Chapter 1 of 15

左近の上京

夏川左近は久方ぶりで上京のついで古本あさりに神田へでた。そのときふと思いだしたのは大竜出版社のことだ。終戦後の数年間、左近は密輸船に乗りこんでいた。荒天つづきのつれづれに、そのころの記録をつづり「密輸船」という題をつけて大竜出版社へ送ったままになっている。かれこれ一年ぐらい前のことである。むろん原稿を送りこんでいきなり本にしてもらえると思ってもいないが、ちょうど神田へでたついでだから冷やかし半分に大竜出版社を訪ねる気持になったのである。

小さな店構えだ。誰もいない。大声で案内を乞うと、漫画の中の小僧のようなのが奥からチョロチョロとでてきた。

「なんの御用?」

「ボクは一年ほど前に密輸船という原稿を送っておいた夏川左近という漁師ですが、社長か誰かに会えませんか」

「キミ原稿書いたの?」

「そうだよ」

「いま、何してんの?」

「漁師だよ」

「フーン。漁師か。なんて原稿だっけ」

「密輸船」

「ア、そうか。テキは海賊だな」

小僧はチョロ/\ひッこんだ。それから四分の一時間もすぎてから、小僧と一しょに若い娘がでてきた。事務員らしい。まだ子供らしさの多分に残っている少女であるが、知的な目がパッチリかがやいていて、目がさめるような清楚な感じがする。

「原稿さがしてましたので、お待たせいたしました。私、読んだ記憶があるんですけど、いまちょッと見当りませんのでね。お待ち下されば、さがしますけど」

「そうですね。せっかく書いたんだから、さがしていただいて持って帰りましょうか」

「では、どうぞ、上ってお待ち下さいませ」

二階の奥へ通された。そこに五十がらみの小男がいた。左近の顔をチラチラうかがっていたが、娘と小僧が原稿さがしに別室へ去ると、立って近づいて、左近の前へドサリと原稿を一山投げだした。

「方々からこんなに原稿送ってくるんでね。キミ一人じゃないんだ。見てごらん。面白いぜ。しかし、出しても売れねえや」

手にとってみると、一つは「強盗一代記」次のは「節食健康法」とある。

「それ書いたのは有名な強盗なんだ。キミの密輸船くらいじゃアね」

「なるほど。上には上がありますね」

「キミもしかし相当な悪事を重ねたね」

「悪事ではありません。海はボクラの家というだけです」

「キミはいくつだい」

「満二十八」

「海軍出身かい」

「予科練です。父母が戦災で死にましたので、終戦のとき、同じような仲間と徴用の漁船で逃げだしたまま密輸やりだしたんです」

「いまは?」

「網元の家にゴロ/\して、漁師ですよ」

「そうか」男はタバコを吸って考えていたが、

「キミの原稿を本にするわけにはいかないが、どうだい、ここで働いてみないか」

「あなたは誰ですか」

「社長さ。大竜出版社社長吉野大竜」

男は威張って見せたが、小さい大竜だ。左近は笑いたいのを噛み殺した。

「オカの勤めは経験がありませんからダメですね」

「キミなら勤まるんだ。実はね。打ち開けて云うと、社員がみんな逃げたんだ。買収されたんだな。わが社は最近政界官界財界の裏面をバクロしたバクダン的手記を出版することになったのでね。社員が居なくちゃア手も足もでないんだ。うっかりボクが使い走りにでるとぶん殴られる怖れがあるし」

「誰がぶん殴るんですか」

「政界官界財界のボスのコブンだな」

「社員ならぶん殴られないのですか」

「そうでもないらしいがね。先方の言うことをきかないと、やられるかも知れないね。しかし、キミなら顔を知られていないから当分は大丈夫だよ」

「オカは物騒だなア」

「キミみたいな人がそんなことを云うもんじゃないよ。ホレ、この通り。たのむ!」

大竜はイスから立ち上って手を合せて拝んだ。この際、拝みたくもなろうというものだ。骨の髄まで大海の潮がしみこんだ赤銅色。ひねもすノタリ/\というとおだやかな様子だが荒天の無限のうねりを蔵している逞しさ。大竜とうとう左近の手をとって押しいただいて、

「キミの出馬によってこの日本全土が灘となって浪だつ。天下の熱血がわきたつのだ。たのむ! この大竜を助けてくれ。日本の熱血をかきおこしてくれ」

そこへ娘がお茶を、小僧が原稿「密輸船」を持ってやってきた。しばし大竜熱の演技に気をのまれて見とれている。大竜は気がついて、

「これなる美女は西江大将のワスレガタミ、わが社の専務、西江葉子クン。またこれなるは常務理事タコスケ、牛肉屋のセガレだ。この二人は重役だから逃げられない。オイ、重役、キミたちからも頼んでくれ」

「よろしく、たのむよ」とタコスケがいかにもオツキアイというマに合せの声で云ったが、葉子はだまっていた。落城寸前の大竜出版社に見切りをつけたらしい哀れさがただよっている。

左近は考えた。彼の船は三陸沖のサンマを追って帰ってきていま修理にかかっている。一月ぐらいはあまり用のない身体だ。左近は重役が気に入ったのである。葉子がただの女事務員でタコスケがただの給仕ならこうはならなかったかも知れないが、二人が重役で、平社員はキレイサッパリみんな逃げたというのが気に入った。ちょうどその本のでき上るころまではヒマな身体だから、この哀れ奇怪な重役どもに一ピの力をかしてやろうかという気持になった。

「そうですね。ちょうどヒマだから、その本ができるまで、つきあいましょうか」

「ありがたい!」

タコスケが今度は本気によろこんで、とびあがって叫んだ。

「毎晩の宿直にボク音をあげたよ。今夜からウチへ帰って手足をのばして寝られるよ」

「キミは今夜から店へ泊りこんでくれ。仕事は明日からだ。夏川左近氏の入社を祝い、晩メシはスキ焼といこう」

二人の男が歓声を発してそれぞれ仕度に駈け去ったあと、葉子が云った。

「バクダン投げこまれても知らないわよ」

「そんなに狙われてますか」

「社員がみんなやめるほどですものタダゴトじゃアないわ」

「ボクが入社して迷惑なんですか」

「迷惑のはず、ないわ。ぶん殴られてカタワにならないでね」

淡い愛情のこもった目で左近を睨んで、葉子も去った。まんざら迷惑でもないらしい。監視艇の機関銃の目をくぐって密輸の荒波をきりぬけてきた左近は街のアンチャンのバクダンぐらい浜のアブと同じぐらいにしか珍しくもなかった。しかし浜の人たちに上乗の東京ミヤゲができそうだ。と考えて、彼自身もまんざらでない気持であった。

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