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生活の探求
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生活の探求
島木健作
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Original Public Domain
Chapter 10 of 15

十

盆が近づいて來た頃から、駒平は何かしきりに忙しさうにしてゐるのであつた。彼は家に落ち着いてゐるといふことがなかつた。畑の仕事は家のものに任せ、自分は朝早くからどこへか出て行つて、夜遲くなつてから歸つて來るといふことが多かつた。彼の忙しさの性質を、駿介は知らずまた別に氣にも止めなかつた。

夜更けに駿介はふと眼を覺して、茶の間の方に、まだ起きて何か話してゐる人聲を聞いた。遲く歸つて來た駒平がおむらと話してゐるのであつた。ひそひそと何か憂はしげな、ただに深夜のあたりを憚かるといふだけのものとは思へぬ老夫婦の話聲は、その内容はほとんど聞き取れなかつたにしても、その時はじめて駿介の心をとらへた。さういふ夜は一晩だけではなかつた。さうしてやがて彼が老父の心配の性質を知つた時に、彼は自分の餘りの迂濶さに恥かしさを感じたのである。

それは田舍の盆といふものをさへ知つて居れば、すぐにも思ひつくべき筈のものであつた。事柄は金に關してゐた。役場や信用組合には延ばすことの出來ない拂ひがあつた。材木屋雜貨店、醤油屋、醫者などの拂ひもそれぞれに大きかつた。自轉車屋とか鍛冶屋とかは、いはば、自分等の仲間うちの小者であるだけに、駒平の氣性としてはどうしても延ばすことは出來なかつた。

田舍の生活において、現金がどれほどの惱みのたねであるかといふ當りまへのことを、駿介はあらためて思つて見た。年に二度三度きまつた時に多少まとまつた金が入るとしても、それらは入る前に出る方向が早くからきまつてゐる。それが入るといふ見込みの上に金が借られ、すでに使ひ果されてゐるといふのがむしろ普通である。現金を必要とする消費生活の部面は、農民生活のなかにあつて年々大きな廣がりを持たぬわけにはいかない。それをふせぐといふことは出來ない。それは社會が進歩するといふことと同じことなのだから。しかし反對に金が入つて來る道はほとんど昔のままに限られてゐて、たまに新たなものが附け加つても實質的にはどれほどのものももたらさなかつた。出稼に出るか、養蠶をやるか、蔬菜類を賣るか、薪を伐るか、炭を燒くか、麥稈眞田を編むか、その他の副業によるかであつた。それらの實際がどういふものであるかは今日あまねく知られてゐることである。

今年の盆にも村を逃げ出すものがあらう、といふやうな噂を駿介は人の集る場所などで耳にすることがあるやうになつた。逃げ出すものは誰々であらう、などとその名までが、無遠慮に、物見高い人々の口にあげられもした。逃げ出すといふのは無論その當座だけのことで、毎年さういふ人はどこの村にもあるといふ。あとには何も知らぬ子供だけが殘つてゐる。田舍だけに、盆とか節季とかいふその時だけをさうして過せば、貸主も諦めてその次の支拂ひの時まで延ばすことになるものと思はれる。

駿介は、老父の今の場合のために自分が何事をも爲し得ないといふその事實を痛感した。今の彼は自分の獨立の力をもつてしては一錢の金をも新につくり出すことは出來なかつた。彼も長い間貧しさとは戰つて來たけれども、その經驗は今の場合には何の役にも立たなかつた。彼は志村と上原と、それから東京にゐる二三の豐かな學生とを思ひ出した。が、思ひ出しただけで、彼等のうちの誰かに向つて思ひ切つて云ひ出して見るといふ氣にはどうしてもなれなかつた。

考へた末に、彼は今の自分に出來るたつた一つの事をすることにした。

ある日彼は自分の部屋にひとり籠つて長い時間を過した。東京から持ち歸つて後、一部分の外はまだ取り出す暇もなかつた藏書をそこへ出して見るのであつた。それらは餘り大きくはない三つの行李に詰つてゐた。彼は多少でも餘裕がありさへすれば本を買つた。貧しい學生としては高價な書物を持つてゐる方であつた。今度歸郷するに當つてかなりの册數を賣り拂つて來たが、金目のものは尚かなり殘してゐた。學生の例として、いま讀めても讀めなくても、いつか一度は讀まねばならぬとされてゐる書物を、殊に洋書を苦勞して彼は買つてゐた。まだ專門の學を修めるまでにはなつてゐなかつたから、その時その時の氣持で、いろいろな方面に亙つてゐたが、筋の通らぬ書物は無いと云つてよかつた。そして、古本屋には世話になることの多かつた彼は、それらの一册一册の賣値をほぼ正確に推し測ることが出來た。

