来だと云ってね、その後しばらくは、僕を呼ぶに成駒屋を以てした。」
「面白いお話ですわ。先生らしくって。」
「成功しないところがだろ。情緒纏綿とした後日談でも欲しいところだが、事実は曲げられないからね。なんにしても昔の話さ。しかし今でもふと思い出して独り顎を撫でたりすることがあるよ。」
そう云ったら自ずと手が顎へいった。掌に無精鬚がじゃりつく。写真よりはお綺麗か、太宰さん、そねめ、そねめ、思わずにやりとしてハッと気づき、客の顔を見ると、視線は私の頭上を越して、なにやら低徊している。私の背後には床の間があり、壁間には太宰さんの書幅が、あ、これか。――待ち待ちて ことし咲きけり 桃の花 白と聞きつつ 花は紅なり。作品「葉桜と魔笛」の中にある、読者は先刻御承知の太宰さんの歌である。太宰さんが武州御嶽の麓の宿屋に滞在して「正義と微笑」を執筆して居られた時、一日私は御邪魔して一晩泊めて戴き、翌日園子さんを負って奥さんが迎えに来られ、私も一緒に三鷹へ帰った。その折酔筆淋漓、障子紙に書いて下さったのが、この歌である。その後私は徴用になり、三河島の日本建鉄工業株式会社に動員されたが、同じ仲間に経師屋さんがいて、私はその人に頼んで表装してもらった。例の三月十日の空襲に私は下谷竜泉寺町に於て罹災し、その際この書幅と若干の拙作、それに奉公袋を風呂敷包みにして持って逃れた。三鷹の草屋に留守番するようになって、初めてこれを壁間に掲げたのである。客はいま頻りにそれを眺めている。
「ばかにしけじけと眺めているね。軽蔑するかね。これは友人のなんだ。僕が甲府にいた間留守番をしてもらっていた友人のなんだ。ついそのまま懸けっぱなしにしているけど、軽蔑しちゃいけない。」
「この歌はお子さんが生れた時、お詠みになったのですか?」
「いや、どうして?」
「男の子かと思っていたら、生れてみたら女の子だった、そういう感慨の歌じゃないのですか?」
「君にはへんな勘があるね。そうではないんだが。」
「じゃ、なにかロマンチックな意味合いでもあるのですか?」
「さあね、云わぬが花というものさ。酔ったまぎれに酔筆を揮って友人の笑覧に供したまでなのだが、かくの通り立派に表装してしまったね、三月十日の空襲の際には、伝家の宝物の如く大事に持って逃げたというんだ。」
「まあ、感心な方ですわね。やはり小説をお書きになるのですか?」
「うん、お書きになるんだ。」
「誰方ですの?」
「誰方って、名前を云ってみたところではじまらないよ。お書きになっている代物は未だ一ぺんも陽の目を拝んだことがないんだから。」
「まあ、無名な方なのね。素敵ですわ。でも、いずれ御発表になるのでしょ。」
「遊んで食ってゆける身分じゃないから、そのうち開業するだろう。」
「暖簾を分けてあげなさるわけですね。」
「満更知らない顔も出来ないだろうな。」
「ひどく気のないお口振りですわ。私期待して居りますわ。お名前聞かせて戴けません?」
「ばかに熱心じゃないか。見ぬ恋にあこがれるというやつだね。水をさすわけじゃないが、あまり期待しない方がいいよ。」
「まあ、先生からしてそんなことをおっしゃっては、それこそはじまらないじゃありませんか。お友達の開業御披露のためですわ。」
「鈍重な癖に気障な男だから、どんな名乗りをあげるか知らないが、小山清って云うんだ。」顔から火の出る思いであった。これも已むを得ぬ。誰のためでもない、不遇の友達のためだ。開業早々は誰しもこんな気持を経験するのじゃあるまいか。ああ、なんという晴がましさだろう。「小山清なんて可笑しな名前だね。赤面せざるを得ないよ。つつころばしって感じじゃないか。新派のぺえぺえ役者にこんな名前のがいるね。それも田舎廻りだ。もう少しなんとかならなかったものかしら。当人はひどくいい男がっているんだがね。」
「あら、そんなことありませんわ。いいお名前ですわ。なにか澄んだ感じで。シャルル・ルイ・フィリップ、そんな感じですわ。」
「そうかね。僕は不賛成だな。もっとも君は本人を知らないからな。一眼見たら君もその印象を訂正したくなるよ。」
「まあ、そんなお姑さんじみたことばかりおっしゃって。」
「また、まあ、か。どうして君達女性はその、あらだとか、まあだとかいう感歎詞を頻発するのかね。君達がその月並調を止めてくれない間は、僕達作家はいかに努めても、会話の上に新風をもたらすことは出来ないね。」
「いやですわ。それは自己弁解というものですわ。」
「僕がなにを弁解するんだね?」
「先生が会話の描写があまりお上手でないってことは、ゆるぎない定評ですわ。」
小癪な女郎め。今度は軽くお小手というところだな。なかなか味をやるわい。
