五
徳川時代の歌を見ても、『さびし』の語を用ゐたのを幾つも拾ふことが出来る。それが新古今系統のものに多く、万葉系統のもの例へば賀茂真淵のものなどにも見当るが、それは真淵の中の新古今風の歌に多い。例へば、『津のくにの難波のあしの枯れぬればこと浦よりも寂しかりけり』。『冬がれに里のわらやのあらはれてむら鳥すだく梢さびしも』。『野も山も冬はさびしと思ひけり雪に心のうかるるものを』。『塩やだにまれなる浦のよそめには煙のすゑも寂しかりけり』などであつて、万葉調に移り得ない前の歌風のものである。併し全体としては、『さびし』の用例は少い。
田安宗武の家集天降言を読むに、やはり数首の用例を拾ふことが出来るが、これも全体としては少い方であり、『さびしも』と止めたのが多く、新古今流の『さびし』と稍違つてゐる。即ち次の如くである。
夏過ぎて秋さりくれば我が宿の荻の葉そよぐ音のさびしも (田安宗武)
松かぜにたぐへてさびし玉川の里の少女が衣うつおと (同)
風冴ゆる池の汀の枯蘆の乱れふすなる冬はさびしも (同)
楯並めてとよみあひにし武士の小手指原は今はさびしも (同)
それから、鹿持雅澄の歌は、純万葉調のものであるから、サビシの例は一つも無いやうで、サブシの例としては、『霍公鳥なかる国にはかくばかり照れる月夜もさぶしからまし』があるのである。平賀元義の歌もまた純万葉調であるが、これも用例が極めて少く、『雪ふりていたも寂しき夕暮に百舌鳥が音遠し逢崎の里』があるくらゐである。これは、意識して態々さうしたといふよりも、万葉調の歌を作つて居れば、新古今調の歌は無くなり、従つて、新古今流の『さびし』の用例が無くなるといふ結果となるのである。
明治になつてから、古今・新古今を宗とする流派の歌には、『さびし』の用例は可なり多い。万葉を学んだ正岡子規の歌にはその用例は少く、『森深み山鳥鳴きてたまたまに人に逢ふさへ淋しかりけり』。『人取りてくらひきといふぬす人の住みにし森を行けばさぶしも』などで、新古今流の『さびし』といふほど深い意味は無く、普通平凡な意味に使つてゐる。子規は寧ろ客観的な人であつたから、自然『さびし』といふ語から遠ざかり、新古今流の歌からも遠ざかつたので、益々この語の用例が少くなつたものと見える。
然るに、その門人の伊藤左千夫の歌になると、サビシ、サブシの用例が増加して来てゐる。今実例を少しく抽いて見よう。
かつしかの田中にいつく神の森の松を少み宮居さぶしも
森中のあやしき寺の笑ひごゑ夜の木霊にひびきて寂し
一花のくれなゐ牡丹床にさせば冬の庵もさぶしくもあらず
かぎろひの夕畑蕎麦の白き花の寒けく見えてこころさぶしも
青野原川ひと筋のながき日をものさびしらに鳴く蛙かも
鳥が音も夕ぐれ寂しのこりたる霜葉の映えに道いそぎつつ
軒の端の梅の下枝の花遠みいたも寂しも吾がひとり居り
妻ごひは誰もするともただ一日居ねば寂しみ我もするかも
山人のつとの兎に冬ごもるいほりの七日さびしくもなし
こもりくの谷の若葉の繁り深み蛙ころろ鳴く声さびしらに
なげしなる槍の塗柄に血潮手に握れるあとを見るが寂しも
わくらはに寂しき心湧くといへど児等がさやけき声に消につつ
秋草のはなのくさぐさ捧ぐれど色はひと日を保たず寂し
日も好きに梅の寂しさ世の人はあまりに春にうとくこそあれ
世の中を憂けく寂しく病む人ら暫し茲に居れだありやの園
冬の日の寒きくもりを物もひの深きこころに寂しみて居り
よみにありて魂静まれる人らすらもこの寂しさに世をこふらむか
帰りせく寂しき胸に霜枯の浅間のふもと日も暮るるかも
しらしらと胡蝶花の葉ひらに降りし花あはれ寂しゑわが心から
此等の例を見るに、左千夫の『さびし』の用ゐ方は、万葉集の『さぶし』に相応するものと、新古今集時代前後の『さびし』の心持をも混へてゐるやうに思へる。これが、雅澄や元義やの使つた例と違ふ点である。