Chapter 4 of 9
二
日露戦争中の琉球人、日露戦役の間多からぬ給料を貯金し戦地より金四円を其の父母に贈り「戦地にては煙草の価貴く喫煙家は非常に困却の状態なり。然るに私は幼少より煙草を喫むべからずとの御両親の訓戒を守り候故其の困却を免れ申候。之を思ふにも御両親の恩の益々高きを感じ候。依て其の煙草代を貯蓄して得たる金を聊か膝下に呈し安否御伺ひの料にまで奉供候」との書面を添へ至誠の籠る所人をして感激措く能はざらしめたる者は、彼の馬琴の椿説弓張月にて知られたる忠臣毛国鼎の在所中城出身の兵卒新垣仁忠なり。又「予て陛下に捧げし身なれば何時何処にて戦場の露と消えぬとも定め難く候。然れば妹の縁談を止め養子を迎へて家系を継がしむる様相願度候」と郷里に書送し、次で候家屯付近に身を挺んで奮闘し傷を負ふも屈せず進み戦ひて死し金鵄勲章を授与せられ年金をも下賜せられたる兵卒大城亀は沖縄中頭郡の産なり。沙河の大会戦の日、露軍の大弾少弾霰よりも劇しく我が大隊長日下部少佐の場に斃るゝやアハヤと誰しも思ひける折柄単身霰なす弾丸を冒して少佐の屍を担ぎ来り、天晴れの動作なりとて直ちに感状を賜り三軍に艶称せられたるは屋宜蒲多と云へる其の姓名さへ奇異なる琉球人。其の産所はと云へば沖縄列島の極西久米島なり。