Chapter 1 of 8

自分と芥川との交友関係は、江口渙を中間にして始つた。芥川は将に流行児として文壇の檜舞台へ上らうとしてゐる前後であつた。自分はその五六年以前から二三の同人雑誌などに今顧みるときまりが悪いやうな幾つかの詩歌や散文の習作などを活字にして貰つた事があつて芥川の方でも自分の名前位は知つてゐたらしい。自分はその頃文学上の自信をなくし方向を見失つてゐた。さうして斯ういふ状態の常として自分に対しても元より世上一切のことを白眼で見る悪い癖が付いて了つてゐた。芥川の文学は自分に面白くないことはなかつた。自分は彼の「新思潮」にのつけた作品を二三読んで、此処に芸術上の血族が一人ゐることを発見して喜んだが、不満もなか/\無いではなかつた。日本の文壇に取つては非常に目新しい作風ではあつたが、アナトール・フランスなどを少しばかり見たり聞いたりしたことのある自分はそれ程驚かなかつた。自分は芥川の作品を全部読んでそれを批評すると同時に、自分の抱いてゐる文学論を披歴して見たいといふ気持ちがあつた。このことを当時の友人江口に話すと江口は彼が持つてゐた新思潮の一揃ひを自分に貸してくれた。自分は一読して自分の意見の一端を江口に述べた。江口はこの以前から芥川と交友があつたから自分のことを彼に伝へたものと見える。自分は或る日芥川から手紙を貰つた。手紙はたしか、江口方気付で、それがもう一度江口の手紙に巻き込まれて江口の新しい封筒で自分の手に届けられた。芥川からのその手紙は彼が一生使ひ通した松屋の原稿用紙へ書かれて一千字位はあつたと思ふ。この手紙を自分は保存してあるのだが、北海道に居る弟が持つて行つて了つてそれが蔵ひなくしでもしたのか、先日から催促をしてあるのだけれども未だに手元へ届かないのは残念である。全文を掲げることは出来ないが、横須賀へ行く汽車の中で書いたといふ文句があつたやうに思ふ。さうして、手紙の大意は「江口から君が僕のことを批評する意志があるのを知つたが、自分の芸術は未だ未熟なものだから今しばらく批評して貰ひ度くない、」と云ふことや、また「君が以前に書いた短篇『円光』などは僕にかう云ふ小説ならば自分にも出来さうだと云ふ暗示を与へたものだ、」と云ふことも三行ばかりあつたと憶えてゐる。また、「君のところに犬さへゐなければこちらから君を訪問したいとも思つてゐるが、」と云つて自分に遊びに来ることを歓迎してくれてゐた。――これは或は第二の手紙であつたかも知れない。第二の手紙と云ふのは自分が彼の第一の手紙に対して書いた返事に向つてまた折り返してくれたものであるが、之も北海道の弟が持つて行つて了つて今手元にない。自分の方から出した手紙はどんなことを書いたか憶えがない。大正六年の一月か二月であつたと記憶する。

彼が大学を卒業したのはその前年で卒業論文は「ウヰリアム・モリス研究」であつたことは周知のことであるが、彼の話に依ると社会主義者としてのモリスや、理想を持つた事業家のモリスなどに就いては論究する暇がなかつたので、結局詩人としてのウヰリアム・モリスと云ふのが眼目であつたらしい。彼の諧謔を憶えてゐるが、詩人としてのモリスもどうやら論じ切れないらしいので、少年時代と改めようかなと云ふと、誰かが寧ろ嬰児時代としてはどうだね、と笑つたものださうだ。

彼に始めて会つたのは文通を始めて間もなく三月の初旬であつたかと思ふ。自分は思ひ立つて独りで行つて見た。女中が曖昧な態度で取り次いだが、すぐに主人公自身が二階から下りて来て再び二階の書斎へ自分を伴うてくれたが、坐るとすぐに

「今朝程は有難う」

と、云はれて自分にはちよつと意味が通じ難かつた。気がついて見ると一月程前自分が読売の文芸欄へ寄稿して置いた「雉子の炙肉」と云ふ小品がその朝偶然掲載されてゐて、それは芥川に献じてあつた。月曜附録が出た筈だから、するとその日は月曜であつたと見える。十分程話してゐたが、気が付いて見ると芥川はへんに落付のない様子であつた。終に彼は事情を話し出したが中央公論の創作の締切日が(手巾であつたか)迫つて居催促を下に待たしてゐるといふのである。

「さう云ふ訳で気が落付かない。何、創作を一日位遅らせるのは構はんとしても、切角始めて話をするのにかう云ふいら/\した気持ではお互に面白くない、君にも伝染をすると大変だからね」

と、さう云ふ意味の言葉を気の毒さうに云つた。自分は別の日を約して帰つて来た。

その頃芥川は日本室の畳の上へ椅子と卓子とで書いてゐた。床の間の傍が机を置けるだけ別にくぼんで造られてあつた。その狭苦しい所にきつちりと体をおさめて書くのが芥川らしいと思つた。後に谷崎潤一郎がそれを見て、あんな窮屈な状態でよく書けるもんだ、と、云つてゐたが、自分も体だけ這入るやうな小さな書斎は好きであるから、此点は芥川と似てゐる。似てゐると云へば外にも随分似てゐる所があるらしく自分がその頃飜訳しかけた「人間悲劇」を芥川も訳しようと企てたことがあると聞いた。――いや例の彼からの最初の手紙にこの事が書いてあつたらしい。斎藤茂吉の歌に感心する点も君と同じだと云ふやうな文句もたしかあつた。少し後にビアヅレエの「アンダー・ザ・ヒル」の話が出て、あの一癖ある文章をちよつと訳して見たいやうな気がする、と自分が云ふと、彼も以前にさう思つたことがあつたと云ふ。以前と云ふのは何れ大学を出た前後のことであらう。その外時々そんな暗合がある。後に之は文芸読本編纂の用事で四谷信濃町の自分の寓居を訪問してくれた時、確九月の末であつたと思ふが、自分の彼に進めた夏の座布団が、彼の家で使用してゐるものと全く同じ品であるさうで、彼は

「変な気がする」

と、云つた。それは支那麻で中央には濃い浅黄で寿の字を、四方には蝙蝠を染め出したものだ。芥川の云ふ所では支那商人が上海の日本領事館の薦めで輸出したものださうだが、商人は一向に売れないと滾してゐるとのことであつた。つまり芥川と自分とはその一向売れないものを買つてゐた訳けである。その日はそればかりでは無かつた。暫時して一緒に散歩しようと云ふ段になつて、自分は着物を着換へて机の牽出しから時計を取り出すと、芥川は

「オイ、ちよつと/\」

と、多少わざとらしい頓狂な声で笑ひ乍ら手を差出した。自分は自分の時計をあやしみ乍ら渡すと、彼は

「オイこれも一緒だよ」

と云つて、袂から鎖もなんにもついてない時計を取り出して自分の前につきつけた。二十円そこ/\のニッケルの片側で文字板にはアラビア文字がクッキリと非常に大きく周囲一杯に書かれたものであつた。この二つの品物の暗合には自分も亦多少驚いて二人で「亦一奇」と云つて笑つた。

Chapter 1 of 8