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勝ち運負け運
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佐々木邦
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Chapter 9 of 12

縁談の駈引

その晩、僕達四人は「叶」という家で顔を合せた。僕も菊太郎君も待合は初めてだった。実は在学中から二人の間に約束があった。それは卒業したら、お祝いに待合へ行って、思い存分騒いで見ようということだった。何方から言い出したのか忘れてしまったが、余り好い心掛けでない。尤も菊太郎君が病気になったものだから、実行の運びに至らなかった。今回はその埋め合せもあった。「叶」という家を撰んだのも僕が縁起を祝ったのである。縁談だ。叶ってくれなければ困る。それから菊太郎君と僕は兎に角若旦那だ。丸尾さんは僕の店の使用人で高野君はその友人だ。遠慮があるといけない。僕はその点も考えて、斡旋に努めた。何か一緒にやると、頭の好い方がどうしても余計に気を使う。

「君、こゝは『叶』って家だね。縁談の打ち合せに『叶』とは幸先が好い」

と菊太郎君は今更大発見の積りだ。斯ういうのは長生が出来る。

話の模様によると、高野君は矢田家に大分信用がある。主人のみならず、奥さんの御用を足しているのだから、兎に角、高野君に橋渡しを頼むことになった。高野君が瀬踏みをして、直ぐ後から然るべき仲人が乗り込む。それには誰を煩わそうかという評定に移って、僕の親父が最適任者と定った。

「若旦那、宜しゅうございましょうね?」

と丸尾さんは議長格だ。

「合点々々」

「御自分のことゝ違いますから、御信用があります」

「変なことは言いっこなし」

「ハッハヽヽ」

「ところで市※さん、お宅の御両親の方はどうなっているんですか?」

と高野君が訊いた。菊太郎君の落ちつかない様子で疑問を起したのらしい。

「流石に米喜の高野君です」

「はあ?」

「お目が利いています」

「洒落ですか?」

「いや、実は未だちっとも耳に入れてないんです」

と市※の菊太郎君は頭を掻いた。

「何うもそうだろうと思いました」

「言い出し難いんです」

「御両親の御同意が根本でしょう。これは未だ橋渡しなんてことじゃありません」

「斯ういう好い候補者があるからっと、一つあなたからお勧め願いたいんですが」

「さあ」

「先方が先方ですから、異存は申しますまい」

「丸尾君、これは何うしたものだろう?」

と高野君は持て余した。

「これは若旦那、差詰めあなたがお気を利かして差上げるんですな」

と丸尾さんは高野君に答えずに、僕の方へ向き直った。

「僕が市岡君のお父さんを説くんですか?」

「へい。初めから御存じのことですから、あなたが一番御適任です」

「日出男君は適任過ぎて困るんです。僕としては少し見識を立てたいんですから」

と菊太郎君は註文をつけた。

「それは何ういう意味だい?」

「君は何も彼も知っているから、洗い浚いに喋るに定っている」

「しかし事情を話さなければ分るまい?」

「話さなくても分る法があるんだ。僕は見初めたなんてことは親父の耳へ入れたくない。良い縁談があるからと勧めて置いて貰って、僕としては否応なしに首を縦に振る形にしたいんだ」

「贅沢を言うな。見識の問題はもう疾うに通り越している」

と僕が極めつけたものだから、丸尾さんと高野さんが笑い出した。

「そんな勝手な註文をつけるなら、僕はもう構わないよ」

「それじゃ君でも宜い」

「張合のない頼み方をするんだね」

「君が一番有効なことを分っているんだけれど、一寸慾が出たんだ。お手軟かにやってくれ給え」

「納得して貰うためにはかなり立ち入って話さなければ駄目だよ。ソモ/\の初めから、僕を瞞して引っ張り廻したところまで」

「仕方がない。宜しく頼む」

と菊太郎君はすべてお他力のくせに贅沢を言う。

「それじゃ引受けた。明日の晩、お父さんにお目にかゝって話そう」

「こゝ二三日は一寸具合が悪いんだよ」

「何故?」

「手張りの方がある。明日あたり露顕して、首尾が悪くなるに定っている」

「成程」

と僕も自分に覚えがある。

「市※さんは今日から場へお出になったばかりじゃありませんか?」

と丸尾さんが驚いた。

「はあ」

「もうおやりになったんですか?」

「つい。ハッハヽヽ」

「何方も何方ですな、これは。買いですね?」

「はあ」

「幾ら引かれているんですか?」

「二円口です。百の二百円。厭な心持のものですな」

「明日の頃はまだ下りましょう」

「脅かしちゃいけません」

「この陽気に買いってことはないでしょう」

「見ず転ですよ。第一日に百買って一生の運勢を試めそうってことを病院にいる時から考えていたんです。これを損で仕舞うようなら駄目、辛抱して何とか仕上げるようなら前途有望、即ち天下分け目の関ヶ原です」