彼はどうしても五十圓は得たいと思つた。五十圓分の册數をただ取り揃へるだけなら容易であつたが、どれにしようかといふ撰擇には迷はないわけにはいかなかつた。これにしようと選び出したすぐあとから、それよりはこれといふ氣になるのだつた。無理をしてそれらの書物を買つた時のことや當時の自分の生活が一々思ひ浮んだ。書物の手ざはりや匂ひに過去がまつはりついてゐた。そして今の彼はいろいろな意味で思ひが過去に向ふことを苦痛とした。

彼はここ數ヶ月、新しい生活に沒頭し、その新鮮な魅力にとらはれ、愉快な多忙に心身を驅使されて、他を顧みる餘裕はなかつた。新しく攝取すること、新しい生活に自分を適應させることで一杯だつた。彼の自己變革はまづ生産に參加する勞働の過程において實現されねばならなかつた。書物による知識の吸收といふことはここしばらくは顧みられずにゐた。そして忘れられてゐて別に苦痛ではなかつた。しかしそれを苦痛とする時は遠からずして來るであらう。

若い駿介がかなり漠然とした自覺において求めてゐるものは、見方によつていろいろに表現できるであらうが、一面から云へば、彼は知的勞働と肉體的勞働の圓滿な結合、その統一の状態を求めてゐるのだと云へる。この二つの分離が、今日の社會と人間との不幸の源であると云へぬことはない。しかし、そのやうな統一の状態を個人的な生活においてだけ追及するといふことはそれは何だらう。事は、それぞれに不具的な都會と田舍との對立といふやうな、社會的基礎にその原因を持つてゐる。

駿介は志村を思ひ出した、彼の言葉のなかのあるものを思ひ出した。晴耕雨讀、勞働の體驗といふやうな言葉は、駿介自身も皮肉な氣持でなければ口にすることは出來なかつた。

しかし彼自身の新しい生活も晴耕雨讀的なものに止まるおそれがないとは云へない。農民の生活がやうやく手に入つて來る。同時に忘れられてゐた、彼のなかのインテリゲンチヤがうづき出す、兩者の統一が求められる。新しい困難がはじまる。そしてその困難の克服も、その統一の原理が、社會的見地から云つて新しく高いところに求められるのでなければ、結局は晴耕雨讀的な解決に終るであらう。

しかしその新しく高い社會的見地、といふものも具體的なものとしては彼にはまだ充分にはつかめてゐない。一應の知識としてはわかつてはゐるが。彼は生活の現實を通して、單なる知識以上に本質的な理解を深め得るであらうと期待してゐる。

駿介は久しぶりに書物の匂ひをかぎ、棄て去つた生活を呼びもどした。それは實にはるかな遠い昔のやうにも感じられた。するとそのものへの郷愁も一時に強く湧いて、自分の行かうとしてゐる道の容易ならぬ困難をあらためて思ひ知つたのだつた。

長い時間かかつて、駿介は適當な册數の本を選び出した。それを手頃な二つの箱に詰め、自轉車の後につけて、三里ほど離れた町の驛へ持つて行つて鐵道便に託した。親しくしてゐた友人の一人に手紙を書き、事情を述べて、出來るだけいい値になるやう、心配してくれ。と云つてやつた。

一週間ほどしてから、その友達から書留が來て、それには七十圓入つてゐた。駿介の豫定よりは二十圓多かつた。爲替の關係で、洋書の値が高くなつてゐる理由からだつた。

駿介はそれを駒平に渡した。明後日が盆の初日の十三日といふ、十一日であつた。まだ煙草が終らぬうちのことであつた。その金をどうして得たかについては、駿介はべつに語らなかつた。

「さうかい、そりやどうも。」と、駒平はちよつと頭を下げた。

「とんでもない心配をしてもらうて。」

駿介が云はなかつたことについては、駒平も立ち入つて訊かうとはしなかつた。しかし薄々は彼も前々から、氣づいて知つてゐたらしかつた。

盆には、どこの家でも前の日から仕事を休んで、何かかにか忙しげであつた。駿介の家は一向宗で、佛壇に花や供物を飾る以外、仰々しいことはべつになかつた。このあたりの宗旨は一向宗と眞言宗がおもである。大抵の家では大掃除をし、ふところ工合のいい家では、この機會に家の普請や疊替へなどもするやうであつた。

駿介の家から家を二軒隔てて向うに丘があり、そこに村の共同墓地があつた。庭に立つと、墓石がすすきの間から幾基も指さし得るやうなところであつた。朝から彼の家の前は人通りが絶えなかつた。女や子供たちは、竹の熊手、竹箒、手桶、花筒、花束などを提げて通り、墓の掃除をする人々のなかには、杉野の家の井戸まで水を貰ひに來るものも多かつた。掃き集めた芥を燒く白い煙が木立の陰から幾條にも上り、風のかげんでその匂ひが駿介の立つあたりまでも流れて來た。

