Chapter 1 of 4

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流行暗殺節

佐々木味津三

「足音が高いぞ。気付かれてはならん。早くかくれろっ」

突然、鋭い声があがったかと思うと一緒に、バラバラと黒い影が塀ぎわに平みついた。

影は、五つだった。

吸いこまれるように、黒い板塀の中へとけこんだ黒い五つの影は、そのままじっと息をころし乍ら動かなかった。

チロ、チロと、虫の音がしみ渡った。

京の夜は、もう秋だった。

明治二年! ――長らく吹きすさんでいた血なまぐさい風は、その御一新の大号令と一緒に、東へ、東へと吹き荒れていって、久方ぶりに京にも、平和な秋がおとずれたかと思ったのに、突如としてまたなまぐさい殺気が動いて来たのである。

五人は、刺客だった。

狙われているのは、その黒板塀の中に宿をとっている大村益次郎だった。――その昔、周防の片田舎で医業を営み、一向に門前の繁昌しなかった田舎医者は、維新の風雲に乗じて、めきめきと頭角を現わし、このとき事実上の軍権をにぎっている兵部大輔だった。軍事にかけては、殆んど天才と言っていい大村は、新政府の中枢ともいうべき兵部大輔のこの要職を与えられると一緒に、ますますその経綸を発揮して、縦横無尽の才をふるい出したのである。

国民皆兵主義の提唱がその一つだった。

第二は、軍器製造所創設の案だった。

兵器廠設置の案はとにかくとして、士族の特権だった兵事の権を、その士族の手から奪いとろうとした国民皆兵主義の提案は、忽ち全国へ大きな波紋を投げかけた。

「のぼせるにも程がある。町人や土百姓に鉄砲をかつがせてなんになるかい」

「門地をどうするんじゃ。士族というお家柄をどうするんじゃ」

その門地を倒し、そのお家柄を破壊して、四民平等の天下を創み出そうと豪語した旧権打倒御新政謳歌の志士が、真っ先に先ずおどろくべき憤慨を発したのである。

その声に、不平、嫉妬、陰謀の手が加わって、おそろしい暗殺の計画が成り立った。

「奴を屠れっ」

「大村初め長州のろくでもない奴等が大体のさ張りすぎる。あんな藪医者あがりが兵部大輔とは沙汰の限りじゃ」

「きゃつを屠ったら、政府は覆がえる。奴を倒せ! 奴の首を掻け!」

呪詛と嫉妬の声が、次第に集って、大楽源太郎、富永有隣、小河真文、古松簡二、高田源兵衛、初岡敬治、岡崎恭輔なぞの政府顛覆を計る陰謀血盟団が先ず徐々に動き出した。

五人は、その大楽源太郎の命をうけた、源太郎子飼いの壮士たちだった。

隊長は、神代直人、副長格は小久保薫、それに市原小次郎、富田金丸、石井利惣太なぞといういずれも人を斬ることよりほかに能のないといったような、いのち知らずばかりだった。

狙ったとなったらまた、斬り損じるような五人ではない。兵器廠設置の敷地検分のために、わずかな衛兵を引きつれてこの京へ上っていた大村益次郎のあとを追い乍ら、はるばる五人はその首を狙いに来たのである。

「どうします。隊長。すぐに押し入りますか」

斬らぬうちから、もう血の匂いでもがしているとみえて、鼻のひしゃげた市原小次郎が、ひしゃげたその鼻をくんくんと犬のように鳴らし乍ら、隣りの神代の袖をそっと引いてささやいた。

「奴、晩酌をたのしむくせがありますから、酒の気の廻ったころを見計って襲うのも手でござりまするが、――もう少し容子を見まするか」

「左様……」

「左様という返事はありますまい。待つなら、待つ、斬りこむなら斬りこむように早く取り決めませぬと、嗅ぎつけられるかも知れませぬぞ」

「…………」

しかし、神代直人は、どうしたことか返事がなかった。――屋守のように塀板へ平みついて、じっと首を垂れ乍ら、ころころと足元の小石にいたずらをしていたが、突然クスクスと笑い出したかと思うと、吐き出すように言った。