「面白いですな」

「実は僕も買っているんです」

と高野君が溜息をついた。

「道理で元気がないと思った。幾つ引っかゝっているんだい?」

「五十さ」

「一寸百両か? 銭遣いが荒いね」

と丸尾さんは他のことだから諢い半分だった。それから商売の話が始まった。卒業祝いもやったけれど、引かれている人が二人あるから、余り弾まなかった。

菊太郎君は辛抱がよかった。一生の運試めしと思うから、なんとかしてトン/\ぐらいに仕上げたい。側で見ていると、岡目八目でよく分る。見す/\いけないものを頑張っている。曲るという言葉があるが、本当に頭が曲ってしまうのだ。しかし一週間後に精も根も尽きて投げ出した。

「どうだい? 初陣の功名は」

と僕は冷かしてやった。

「大きかったよ」

「幾らやられたんだい?」

「四百円足らずだ。一時はもっと行くところだったけれど、直観が動いたから、辛抱がつゞいたんだよ。しかしもう懲りた」

「家の首尾は?」

「迚も悪いんだ」

「乗り込もうか?」

「当分いけない」

と菊太郎君は元気がなかった。

僕が菊太郎君のお父さんの面前に現れたのはそれから半月ばかり後だった。

「実は菊太郎君のことにつきまして、折り入ってお願いに上りました」

と改まったら、市※さんは腕組をして小首を傾げた。

「又やったんですか?」

「いや、その方じゃございません」

「それじゃ何をやったんですか?」

と与太息子を持った親父は気の毒なものだ。どうせ何か仕出来すと常住覚悟をしているのらしい。

「実は御縁談です」

「はゝあ」

「実は菊太郎君には貰いたい人があるんですけれど、事情が事情ですから、御自分では申上げられないんです」

と僕はこのところ、一寸利かした積りだった。心配させて置いて後から安心させる方針だ。

「事情が事情と申しますと?」

「実は僕から申上げ難いんです」

「どうぞ御遠慮なく」

「早いお話が、菊太郎君の方から見初めてしまったんです」

「何んな婦人ですか?」

と市※さんは果して急き込んだ。当然カフェーあたりへ見当をつけたのだろう。

「これが女給とか芸者とかいうものなら、僕だって御相談には乗りません。しかし菊太郎君はナカ/\純な人です」

「悪いことはしまいと思いますけれど、相手は何者ですか?」

「○○生命の重役の令嬢です」

「はゝあ」

「去年の秋からです。始終一緒の僕さえ一杯食ったんですから、お家の方が御存知ないのも無理はありません」

と僕は物語りに移った。菊太郎君の見識を保護してやる必要は少しも認めない。市※さんは中途で奥さんを呼んで、僕に初めから話し直させた。僕としては菊太郎君のお母さんには豊子さんの件で見識を失っているから、その腹癒せが手伝った。しかしそれだけに有効だったろう。

