Back
現代語訳 平家物語 09 第九巻
Table of Contents
現代語訳 平家物語 09 第九巻
作者不詳
Reading Settings
Font size
18px
Theme
Light
Dark
Sepia
Eye care
Line spacing
Reading mode
Translation Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 7 of 19

三草勢揃え

寿永三年正月二十九日、範頼、義経は院の御所へ参上、平家追討のため西国に出発する旨奏上すれば、院は、神代から伝わるわが国の三種の神器をつつがなく都へとりもどすよう仰せられた。

二月四日、福原で平家は、故清盛入道の命日というので仏事が行なわれた。戦乱に明け暮れる毎日に、月日の過ぎるのも忘れていたが、年も明け春が訪れていたのである。世が世ならどんな寺や塔ででも、仏の供養が出来たのに、今はただ、公達が集まって嘆き悲しむばかりである。福原ではこの清盛の供養とともに、人々の任官が行なわれ、僧俗の別なく皆に官位が与えられた。中でも、中納言教盛を正二位の大納言にするということを宗盛が発表すると、

今日までもあればあるかのわが身かは

夢の中にも夢を見るかな

と歌で返事をして、この官位を辞退したのであった。主上は京を出られてはおるが、三種の神器を携えて天位につかれているのだから、叙位任官が行なわれても何ら不都合ではなかったのである。一方、京にいる人々は、平家がすでに福原まで攻めのぼって来ていることを聞いて勇み立つ者も多かった。その中でも、二位僧都全真は、梶井宮と長年の間同宿の間柄であったので、互に何かと音信を交わしていた。都の宮より文が来た。旅先のこととて、さぞかしお苦しみのことと存じますが、こちらの都も平穏ではありません、などと詳しく記し、その後に歌一首が添えられてあった。

人知れず其方をしのぶ心をば

傾く月にたぐえてぞやる

これを読み終った僧都は、手紙を押しいただいて顔にあて、涙を流した。

また小松の三位中将維盛は、故郷に残してきた妻子の身の上ばかり思っていた。商人などにことづけて、手紙を交わすにつれて、不安な都で生活を送る妻子の様子がわかり、心を痛めていたが、さりとてここへ迎えても妻子のためにならぬ、あれを思いこれを悩んでは、終日沈んでいた。

さて、二月四日、源氏は福原を攻める予定であったが、故入道の忌日と聞き、仏事をすまさせるため攻撃はひかえた。五日は西方がふさがり、六の日はこれまた日が悪いというのでとりやめ、七日の朝六時に一の谷の東西の木戸口で源平両軍矢合せと決定した。しかし四日は吉日であるというので、大手、搦手の二手に分れ攻め下っていった。

大手の大将軍には、蒲御曹司範頼、これに伴う人々は、武田太郎信義、加賀美次郎遠光、同小次郎長清、山名次郎教義などがあり、侍大将には、梶原平三景時、嫡子源太景季、稲毛三郎重成、榛谷四郎重朝、小山小四郎朝政などを先がけとして、その軍勢五万余騎、四日の朝八時ごろ都を立ち、その日の夕方に摂津の昆陽野に陣をとった。

搦手の大将軍には、九郎御曹司義経、伴う人々は安田三郎義定、大内太郎惟義、村上判官代康国、田代冠者信綱などがあり、侍大将には土肥次郎実平、三浦介義澄、畠山庄司次郎重忠、和田小太郎義盛、佐々木四郎高綱、熊谷次郎直実、子の小次郎直家、平山武者所季重、奥州の佐藤三郎嗣信、江田源三、熊井太郎、武蔵坊弁慶などを先がけとして、その軍勢一万余騎、四日の朝八時に都を立ち、丹波路を通り、二日の行程を一日で強行軍して、丹波と播磨との国境にある三草山の東の麓、小野原に布陣した。

Chapter 7 of 19
|