「へえ、そんな定評があるのかね。初耳だよ。知らぬは亭主ばかりだ。ともかく迂闊だった。御教訓は肝に銘じて忘れないよ。それにしても君は言葉の術には拙ないね。そんな、ゆるぎない、などという人に手錠をはめてしまうような言葉遣いをしてはいけない。そう固く出られると、僕にしてもつい肝に銘じてと云わざるを得ないだろ。そこのところは、やんわりと、そんなお噂があるようですが、位に止めるのが文章術というものだ。君だって見たとこまだ嫁入り前らしいじゃないか。あまり活溌な口をきくのは止め給え。代議士にはなれるかも知れぬが、嫁に貰い手がなくなるぞ。僕はほかのことは知らないが、散文に関しては、ほんの少しだが解る気がするんだ。なんだ失敬な、女の癖に。僕はなにも自己弁解をしているのじゃない。また君を攻撃しているわけでもない。言葉の術に就いて少しく発明したるところを、君に伝授しているんだ。君もそのつもりで傾聴しなければならない。僕は散文に関しては少し解る気がするんだ。勿論自分のことは棚に置いてだが。いや、それもひょっとすると己惚れかも知れぬ。君は嫁入り前、これは解る、いや、なにを云っているのだ、ああ、僕は駄目だ、なにも知っちゃいないのだ、なにも解らないのだ、もう、僕の云うことを、一言も信ずるな。」
これなん、太宰先生得意のしどろもどろ調。ヤンガー・ゼネレエション拍手喝采というところであるが、発声撮影でないのが遺憾の極み。へん、当代太宰治の声色を使わせたら、活殺自在の舌捌き、まず乃公の右に出る者はあるまいて。しかし彼女は、私のその折角の名演技に接しても、さっぱりお感じのない風で、
「いいえ、私としたことが、つい生意気なことを申し上げて、……それで、小山さんでしたわね、やはりその頭脳明晰、才気煥発、」
「もう一つおまけに不羈奔放か。ところが反対なんだ。もそもそとしていていも虫だね。頭の鈍いことは極端だ。例をあげるとね、十年前の屈辱を今日になってはじめて気づき、『俺はあの時辱しめを受けたのだ、俺は憤るべきだったのだ。』と懊悩呻吟のあまり、遂に喘息を惹き起して一週間寝込んじまったという豪傑でね、一事が万事、日常生活ではそんな手遅ればかりやっているんだ。五分間と相対して話して見給え、退屈で閉口するから。いい齢をして人並みに世間話はおろか、時候挨拶さえまんぞくに出来ない。まるで赤ん坊だ。落語にあるだろ、権兵衛や、えらく暑いのう、と云われて、この案配じゃ、山は火事だんべえ、あれだよ。口を開けば、ただもう文学だ。それも最上級の言辞を並べ立てるので閉口しちまうよ。『孤高な態度だけは失いたくありませんね。』『高邁の精神を喚起して死ぬ気でやりましょう。』先生にあっては素面は即ちそのまま陶酔状態だ。」
「真面目な方なのね。」
「真面目なんてそんな生やさしいものじゃないんだ。糞真面目の骨頂とでも云べきものだ。モーニングにシルクハットで銭湯に出かける口だ。しかし野暮もあの位に徹底すると、寧ろユウモラスだね。待合の床の間の置物の如きものだ。」
「それで、お書きになるものは、どうなんです。」
「さて、肝腎のお書きになるものだがね。譬えて云えば、駿河屋の番頭が主人の前で算盤を弾いているようなもので、ただもう実直。額と額とこつんこしたら眼から火が出たというような、ただもう実も蓋もない話。糞リアリズムの骨頂さ。」
「なんですか、さっきからお伺いしていると、悪口ばかりおっしゃってますねえ。お弟子さんなのでしょ。先生がお弟子さんの悪口をおっしゃるものじゃありませんわ。私、一度も拝見したことはありませんけど、きっといい作品をお書きになる方と思いますわ。」
「なあんだ、君こそさっきからいやに小山の肩ばかり持つじゃないか。面白くないね。君は太宰に会いに来たのだろう。小山の話を聞きに来たわけじゃないんだろう。僕は嫉くわけじゃないがね、面白くないね。もう小山の話はよそうじゃないか。談一度小山のことに及んでから、なんだか僕は君と下手な掛合い万才でもやっているような気がしてきたよ。案外僕は万才の書き手にでもなっていたら、成功したかも知れない。こりゃあ、発見だわい。」
実は自家吹聴にも倦きてきたのである。(太宰さん曰く「嘘をつけッ。」)
「文学の糞から生れてきたような人間の話をしていたら、なにやらうっとうしくなってきたね。気分の転換をはかろうじゃないか。なにか怪談はないかね。鏡花以後お化小説も払底した感じだね。原子爆弾の降る世にはお化も住めないか。これは余談だが、原子爆弾というやつは、相撲の方で云う封じ手というやつじゃないかな。例えば雷電の閂とでもいう。」
「そんな気もしますね。そうそう、なんですか、この辺にも爆弾が落ちたそうですね。」
「うん、原子爆弾こそは落ちないが、実は命拾いをしたんだよ。この庭の向うにも家が在ったんだが、あまり破損がひどかったので取り壊してしまったんだ。この家だって爆風で相当痛めつけられているんだよ。いまだって雨が降ると雨漏りがするんだ。この障子に硝子がないのもその時の記念の一つだ。」
空襲騒ぎが一段落して家へ入ったら、敷きっぱなしの蒲団の上に玄関の障子が倒れて、硝子がはずれていた。蒲団の上だったので硝子は壊れてはいなかった。太宰さんは硝子のはずれたのは天の与えとばかり、馴染みのスタンドへ持参し、これを交換物資として酒を所望したのである。「罪と罰」に出てくるマルメラドフなる酔漢は、女房の靴下を呑んでしまうのだが、太宰さんは障子の硝子を呑んでしまったわけである。酒呑みたる資格に於て、いずれが兄、いずれが弟であるか、ドストエフスキイ先生に借問したいところではある。