「まあ/\、呆れたものでございますわね」

とお母さんは聴き終って驚いた。

「実際思い詰めているんです。不真面目な人なら兎に角、純情家ですから」

「然う自分一人の料簡で定めてしまっても仕方ありませんわ」

「しかしこの頃の青年は皆然うでしょう」

「然うでございますの?」

「思想が解放されていますから、写真で見合をして配偶者を定めるというような古いことは好みません。自分で候補者を物色して、正々堂々と申込みます」

「あなたもその組?」

「はあ」

「それは思召し通りに事が運べば結構でございますけれど、先様からお断りを受けた場合は何うなさいますの?」

「その時は種々と方法があります。お薬を戴くとか、大島へ行くとか」

「厭でございますよ、日出男さん」

「ハッハヽヽ」

と僕は冗談に託けて脅かしてやった。

しかし市※さんはナカ/\そんな手に乗らない。僕の親父同様地道一方で、空想という要素が些っともない人だ。

「その高野さんって方が先方へ出入りをしていて心安いから、私達さえ承知なら、橋渡しをして下さると仰有るんですね?」

「はあ」

「年来の御懇意ですか? 高野さんとは」

「いや、つい近頃店の丸尾が紹介してくれました。丸尾とは同郷で親友です」

「丁度好い人がありましたね」

と市※さんは取調べの態度になった。

「実は菊太郎君が早く行動を取ってくれと頻りに仰有るんですけれど、手蔓を探さなければ仕方がありませんから、僕は困り切って、丸尾に相談したんです。すると丸尾は重役なら実株を買うだろうから、同業の中に出入のものがあるに相違ないと定めて、問い合せました。親友ですから、先ず高野君に相談したんでしょう。世の中は狭いものです。高野君が出入りでした」

「成程」

「それも実株じゃありません。短期を盛んにやっていますから、高野君としては書き入れのお得意先です」

「はてね」

「御主人ばかりでなく、奥さんも御道楽です」

「短期がですか?」

「はあ」

「はてね」

「御主人と競争です。御主人が買いなら、奥さんは売りという次第で、鎬を削っているそうです」

「夫婦揃って株をやるような家庭は何んなものでしょうかね?」

「さあ」

「私としては余り感心しませんよ」

「しかしお互は株で飯を食っているんじゃありませんか?」

「それは然うですけれど」

「市※さん、失礼ながら、只今のお言葉は株屋の足をお洗いになってから仰有ることだろうと存じます」

と僕は強気に出てやった。

「降参しました」

「ハッハヽヽ」

「しかし同じ株屋をしていても、お宅や私達のところは他の商売人よりも手堅いんですから、矢っ張り念を入れます」

と市※さんは奥さん諸共尚お矢田家の事を種々と訊いた後、

「飛んだ御厄介をおかけして、何とも申訳ございません。右から左へは定められない話ですから、何れ又日を改めて御相談に上りましょう」

「一つ高野君を呼んでお尋ね下さいませんか?」

「それも是非お願いしたいと思っています。私達の貰う嫁じゃありませんから、菊太郎さえ気に入れば申分ない筈です。何れ相談の上、改めてお願い申上げることになりましょうから、何分宜しく」

「お役に立てば結構です」

と僕は何うやら使命を果した。

「私、思い当りましたわ。あなたのお出になる少し前に菊太郎は大急ぎで出て行きましたが、巧く外したんでございますね」

とお母さんが笑った。

「打ち合せがしてあるんです」

「敵いませんわね」

「僕の家で待っています」

「まあ! それじゃお父さんもお母さんも御存知?」

「薄々感づいています。知らぬは御両親ばかりでしょう」

「まあ/\」

「カフェーへでも行って遊んでいれば宜いのに、気が小さいんですね。神妙に僕の部屋で待っていますから、何か仕出来したのを僕がお詫びに上ったような恰好です」

「馬鹿な子ね、本当に」

「お父さんが無暗に怖いんでしょう」

「主人は厳し過ぎますから、斯ういう時に間違いが起りますわ。あなた、お叱りになっちゃ駄目ですよ」

「叱るものかね」

と市※さんは充分理解しているようだった。

「それでは何分宜しく」

と僕はもう逃げ腰になった。

「恐れ入りますが、菊太郎に直ぐ帰るように仰有って戴きます」

とお母さんは甘い。

間もなく高野君がポツ/\と活動し始めた。先ず市※さんへ再三招かれて、矢田家について知っているところを答えた。市※さんは流石に堅い人だと感心して、その都度僕と丸尾さんに話の内容を報告した。それからイヨ/\橋渡しをすることになったが、市※さん同様念を入れる人だから、いつも切出し兼ねて帰って来た。尤も商売で行った序に、それとなく気を引いて見て、調子が好かったら話込むようにという註文だった。