「変な商売だのう……」

アハハ、と大きく笑った。

同じ刺客は刺客でも、神代直人は不思議な刺客だった。これまで直人が手にかけたのは、実に八人の多数だった。しかし、そのひとりとして、自分から斬ろうと思い立って斬ったものはなかった。八人が八人とも、みんな人から頼まれて斬ったものばかりだった。

それを今、直人は思い出したのである。

「しょうもない。大村を斬ったら九人目じゃ。アハ……。世の中には全く変な商売があるぞ」

「笑談じゃない。なにをとぼけたこと言うちょりますか! 手飼いの衛兵は、少ないと言うても三十人はおります。腕はともかく鉄砲という飛道具がありますゆえ、嗅ぎつけられたら油断はなりませぬぞ! すぐに押し入りまするか。それとも待ちまするか」

「せくな。神代直人が斬ろうと狙ったら、もうこっちのものじゃ。そんなに床いそぎせんでもええ。――富田の丸公」

「へえ」

「へえとはなんじゃい。今から町人の真似はまだちっと早いぞ。おまえ、花札でバクチを打ったことがあるか」

「ござりまするが――」

「坊主の二十を後家ごろしというが知っちょるか」

「一向に――」

「知らんのかよ。人を斬ろうというほどの男が、その位の学問をしておらんようではいかんぞよ。坊主は、檀家の後家をたらしこむから、即ち後家ごろし、――アハハ……。わしゃ、おん年十六歳のときその後家を口説いたことがあるが、それ以来、自分から思い立って仕かけたことはなに一つありゃせん。天下国家のためだか知らんがのう。斬るうぬは、憎いとも斬りたいとも思わないのに、人から頼まれてばかり斬って歩くのも、よくよく考えるとおかしなもんだぞ」

「馬鹿なっ。なんのかんのと言うて、隊長急におじけづいたんですか!」

「…………」

「折角京までつけて来たのに、みすみす大村の首をのがしたら、大楽どんに会わする顔がござりませぬぞ」

「…………」

「あっ、しまった隊長! ――二階の灯が消えましたぞ!」

「…………」

「奴、気がついたかも知れませんぞ!」

せき立てるように言った声をきき流し乍ら、直人は、黙々と首を垂れて、カラリコロリと、足元の小石を蹴返していたが、不意にまた、クスリと笑ったかと思うと、のっそり顔をあげて言った。

「では、斬って来るか。――小次! おまえ気が立っている。さきへ這入れっ」

飛び出した市原小次郎につづいて、バラバラと黒い影が塀を離れた。

あとから、直人がのそりのそりと宿の土間へ這入っていった。

「どこへ参ります! お待ちなさりませ!」

「…………」

「どなたにご用でござります!」

異様な覆面姿の五人を見眺めて、宿の婢たちがさえぎろうとしたのを、刺客たちは、物をも言わずに、どやどやと土足のまま駈けあがった。

あとから、カラリコロリと下駄を引いて、直人も、のそのそと二階へあがった。

敷地の選定もきまり、兵器廠と一緒に兵学寮創設の案を立てて、その設計図の調製を終った大村はほっとした気持でくつろぎ乍ら、鴨川にのぞんだ裏の座敷へ席をうつして、これから一杯と、最初のその盃を丁度口へ運びかけていたところだった。

