三
足の傷は、醫者に診せることもしなかつたが、心配するほどのこともなく、順調に治癒の經過を辿つてゐるやうであつた。肉の裂けたところはすぐに口を閉ぢた。爪と肉との間に血が吹き出し、爪は黒ずんだ紫の、死んだ色に變つてゐたが、その色が次第に褪せて生色がよみがへつて來る頃には、全體の腫れもずつと引いた。その經過の早さは、駒平が買つて來てくれた煉藥のせゐであるかも知れなかつた。骨が罅割れてゐはしないかといふやうなことも、當面の苦痛が去つて見れば、別に氣にもかからなかつた。駒平は、
「寒さに向ふ時にはいつも氣をつけろや。治つたといつても、打身は年々その時節になりや、痛み出して來るもんぢやけに。」と云つた。そして駿介は、その間もぢつとしては居ず、治つてからは一層、家の内外の仕事に忙しかつた。
杉野の家は二十坪ほどの二階家であつた。四年前に、それまで住み古した古家をほごし、木材のなほ使へるものは殘し、それを主としてそれに古木を買ひ加へて建てたのであつたが、その時の大工左官の手間代が全部で六十圓であつたと云ふ。そんなわけだから、二階など、部屋の窓の一つには硝子障子が嵌つてゐたが、他の一方の窓には古戸が打ちつけたままになつて居り、晝も薄暗く、疊の代りに蓆が敷いてあつた。駿介は今迄もこの部屋を使つてゐたのだが、夏が近づき暑さが増して來るにつけても、まづこの釘付けの窓から何とかしなければならなかつた。足の痛みがやや薄らぐのを待つて彼は早速その仕事に取りかかつた。彼の考へは、窓の上に廂を出して、雨が斜に入り込むのを防がうと云ふのであつた。
納屋を探して、必要なほどの木切れや板切れを取り出して來た。鋸、鑿、鉋、金槌、さういふやうな道具類も一通りは揃つてゐる。鉋や金槌などは三十年このかた使つて來たものだといふことで、駒平はそれらを新しく買つた時のことまで覺えてゐて話した。それほど彼等の生活は單調で、三十年も一年のやうであるとも云へるし、道具といふやうなものをそれほど大切にしてゐるとも云へるし、またたとへ小額でも現金支出がなかなか大へんなことを語つてゐるとも云へる。
鑿で木に穴をうがつたり、その穴に他の木を嵌めて互ひに組み合すといふやうな仕事は、駿介にとつては容易ならぬ困難を伴つた。太い柱に一つの穴を鐫るのに三時間もかかつたり、その穴に腕木をきつちり嵌め込むのに午前中かかつたりした。作らうとしてゐるものの出來上りの形は一般的なものの形としてははつきり頭のなかにあるのだが、さて實際に、現在自分が手にする材料からそのものへの仕上りの過程となると非常に曖昧だつた。鋸切り、削り、穴をうがつ、實際のさういふ仕事の一つ一つが、さういふ曖昧な一々の過程を漸次明らかにして行くのだが、同時に仕事以前には思ひもつかなかつた細部についての新しい疑問が次々に起る。一間に一尺五寸幅の窓の廂を作るのに、日の長い初夏の、ほとんどまる一日を費した。
その翌日は椅子を作つた。テーブルだけがあつて椅子がないので、手頃な木の切れが殘つてゐるのを幸ひ、作つて見たのだつた。やはり一日がかりで、不恰好なものが出來上つたが、これは廂よりはらくでもあり、製作中も樂しみだつた。彼はじゆんに云つて椅子用の小さな布團を作らした。
足がすつかり治つて、外歩きも自由になるのを待ちかねて、ある日駿介は自轉車に乘つて村での街になつてゐる所へ出かけて行つた。そこまではちよつと半道だつた。彼はそこの店でセメントを一俵買つて自轉車の後ろにつけた。一俵のセメントは重かつた。彼はそれをつけて自轉車を走らす自信がなく、しばらくは押して行つたが、道がやや下り坂になつた所でためしに乘つて見た。自轉車は走り出したが、最初からよろめいてゐて、駿介のハンドルを持つ手は固く強ばつてゐた。次第に速力が増すにつれて、不安な自信のない氣持は強まり、たうとう彼は途中で投げ出してしまつた。ブレーキをかけると同時に自轉車を棄てて飛び下り、自轉車は激しい音を立てて横倒しに倒れた。