「御主人と奥さんと両方御機嫌の時にしようと思っても、何方か必ず悪い。それというのが、御主人が買いなら、奥さんは売りだろう。奥さんが買いなら、御主人は売りだろう」

と高野君が説明した。

「いつも同じことを言っている」

と丸尾さんが貶しつけた。

「昨夜は御主人が特別悪いんだ。売りだろう。そこへ持って来て相場が高い。『おれは高いのは嫌いだ。高野なんて人間は名前からして気に入らん』と言うんだ。名前からして気に入らない人間が縁談を切り出しても事を毀すばかりだろう」

「奥さんに話せば宜いじゃないか?」

「然うは行かない。いつも同席だ」

「兎に角、市※さんがお待ち兼ねだ」

「市※の若旦那、少し手間を取っても、危気のない方がようございましょう?」

「結構ですとも。信頼していますから、何分宜しく」

と菊太郎君も急き立てる次第に行かない。

高野君は念を入れた丈けのことがあった。或朝、場で顔を合せると直ぐに、

「金子さん、好い塩梅ですよ」

と言いながら寄って来た。

「それは/\」

「昨夜は久子さんの誕生日でした。偶然行き合せて、御馳走になりました。その折、お年の話から、もうソロ/\お婿さま探しでございましょうと僕が気を引いて見たんです。『これは一つ高野さんにお頼みして置くことですね。お顔がお広いから、屹度お心当りがおありでしょう?』と奥さんが仰有いました」

「成程」

「ありますともと僕が意気込んだから、『でも株屋さんは困りますよ』と来ました」

「はゝあ」

「株屋でも私のような才取りは問題になりませんが、大きな店の若旦那なら如何ですかとやりました。『株屋は駄目だよ。いつ没落するかも知れない』と御主人は頭ごなしです」

「形勢が好くないんですね」

「僕も斯うまで株屋を軽蔑されては男が立ちません。何とも言わずにポケットへ手を入れて、ピストルを出しました」

「嘘をつき給え」

「ハッハヽヽ」

「何うしたんですか?」

「実は出鼻を挫かれて落胆してしまったんです。しかしこれでお仕舞いにしたんじゃ折角持ち出して封じられたようなものですから、後刻応接室へ戻って御主人夫婦と差し向いになる早々、遮二無二に切り出しました。一生懸命になると、僕もこれでナカ/\雄弁家です。市※さんの財産格式、家庭円満、菊太郎君が唯の若旦那と違って大学卒業の秀才のこと、豊子さんが大蔵省の高等官に片付いていること、それからそれと滔々と申述べて、下さる下さらないは兎に角、橋渡しを頼まれて来た私の男を立てゝ下さいと悃願しました」

「成程」

「御主人夫婦は好い印象を受けたようです。種々と菊太郎君のことをお訊きになりましたから、始終あの近辺をうろついたことまで話しました」

「その方が同情を惹きます」

「大笑いをなすった後、それほどの御執心なら、兎に角考えて見ましょうと仰有いました」

「有難いです。お手柄ですよ」

「いや、万事これからです」

「早く菊太郎君に知らせてやりたいんですが、今朝は晩いですな」

「昨夜帰りによって逐一お話し申上げました」

「然うですか? 大喜びをしたでしょう?」

「はあ。仲人もするものだと思いました。手を合せないばかりです。今朝はもう安心して落ちついているんでしょう」

「成程。普段は吉報を聞こうと思って早く来るんですよ。現金な男です」

「僕は兎に角有望だと思っています。何れその中にあなたのお父さんの御出動ってことになりましょう」

「もう早手廻しに頼んであります。有難うございました。本当にお蔭さまです」

と僕は高野君の労を多とした。

もう七月に入って暑い盛りだった。しかし菊太郎君も僕も学生時代と違って、避暑どころでない。周囲が周囲だから、一生懸命だ。菊太郎君は差当り特別実直に立ち働く必要がある。

「何うだい? 僕は今日一寸の間に四十両掬ったよ」

と言って、僕が素敏いところを見せても、一向興奮を感じない。

「僕は今大切のところだ」

「至って神妙だと思って感心している。息抜きに何処かへつれて行こうか?」

「厭だよ。僕の身体にはスパイがついているかも知れない」

「まさか」

「高野君が言ったもの。貰ってしまうまでは余所行きの心持でいなければ危いって」

と菊太郎君は高野さんの脅かしを真に受けている。それが僕の入れ智恵だとは気がつかない。僕は斯ういう時だと思って、種々と芸当をさせてやる。暗示の利くこと実に妙だ。矢田さんは朝五時に起きて散歩をすると高野君を通して言わせたら、翌朝から五時に起きて彼方此方歩き廻っているらしい。

「朝早いと家が皆締まっているから方々の看板ばかり目につくよ」

と感想を洩らしていた。スパイがついていると思うから、善行を見せる努力をする、まるで小学生だ。スパイが朝五時から来るものか?

