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と富士男は説明した。
「そうか日本人か」
人々はますますおどろいた。万里の異域に同胞の白骨を見ようとは、富士男にとってあまりに奇異であり感慨深きことがらであった。
と、ドノバンは手帳のあいだから一枚の紙をみつけた。
「地図だ」
「おう」
破らぬようにしずかにひらくと、疑いもなく地図である、それは山田がとくに念入りに書いたものらしい。四人はひと目それを見るやいなや、一度に声をあげた。
「やっぱり島だ」
「うん、島だ」
「四方が海だ」
「島だからゆきどころがなくなって死んだのだ」
「ぼくらもだめかなあ」
ぼうぜんと立ちつくす三人をはげまして、富士男は洞穴を出て、もとのぶなの木の下にきて地をほり、ていねいに白骨を埋葬した。
「ねえきみ」
と富士男は感激の眼に涙をたたえて、三人にいった。
「日本は世界じゅうでもっとも小さな国だが、日本人の度量は、太平洋よりも広いんだ、昔から日本人は海外発展に志して、落々たる雄図をいだいたものは、すこぶる多かったのだ、この山田という人は通商のためか、学術研究のためか、あるいは宗教のためか、どっちか知らないが、図南の鵬翼を太平洋の風に張った勇士にちがいない、それが海難にあって、無人境の白骨となったとすれば、あまりに悲惨な話じゃないか、だがけっして犬死にでなかった、山田は数十年ののちに、その書きのこした手帳が、なんぴとかの手にはいるとは、予期しなかったろうと思う、絶海の孤島だ、だれがちょうぜんとして夕陽の下に、その白骨をとむらうと想像しえよう、それでもかれは、地図をかいた、その地図は、いまぼくらの唯一の案内者となり、その洞穴は、いまぼくらの唯一の住宅となった。ぼくははじめて知った、人間はかならずのちの人のために足跡をのこす、いやのこさなければならんものだ、それが人間の義務だ、だからぼくらものちの人のために、りっぱな仕事をして、りっぱな行ないをつまなければならん、人間はけっして、ひとりでは生きてゆけない、死んだ人でも、のちの人を益するんだからね、ぼくはいまそれがわかった、きみらはどう思うかね」
「むろん賛成だ」
とサービスがいった。
「みなでこの恩人に感謝しようじゃないか」
四人は一抔の土にむかって合掌した。
協力
殉難の先人山田左門の白骨をぶなの木の下にほうむった四人は、山田ののこした地図をたよりに洞外に流るる河にそうて北西をさしてまっすぐにくだった。ゆくときの困難にひきかえて、帰りは一歩も迷うところなく、わずか六時間でサクラ湾の波の音をきくことができた。もう日はまったく暮れたが、船中でるすをしていたゴルドンは、たえず船の上からのろしをあげていたので、四人はそれを目あてにぶじサクラ号に帰ることができた。
その翌日、一同は甲板に集まって、遠征隊四人の報告をきき、いよいよ冬ごもりの準備にとりかかることにきめた。
山田の地図によると、この島は東西十里(四十キロメートル)南北二十里(八十キロメートル)であるが、山田がこの島で一生をおわったところをもってみると、訪う人もなき絶海の孤島にちがいない。しかも秋はすでに去らんとして冬は眼前にせまっている、烈風ひとたびおそいきたらばサクラ号はまたたくまに波にのまれてしまうだろう。
「だからいまのうちに山田の洞にひっこさなければならん」
とゴルドンはいった。
「ひっこすといっても、船の諸道具や食料などを運ぶには、少なくとも一月はかかるだろう。そのあいだ、みなはどこに宿るか」
とドノバンはいった。
「河のほとりにテントを張ることにしよう」
「それにしても、この船をといて洞まで持ってゆくのは、なかなかよういなことではないよ」
なにかにつけて他人の意見に反対したがるドノバンはいった。
「きみのように反対ばかりしては、仕事がはかどらないよ。人の意見に反対するなら、まずきみの意見をいってくれたまえ」
と富士男はいった。