麥畑を隔てて、十間ほど向うは電車の軌道になつてゐる。ゆつくりゆつくりした電車は田圃の間を走り、このあたりの村々と縣廳のある町とをつないでゐる。セメントの俵を持ち上げることに汗を搾つてゐた駿介は、東から西へ、町へ向つて行く電車の響を聞いた。うつむいてゐた彼は何氣なく顏をあげた。二三の顏が窓からこつちを見てゐる。その顏の一つとふと眼が合つた。
面長な顏の作りの一々は、離れてゐてはわからなかつたが、その顏はたしかに見覺えのあるものだつた。誰だつたらう? さう思ふ間もなく電車は遠ざかり、窓からの顏は横向きになり、眼鏡がキラツと光つた時に、駿介にはその名が思ひ浮んだ。(さうだ。志村克彦だ。彼が歸つてゐたとは知らなかつた。)
志村もぢつとこつちを注視してゐた。たとへこのやうな一般の百姓に同じなりをしてゐても、自分が誰であるかを彼は認めたのであらう。
(彼は一體何時から歸つてゐるのだらう。さうして今はどうしてゐるのだらう。)すると、この自分とは年こそ幾つも違ひはしないが、自分よりは一時代前の青年といつていい、そしてその時代を兎にも角にも高いものを求める青年らしく生き、鬪つた彼に一度會つて話して見たいとの欲求がおさへ難いものになつた。蹉跌後田舍へ歸つて、彼は今何をどう考へてゐるか、日常をどのやうにして送つてゐるか、さういふことを知りたいと思つた。それは自分にとつては、絶對に必要なことだとさへ強く思ひ込んだ。
しかし一方にはまた、會はずにゐた方がよくはないかといふやうな氣もする。志村にばかりではなく、誰にも當分は會はずにおかう、といふやうな氣も起る。殊に駿介は志村のかなりに烈しい性格を知つてゐる。嘗て、壓倒して來る彼の力を撥ね返すためには駿介は並々ならぬ力を搾つた。勿論當時の彼のさういふ力の源は、彼の個人的性格の烈しさといふやうな單純なものではなかつたが、いま駿介が志村を避けようとする氣持は、當時彼を避けた氣持とはまるで違ふ。長い低迷の後に此頃漸く何かを探り當てたやうな氣がしてゐる。自分のなかに何か出來上つて來るやうな氣がしてゐる。それだけに、それがどのやうな性質のものであらうとも、他人からの影響をおそれる氣持が彼にはあつたのである。
自轉車を押しながら歸つて來た駿介は、今度は山へ行つて、小石や岩の碎けを竹籠に入れて、運んだ。五囘程往復した。それから玄翁をもつてそれらを碎き、井戸端に敷き詰め、そこにセメントを流し込んで、コンクリートの地盤を固めた。次に砂利を混じたセメントでその上を上塗りした。出來上りは、井戸端のどこで水を流しても、水は角の壺に落ち込むやうにゆるやかな斜面になつてゐる。これが仕上ると次は車井戸を仕掛ける設備だ。撥釣瓶は今まででさへ、井戸の深さから使ひ難かつたのに、今はその井戸がさらに深くなつてゐる。車井戸は門型に木を組んでそれに車を取り付けるのだが、二本の柱の頭を凸形に切り込み、その上に渡す横木に二つの穴をあける作業が、簡單なものに見えてなかなかさうではなかつた。
それもどうにか出來上つたが、すべてこれらの仕事の間ぢゆう、駒平は、日暮れ方畑から歸つて來て、なほそこに殘つて何かしてゐる駿介が眼にでもつけば傍へ來て、氣がつくままに仕事の上の注意などしたが、そのほかには取り立てて何も云はなかつた。好きなことは默つてやらせておく、と云つた風に見られた。