しかし八月に入ってからは流石に焦り始めた。

「何うしたんだろうね? 君。もう何とか音沙汰がありそうなものだけれど」

「調査中だというじゃないか?」

「しかし余り手間が取れる。もう一月たっている」

「些っと長いね」

「握り潰しにするんじゃあるまいか?」

「高野君も緩慢だな、尤も本式の仲人の資格じゃないから、催促が出来ないんだろうけれど」

「御主人が買いなら、奥さんが売りで、奥さんが買いなら、御主人が売りさ」

「両方好い時がないから困りますと来る」

「言うことがいつも定っているから癪に障る」

「スパイがついているってのは嘘だろうね?」

「いや、調査中なら、ついていると見なければならない。しかし僕だって然う/\は続かないよ。もうソロ/\油が切れる」

と菊太郎君も、この辺が本音だろう。

「実は僕も感心しているんだ」

「万事お預けだからね。苦しいよ」

「一つどうだい? 好いところを発見したから、つれて行ってやろうか?」

「御免だ」

「この間から訊こうと思っていたが、君はこの頃毎朝早いのかい?」

「うむ。五時に起きて散歩する」

「それじゃその誤解だな」

「何が?」

「市※の若旦那は夜泊りをして毎朝早く帰って来るって評判だ」

「冗談じゃないぜ」

「家の女中が言っていたよ。散歩の帰りを見かけたんだろう」

「迷惑千万だ」

「スパイがそんな早合点をして注進したのかも知れないよ」

と僕は諢ってやった。

「当り前なら、もう疾うに此方の写真を要求する筈だ。先方からは寄越さないにしても」

「成程。此方の馬面は御存知ないんだね」

「何だって?」

「ハッハヽヽ」

「僕はあれから何枚も写して持っているんだ」

「一つ高野君に持って行って貰ったら何うだね?」

「それも考えている」

「斯ういう代物だからって、カタログを見せて置く必要があるよ」

「しかし先方から来ない中に持って行くのは不見識だとも思うんだ。此方が貰うんだからね」

「少しは理性が残っているのかい?」

「君は言うことが一々変だね。失敬だぞ」

と菊太郎君はプリ/\した。

高野君は尚おしばらく持て余した。菊太郎君から催促されても、先方へ催促することが出来ない。こゝでお父さんが踏ん張れば発展の余地があるけれど、相変らず念入りだ。余り懇望すると後々のためにならない。嫁の候補者は幾らもあるという意見らしかった。功利主義に根柢を置いている。随って急がない。高野君の話によると、矢田さんの方もどうやら然うらしい。

「実はあゝいう綺麗なお嬢さんですから、縁談が他にもあるんですよ。相応の仲人が入っているんですから、その方を先に当って見て、具合が悪いようなら、此方へ廻って来るんでしょう」

と僕にだけ形勢不利という疑懼を洩らした。

「それは困りますね。此方が先口の積りで待っているんですから」

「僕もその積りでいたんですけれど」

「有望だと仰有ったじゃありませんか?」

「申訳ありません。しかしその後有力な候補者が現れたものと見えます」

「それじゃ黙っていれば危いんでしょう?」

「はあ。御主人と奥さんの見込が始終違っていますから……」

「それは分っていますよ」

「此方から切り出す機会が尠い上に、先方でも成るべく問題を避けるような傾向があるんです」

「もっと早く仰有って下されば、僕が直接乗り込んで結着をつけたんですけれど」

「しかし今でも晩くはないでしょう」

「僕、一つやりましょうか? 駄目になるのを黙って待っているよりも口をきいて見る方が友情でしょう?」

「無論然う願えれば結構です。僕は資格がありませんから、遠慮が先立って、つい/\引っ込み思案になるんです」

「紹介して下さい。早速行って見ます」

「実は今晩追敷をいたゞきに上りますから、何ならお供致しましょうか?」

「丁度好い都合です。しかしいつも追敷々々ですね」

「奥さんの方です」

「すると御機嫌が悪いんでしょう?」

「その代り御主人の方はホク/\です。高野って奴は名前からして感じが好いと来ますよ」

「それじゃ御主人に会いましょう」

と僕も斯うなれば本気だ。

菊太郎君には内証だった。見殺しにするよりも、努力をしたという意識があれば凌ぎ好い。誠意でやることだから、後から話せば理解して貰える。そこでその晩、僕は高野君について乃木坂の矢田家へ乗り込んだ。高野君が予め電話で打ち合せたら、差支えないということだった。