「ぼくは洞穴にひっこんで冬ごしをするよりも、このまま船のなかにいるほうがいいと思う。船におればここを通る船に救われまいものでもない」
「それにはぼくは賛成ができない。このばあい、ほかから助けを待つべきでない。ぼくら自身の力で、ぼくらの生命をまもる決心をしなければならん」
「それでは永久に洞穴のなかにいて餓死するつもりか」
「餓死するつもりではない、ただぼくらはいかなるばあいにも、他人の助けをあてにせず、自分で働きたいと思うだけだ」
ドノバンと富士男はまたしても衝突した。
「ドノバン君、ぼくらのサクラ号はもう半分以上こわれかけてるんだ、船にとどまるといってもとどまれないのだ。だからぼくらは洞穴のなかで冬をこして、その間にここへ旗を立てておけば、通航の船が見つけて助けてくれるかもしれんじゃないか」
ゴルドンは両者のあいだにはいってなだめるようにいった。ドノバンはしいて反対をしてみたものの、心のなかではそれよりほかに策がないことを知っていたので、沈黙してしまった。
衆議一決のうえはいよいよ貨物運搬にとりかからざるをえない。富士男の推薦でいっさいの工事は仏国少年バクスターに一任し、一同はその指揮にしたがうことにした。バクスターはへいそあまりものをいわないが、勤勉にして思慮深く、生まれながらにして、建築の才能があった。富士男がかれを推薦して工事の部長としたのはむりでない。
ものの順序としてバクスターはまず川の右岸にテント小屋を建てることにした。川のほとりに繁茂するぶなの木の枝と枝のあいだに、長い木材をわたして屋根の骨をつくり、それにテントを張り、そこに火器弾薬その他いっさいの食料を運んだ。そのつぎにはいよいよ船体の外皮をとかねばならぬ。船の外皮は銅板で、これは後日なにかの役にたつからていねいにはぎとった。しかしそのつぎには鉄骨があり、船板があり、柱がある。それらをとくのはなかなかよういなことでない。
しかしさいわいなるかな、四月二十五日の夜、とつぜん大風吹きつのって、天地もためにくつがえるかと思われたが、夜が明けてから浜辺へいってみると、サクラ号はめちゃめちゃに破壊されて、大小数限りもない木片は、落花のごとく砂上にちっていた。一同はなんの労するところなくして、船をといたようなものだ。
その日から一同は毎日毎日木片を拾いあつめては、エッサモッサ肩にになって天幕に運んだ。読者よ、いかに勇気あるものといえども、かれらの年長は十六が頭で、年少は十歳である。かれらの困苦はどんなであったかを想像してくれたまえ。
かれらはいずれも凛々たる勇気をもって、年長者は幼年者をいたわり、幼年者は年長者の命令に服し、たがいに心をあわせて日の暮るるも知らずに働いた。ある者は長い木材をてこにして重いものをおこすと、ある者は丸い木材をコロにして重いものをころがしてゆく、肩にかつぐもの、背にになうもの、走るもの、ころぶもの、うたうもの、笑うもの、そのなかにはだれひとり不平をいうものはない。
だれよりもまっさきに働くのは富士男とゴルドンで、ふたりはいちばんむつかしい仕事を喜んでひきうけた、ふたりはサクラ号のキールをきって二つになしたるものや、前檣後檣の残部などのもっとも重いものを、エイエイかけ声をして運んだ。それに負けじとドノバンもグロースも帆桁を運んだ。バクスターはそれらのなかから、長い木材をえらんで川のなかにいれ、それをたてになし、短い木材を横に組んでたて十メートル、はば四メートルのいかだの骨をつくり、その上にサクラ号の甲板や、他の板ぎれをくぎづけにして、りっぱないかだを完成した。
この工事がおわったのは五月二日である。翌三日からいよいよテントの貨物をいかだにつみはじめた。善金、伊孫、ドール、コスター、次郎の幼年組は軽いものを運び、重いものは年長組にまかせた。
協力一致! 世界少年連盟は、ほんのわずかの日数のあいだに、おとなの二倍以上の仕事を完成した。五月五日一同はいかだの上に集まった、ゴルドンは悵然として、もはや残骸のみのサクラ号をかえりみていった。