盆の初日の日暮方二時間ばかりの墓地の賑はひは、駿介に子供の頃を思ひ出させた。身體の二つに折れ曲つたやうな年寄りが、娘、孫、曾孫までを從へて來る。さういふのが一組や二組でなく見られることは、駿介に、人間と人間生活の、今までは餘り考へなかつたやうな面をも考へさせた。家といふもの、肉親といふものについて事新しく考へた。種の不可思議といふことを考へた。遺傳といふことを考へた。十人もの一族の顏が、一人一人どこか似てゐるといふ當然なことまでがほとんど驚きに近いやうなことであつた。人間社會の過去と現在と未來についても考へさせられた。それは多くの場合、思想的なあるひは社會的な大きな問題として、論議されることに慣れてゐるが、人間の世代が四代にも亙つて、生きた姿として眼の前につながつて見ると、特別な感想を掻き立てられないわけにはいかないのだつた。

松の生の割木をこの地方では肥松と呼んでゐる。墓場のあちらこちらに、この肥松を焚く焔が赤々と燃え、脂の匂ひが鼻をついた。それは線香の匂ひとまじり合つた。鉦の音と讀經の聲が、あたりが暗くなつてもしばらくつづいてゐた。

去年は盆踊りをやつたが、今年はやらぬといふことであつた。その代り、天神さんの境内で萬歳が催された。駿介の隣近所からも、男、女が揃つて扇を持つて出かけて行つた。三味や、太鼓の音が、十一時過ぎまでも遠く聞えてゐた。

次の日はどこの家でも客の接待をする習はしである。血筋の者たちは、相互に、客を招んだり、客に行つたりした。村のうどん屋が朝から非常に賑はつた。女や子供が粉を一升二升と持つて行つて、うどんに打つてもらふのである。非常に混み合つて、自分の番が來るまでには、一時間の餘も立ちつづけなければならなかつた。このうどんは、客への饗應のおもなものである。

盆は十六日まで續いた。が、二十日の晩に、この部落と隣部落の共同主催で、毎年特殊な催しがあるしきたりなので、村人たちはそれが濟むまで盆氣分のなかに浸つてゐた。

十九日の朝から、二部落の人達は、戸毎に一名づつ、手に手に繩と手斧とを持つて近くの山に集つた。「肥松切り」である。かねて山の松の大木が二本買つてあり、總掛りでこれを二尺ぐらゐの割木にするのであつた。先づ二人用の横挽鋸で根元に近く切りはじめる。力自慢、腕自慢の人々が何人か交替で挽いて行く。二抱へもあらうといふ大木も、瞬く間に六分通り挽かれたところで、かねて木に結へてあつた綱を、みんなして引き、倒してしまふ。倒れた木は、二十人近い人で二尺副に木挽きする。その丸太を、他の者が斧で割つて行く。割つたものを束にする。大勢の手なので、すべてこれらの作業は短い時間のことであつた。

その山から、金毘羅山の頂上までは峰傳ひであつた。そして峰から頂上までの間に、篝火を焚く穴が、百三十何箇所も掘つてある。町人たちは、束にした割木を運んで來て、一つの穴に二束の割でおいてるのだつた。

これはこの村の年中行事の一つで、「お大師さん」の祭なのである。部落のなかに、お大師さんがあつて、小さな建物で、今は坊主もゐず、番人一人といふ寺である。二百數十年の昔、この寺の住持が、四國八十八ヶ所の土を少しづつ持つて歸つて、さきの峰傳ひに新八十八ヶ所を作つたと傳へられてゐる。そこには、石の阿彌陀や、石の厨子、石塔などが二三間おきに片側にならんでゐる。篝火はこの八十八ヶ所のためなのである。

二十日は朝から賑つた。山の下に通ずる道路には露店が店を張り、浪花節の小屋掛けさへ立つた。この村のお大師さんの火といふものは、縣下に廣く聞えてゐる。遠い村々からもたくさんの人たちがこの部落に向つて集つて來た。山には人を上げないので、すぐ下の道路は殊の外に混雜した。通の傍に蓆を敷き、酒を酌みはじめてゐる者の姿も見られた。

日は全く落ちて、月のない宵闇が暗くあたりを包んだ。

間もなく太鼓が※々と打ち鳴らされた。

それを合圖に肥松に火が點ぜられた。

火は勢よく燃えた。百三十ヶ所から一時に燃え上る火は、山全體を包むかと見えた。松の木立ちの間から高く上り、山裾から峰を走つて頂上に伸びた紅蓮の長蛇にも似た火焔の姿は、壯觀といふのほかはないものだつた。森も田も畑も家も道に集ふ人たちも、ただ一樣に赤く映し出された。

篝火は一時間餘り燃えて消えた。火が全く消えてしまつてからはじめて月がのぼつた。人々が散つたあとの村の夜は常にも増して寂しかつた。犬の遠吠えがおそくまでも聞えてゐた。

Chapter 10 of 15
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