「この方は金万の若旦那で、先般申上げました市※の若旦那の親友でございます。先般お願い申上げましたお話について伺いましたから、何分宜しく」

と高野君が用件まで明瞭に紹介した。

事務取引が先だった。高野君の予言の通り、矢田さんは満悦らしかった。

「今夜は些っと御褒美を出さなければなるまいかな?」

と言った。これに反して奥さんは、

「何うもこれはお年貢になりそうね。主人の直観も案外馬鹿になりませんわ」

と忌々しそうだった。昨今の相場では追敷が年貢になるに定っている。

「僕の店も堅実一方ですから、何うぞお引き立てをお願い申上げます」

と僕は何となく具合が悪かったから冗談を試みた。

「いけませんよ。人の縄張りへ来て宣伝なんかなすっちゃ」

と高野君が本気になって慌てたので、大笑いになった。

それから僕は直ぐに切り出した。

「突然で失礼ですけれど、僕、市岡君とは特別関係ですから、御推薦の為めに上りました」

「恐れ入ります。実は高野君からお話を承わったまゝ延び/\になっているものですから」

と矢田さんが受けた。

「僕は市岡君とは同じ年の同じ月の同じ日に生れて、小学校中学校大学ともズッと同級で、現在も隣り同志の同業でございます」

「はゝあ。成程これは特別の御関係ですな」

「市岡君のことは何でも知っている積りでございますから」

奥さんは妙な人間が現われたと思ったのか、僕の顔をじっと見ていた。実際、僕としては出る幕でなかったかも知れない。力瘤を入れ過ぎて、少し常識を欠いたような心持がした。

「実は、その、金子さん」

と矢田さんは名刺を透して見て言うのだから心細い。

「はあ」

「先口が二つあって、その方からヤイ/\言われたものですから、市岡さんの方はまだ白紙のまゝですよ」

「はゝあ」

「何れ書き込みの時、御相談申上げることになりましょうから、その節は何分宜しくお願い申上げます」

「承知致しました。真に差出がましくて申訳ございません」

「いや、一向。親友のことをお案じになるのは御道理です。決して御遠慮には及びません。私もお近づきになって仕合せです。御商売のお話でもどうぞ御ゆっくり」

折から果物を薦めた人は先にお茶を持って来た女中でなかった。妙に見知り越しの感じがすると思った刹那、視線が行き会った。

「あら!」

と先方が口走って、会釈をした。僕も答礼して、つい後姿を見送った。

「御存知でいらっしゃいますの?」

と奥さんが訊いた。初めて僕に言葉をかけてくれたのだった。ナカ/\お見識が高い。

「あの方、東京病院の看護婦さんでございましょう?」

「はあ。あなたは御入院でもなすったんでございますか?」

「僕じゃありません。今のお話の市岡君です。この春チブスをやって、四五十日入っていました」

「まあ/\」

「実に親切な看護婦さんでした。それですから、名前まで覚えています。秋山さんでございましょう?」

「はあ」

「お家に御病人でもおありでございますか?」

「いゝえ」

「もう看護婦は廃業したんですよ」

と矢田さんが横から口を出した。

「はゝあ」

「矢っ張り家庭の人になりたいんで、先頃から家で行儀見習です。家内の身寄になっていますから」

「思いがけない人にお目にかゝりました」

と僕は何となく不安を感じた。菊太郎君が高熱中度々失禁したことなんか喋られると、如何にもダラシのない人間のように思い込まれる。尚お回復期に入ってから物を食いたがって僕に喧嘩を吹っかけたこともある。二人の間の余り高尚でない雑談も秋山さんは悉皆聞いているのである。

Chapter 9 of 12
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