「船はなくなった、ぼくらはぼくらの運命を大自然に一任するよりほかはない、しかしぼくらはできるだけの手段をとらねばならぬ、それには万一ここを通航する船に、ぼくらの存在を知らしむるために、岩壁の上に一本の信号旗を立てておきたいと思うがどうだろう」
「賛成賛成」
一同はただちに旗を立てた、それらのことがおわってから一同は、ふたたびいかだに集まった、潮はまだ早い、満潮は八時半である、それまで待たねばならなかった。
「きょうは何日だ」
と富士男はいった。
「五月五日」
とだれやらが答えた。
「そうだ、五月五日、南半球の五月は北半球の十一月にあたる、それだけの差はあるが、しかし五月五日は非常にさいさきのよい日なのだ」
「どういうわけか」
とゴルドンはにこにこしていった。
「ぼくの故郷のじまんと誤解してくれたもうな、五月五日は日本においては少年の最大祝日なのだ。それはちょうど、欧米におけるクリスマスににたものだ、日本全国津々浦々にいたるまで、いやしくも男の子のある家では、屋根よりも高く鯉幟を立てる、室内には男性的な人形をかざる。鐘馗という悪魔降伏の神力ある英雄の像をまつる、桃太郎という冒険者の像と、金太郎という動物と同棲していた自然児の裸像もまつる、この祀りを五月の節句と称するんだ、五月節句は男子の祝日なのだ、だからぼくは五月節句をもって、世界少年連盟が共同の力でもっていかだをつくり、相和し相親しんで人生のかどでにつくことを、じつに愉快に思うのだ、諸君もどうかこの意義ある五月五日を忘れずにいてくれたまえ」
「賛成賛成」
一同はかっさいした。
「だが君、その鐘馗や桃太郎の話をもっとくわしく話してくれたまえ」
とゴルドンがいった。
「よしッ、話そう、だが潮がそろそろやってきたようだ、まず、とも綱をとこうじゃないか」
「よしきたッ」
バクスターはしずかにとも綱をといた。いかだは潮におされて動きはじめた。いかだのしりにひかれて、サクラ号の小さなボートは気軽そうに頭をふりふりついてきた。
「バンザアイ!」
一同は声をあげてさけんだ。
「ぼくらのつくったいかだだ」
とドノバンがいった。
「そうだ、ぼくら少年はいかだをつくった、さらに少年の連盟団をつくるんだ」とゴルドンがいった。
「少年連盟バンザアイ」
いかだは川の右岸にそうてなめらかにすすんだ。だが潮にまかせて遡行するいかだのことであるから、速力はいたってにぶかった。その日は中途で一泊し、一同は富士男の桃太郎物語などをきいて愉快にねむりについた。
翌日いかだが進行するにつれて、寒気がだんだんはげしくなった。もとより急ぐ旅でもなし、むりなことをして一同をつからすのは本意でないから、この日もまた一泊した。その翌日の午後になると、はるかに笑うがごとき、湖の青黛をみることができた。午後三時! 日本人山田の洞ちかき川の右岸である。
善金、伊孫、ドール、コスターの幼年組は早くも岸にのぼって、とんだりはねたりうたったりした、いかだの上からその光景をながめていた富士男は、弟の次郎にいった。
「おまえも行って、みんなといっしょに遊ばないか」
「ぼくはいやだ」
と次郎はいった。
「なぜだ、おまえはとうから、なんとなくふさぎこんでるが、病気なのか」
「いやなんでもない」
富士男はふしんそうに頭をかしげたが、いまここでかれこれいうべきでないと思いかえして、一同とともにいかだを出た。
もういかだの荷物は運ばれた。山田の洞は前日とすこしもかわらなかった、一同はまず寝具を運んで洞のなかにあんばいし、サクラ号食堂の大テーブルを洞の中央にすえこんだ。このまに仏国少年ガーネットは幼年組をさしずして、なべかま食器類を洞内に運ばした。一方には黒人モコウが早くも洞の外がわの岩壁の下に石をつんでかまどをつくり、スープのなべをかけ、小鳥のくしをやいたりした。小鳥はとちゅうでドノバンらが岸にのぼって猟獲したもので、伊孫とドールは小鳥やきの用をおおせつかったが、やけしだいにちょいちょい失敬するので、なかなかはかどらない。