猪のように鼻をふくらまして、小次郎がおどりこむと、先ず大喝をあびせた。

「藪医者! 直れっ」

しかし、藪医者は藪医者でも、この医者は只の医者ではなかった。彰義隊討伐、会津討伐と、息もつかずに戦火の間を駈けめぐったおそろしく胆の太い藪医者だった。

「来たのう、なん人じゃ……」

ちらりとふりかえって、呑みかけていた盃を、うまそうにぐびぐびと呑み干すと、しずかに益次郎は、かたわらの刀を引きよせた。

人物の器の桁が違うのである。――気押されて、小次郎がたじろいだのを、

「どけっ。おまえなんぞ雑兵では手も出まい。おれが料る!」

掻き分けるようにして、直人が下駄ばきのまま、のっそりと前へ出ると、にっときいろく歯を剥いて言った。

「遺言はござらんか」

「ある。――きいておこう。名はなんというものじゃ」

「神代直人」

「なにっ。そうか! 直人か! さては頼まれたな!」

きいて、こやつ、と察しがついたか、一刀わしづかみにして立ちあがろうとしたのを、抜き払いざまにおそった直人の剣が早かった。

元より見事に、――と思ったのに、八人おそって、八人仕損じたことのない直人の剣が、どうしたことかゆらりと空に泳いだ。

しかし二の太刀はのがさなかった。立ちあがった右膝へ、スパリと這入って、益次郎は、よろめき乍らつんのめった。

それを合図のように、バタバタと、けたたましい足音が、梯子段を駈けあがった。

「あっ。隊長! 衛兵じゃ! 銃が来ましたぞっ」

急をしらせたとみえて、益次郎の従者が、銃口を揃え乍ら、縄のようにもつれて駈けあがって来たのである。

「来たか! あいつはちと困る! 早くにげい!」

仕止めの第三刀を斬りおろすひまもなかった。どっと、一斉に障子を蹴倒して、五人の者は、先を争い乍ら、裏屋根伝いに逃げ走った。

追いかけて、パチパチと、銃の音があがった。

同時に、ころころと黒い影が、河原にころがりおちた。――と思うまもなく、またばったりと影がのめった。

誰と誰がどっちへ逃げて、誰と誰とがやられたかまるで見境いもつかなかった。河原の闇の中を必死に逃げ走る影を目がけて、不気味な銃声がしばらく谺していたが、やがてその影が消えて了ったかと思うと一緒に、ふつりと銃声もやまって、しいんと切ってすてたように、あたりが静まりかえった。

どの位経ったか、――それっきり河原は、音という音が全く死んで、そよとの水影さえも動かなかった。

逃げた影もおそらく遠くへ、と思ったのに、しかし突然、ぴちゃりと、沼の底のようなその闇の中から、水音が破れると、あたりの容子を窺っているらしい気配がつづいていたが、やがて太い声が湧きあがった。

「もうよさそうだな。――おい」

「…………」

「おいというに! 誰もおらんか!」

「ひとりおります。もう大丈夫でござりまするか」

「大丈夫じゃ、早く出ろ。誰だ」

「市原でごわす」

「小次か! おまえもずぶぬれだのう。もう誰もおらんか」

「いいえ、こっちにもひとりおります」

ジャブジャブと水を掻き分けて、河の真中の向うから、また一つ黒い影が近づいた。

富田金丸だった。

こやつも水の中へ、首までつかり乍ら、じっとすくんでいたとみえて、長い腰の物の鞘尻から、ぽたぽたと雫が垂れおちた。

「どうやら小久保と、利惣太がやられたらしいな。念のためじゃ、呼んでみろ」

「副長! ……」

「…………」

「石公! ……。利惣太……」

呼び乍ら探したが、しかし、どこからも水音さえあがらなかった。

銃声と一緒に、ころがり落ちたのは、やはりそのふたりだったのである。

「可哀そうに……。えりにえって小次と丸公とが生き残るとはなんのことじゃい。おまえたちこそ死ねばよかったのにのう。仕方がない、せめて髪の毛でも切って持っていってやりたいが、のそのそ出ていったら、まだちっと険呑じゃ。ともかく黒谷の巣へ引きあげよう」

先へ立って、河原伝いに歩きかけたその神代が、不意にあっと声をあげ乍らつんのめった。

「しまった! そういうおれもやられたぞ」

「隊長が! ――ど、ど、どこです! どの辺なんです!」

「足だ。左がしびれてずきずき痛い! しらべてみてくれ!」

夢中で知らずにいたが、屋根から逃げるときにでも一発うけたとみえて、左の踵からたらたらと血を噴いていたのである。

しかし、手当するひまもなかった。

静まりかえっていた街のかなたこなたが、突然、そのときまた、思い出したようにざわざわとざわめき立ったかとみるまに異様な人声が湧きあがった。

と思うまもなく、ちらちらと、消えてはゆれて、無数の提灯の灯が、五六人ずつ塊った人影に守られ乍ら、岸のあちらこちらに浮きあがった。

京都守備隊の応援をえて、大々的に捜索を初めたらしいのである。

「危ない! 肩をかせ! このあん梅ではおそらく全市に手が廻ったぞ。早くにげろっ」

「大丈夫でござりまするか!」

「痛いが、逃げられるところまで逃げてゆこう。そっちへ廻れっ」

苦痛をこらえて神代は、ふたりの肩につかまり乍ら、這うように河原を北へのぼった。

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