Chapter 6 of 17
一門の栄華
平家一族は、高位、高官の顕職を、ほしいままにし始めた。一寸見廻しただけでも、長男重盛は、内大臣兼左大将、次男宗盛は、中納言右大将、三男知盛が三位中将、孫の維盛が四位少将といった具合である。このほかに数えあげれば、きりがないくらいで、参議、大、中納言、三位以上の公卿十六人、殿上人三十余人、各地の地方官がざっと六十何人という盛況だった。
清盛は、息子のほかに、八人の娘を持っていたが、これ又、揃いも揃って、権門、貴顕に縁づいている。即ち、花山院左大臣の奥方、建礼門院といわれた安徳天皇の生母、六条摂政、藤原基実の奥方で白河殿と呼ばれた人、普賢寺藤原基通夫人、冷泉大納言夫人、七条修理大夫夫人、今一人は、白河法皇の女御で、最後は、の御方と呼ばれる、花山院の上であった。