Chapter 1 of 9

編集者まえおき

ルードルフ・シェーンハイマーはベルリンに生まれそこで初期の教育および大学訓練を受けた。1922年にベルリン大学から医学の学位を受けた後でこの市のモアビット病院において1年のあいだ病理学レシデントの地位を得た。そこで彼はアテローム性動脈硬化の問題にひきつけられ、実験動物にコレステロールを与えて動脈硬化を起こすことについてこの時期に始まる最初の論文を出版した。生化学のもっと広い知識が必要であることを感じてライプツィヒのカール・トマスのもとで3年のあいだ研究し1926年の始めにこの実験室からペプチド合成の巧みな方法について出版した。これらの補助的な訓練のあいだにシェーンハイマーはロックフェラー財団からのフェロウシップを受けた。

次にフライブルク大学の病理学研究所に移り化学者としてルードウィッヒ・アショッフのスタッフに加わった。アショッフはシェーンハイマーの科学的発展に強い影響を与えた。ここで彼は病理材料を研究する任務と並行してステロールの生化学的研究を行った。1927年に彼はその部門の副主任になり1930年には正式の主任になった。この期間に彼の研究は主としてコレステロール代謝に関係するものであり1930年にアメリカに来てダグラス・スミス・フェロウとしてシカゴ大学外科学講座に居た1年のあいだにも続けた。1931年にフライブルクに戻りジョシア・メイシー・Jr財団の補助によって研究を続けたがこれは1933年春のドイツ政治情勢(*ナチス政権の成立)によって残酷にも中断された。フライブルクの実験室で完成した最後の研究はジャーナル・オヴ・バイオロジカル・ケミストリーに報告された。コレステロールが正常な哺乳類において絶えず大量に合成され組織で分解されるという重要な観察がここに確立された。

コロンビア大学の生化学講座は幸福なことにシェーンハイマーのその後の研究に便宜を提供することができた。この研究室から彼が出版した最初の報告は腸管内にセチルアルコールの存在を記録するものであり、脂肪酸中間代謝についての彼のその後の研究に特別な意味をもっていた。W・M・スペリーとの協同研究によって彼は微量の遊離型および結合型のコレステロールの精密測定の価値ある方法を開発し、この技術を血清および血漿の比較研究に応用した。

1934年にシェーンハイマーは後になって彼の仕事の本質に基本的な影響を与えることになった新しい接触を行った。ユーリーが1932年に発見した重水素を生物学的研究の発展に利用するためにロックフェラー財団は重水素技術の訓練を受けた化学者がその特殊な知識を生化学などの関連問題に応用するための基金を設定した。この援助によってデイヴィッド・リッテンバーグはユーリーのグループからシェーンハイマーが1年のあいだ研究してきた実験室に来ることになった。有機化合物を安定同位元素で標識し天然にあるこの化合物と生化学的に区別できないものにして中間代謝実験に用いるアイディアが彼らの協力によって発展させられた。このスキームの正しいことは有機物質の水素がふつうの水と同じ同位元素存在量である事実によって示された。予備的な実験によると4,5-重水素コプロスタノンを摂取させると糞中に重水素コプロスタノンが排泄され、重水素ステアリン酸が結合した脂肪を摂取すると驚くべきことに体脂肪にそれの大部分が急速に蓄積した。

続いて体液の重水の濃度を高めた動物において同様な効果が観察された。重水素脂肪酸が貯蔵脂肪に現れ驚くべき短時間に最高に達した。逆に体液中にふつうの水を使うと貯蔵脂肪の同位元素標識は同じように速く消失した。食品と組織のあいだの急速な交換は、さらに研究を進めることによって化学的に等しい脂肪酸の直接な置換だけではなく注目に値することに不飽和化、飽和化、分解、鎖の延長、およびアルコールへの還元のような急速な変化が明らかになった。ラットで合成されないようであった自然の脂肪酸は、健康に必須であることが知られている高度不飽和脂肪酸だけであった。

窒素の安定同位元素である、15N が手に入るようになると、シェーンハイマーと協同研究者たちはこれをタンパク質代謝の同じような研究に応用した。同位元素アンモニアから合成したアミノ酸の少量を窒素平衡状態にある成熟ラットの餌に加えると、組織タンパク質に急速に大量に取り込まれることが示された。脂肪酸と同じようにこれらのアミノ酸は化学変化を受ける事実が示された。同位元素で標識したアミノ酸またはアンモニアを摂取させると重窒素はタンパク質から単離したすべてのアミノ酸に見つかった。ただリジンだけは例外であった。両方の同位体(*HおよびN)で標識する利点も使われた。組織タンパク質から単離した産物における両方の同位体の割合は、アミノ酸の炭素鎖が窒素原子とどの程度に違う代謝経路を通っているかを示した。

ここにあげたのは数少ない例だけであったが、シェーンハイマーの研究の結果から代謝的な「再生」という概念が生まれてきた。これにおける中心的なアイディアとは、絶えず組織において化学物質は循環している代謝「プール」に放出されるとともに代謝「プール」から取り込むことである。これらの循環的過程にともなってプールの諸成分のあいだで数多くの反応が起きているがそのうちで廃棄物の除去に関する反応は数が少ない。これらの一般的な解釈をシェーンハイマーは1937年のハーヴィー・レクチュアおよび1941年のダナム・レクチュアで総括した……

シェーンハイマーのもっとも優れた性質の1つは知識の高度に多様な分野からの適切な事実を関連付け当面している問題に結びつけることであった。彼は他の分野の専門家の助言を求めるだけでなく自身の科学的な計画を同僚とも直接の協同研究者と自由に討議した。彼は自分の研究グループを如才なく相互に理解し絶えず激励して導いた。

コロンビア大学医学部生化学講座

ハンス・T・クラーク(サイエンス, 94, 553, 1941 の訃報から)

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