そして駒平は昔からさうであつた。子供の時から駿介は口喧しかつた父をほとんど知らない。小學校を出た駿介が、もつと上の學校に行きたいといふ身分不相應な願を懷き、金持の家の冷飯を喰ひながら中學校へ通ふ道が開けた時にも、それを父に向つて云ひ出すまでにはかなりの躊躇がいつた。駿介の前には男の子が二人死んでゐる。殘つたただ一人の男の子だけに、そのやうな風變りな道を歩むといふことについては、一波瀾も二波瀾もまぬがれまいと思つた。しかし實際は何事もなく二つ返事で、駿介のためにその話に來た遠縁にあたる地主の上原新次が拍子拔けしたほどだつた。
「お前の親父、何をどう考へてゐるのかちつともわかりやせん。反對するでもなし、さうかといつてまた大して喜ぶでもなし……」と、あとで、上原が駿介に云つた。ひどく反對するのを見事に説き伏せるか、それとも息子の出世の道の開けたことに双手を上げて喜ぶか、そのどつちかの場合に上原が張合ひを感じたであらうことに違ひはない。しかし駒平が、心の張りを失つてゐるわけではなく、考へるべきことは考へ、見るべきことは見てゐないわけでもないことは、えらいところはあつたにしてもずぼらだつた先代の殘した莫大な借錢を、人のおどろくほど短日月の間に返してしまつたといふやうな、一つの例でも知れる。そのために土地はほとんど手離してしまつたが、その時の思ひ切りの好さは、驚かれもし感心もされたものだつた。それ以後は、人のためになるだけの力もない代り、人にもたれかかる事もなく、つつましく、清潔に暮してゐる。今時の百姓らしく、彼もずゐぶん暮しには困つてゐるのだが、外からは一向に困つてゐるらしくも見えない。急場をたくみに凌いで行くところには老練な要領のよさがある。何か生活といふものの勘所を握つてゐるといふ感じだ。さういふやうなのは、村では、陰口の一つも叩かれかねないのだが、駒平の場合は、進んで自分を人に意識させようとするやうな、どんな小さな一つの言葉も行爲もないので、まぬがれてゐる。ある人々からはつかみどころのない妙な人間だといふことになつてゐるが、ある人々からはひそかな尊敬を持たれてゐる。
普選になつてから、先代の恩義を感じてゐる村の人達のなかには、駒平を村會に出さうと、寄り合つて話したものもあつたが、駒平は固辭して受けなかつた。
父親のこのやうな寛容について、駿介は青年期に入つてから考へて見たことがある。それはいろいろなものから來てゐると思へた。ものわかりの好さ、農民特有の物事は成るやうにしか成らぬとの考へ方、人にはそれぞれの星がある、息子には息子の星がある、それには逆らへぬとの信仰、地方政治に首などつつこんで動きがとれなくなつた先代の破綻を見てゐるだけに、自分としてはただつつましく生きて行きたいが、それが人間の生き方として唯一のものだとも最上のものだとも思はない。むしろほかの生き方こそ望ましいが、それが出來ないとすればせめて他人にだけでも自分の意志は強ひず、思ふがままにあらしめたいといふ氣持、生來謙虚な性質から來るもののほかに、そのやうな處生哲學が附け加つてゐると思へた。
駒平が息子についてそれ以上には考へてゐない、息子の心の世界に細かに入らうとしていろいろ心を碎いてゐないなどとは、勿論駿介は思つてはゐなかつた。教養は無いながら、生活人として見たり聞いたりすることを綜合し、健康な常識を便りにして「今の若い者たち」の世界を理解しようとして多少は積極的でさへある。理解し得てゐる、とは駒平自身思へない。しかし理解を求める彼の氣持が、甚だしく不可解な抵抗に衝き當らない限りは、彼は滿足してゐることが出來る。遠くの方から、若いものたちの世界に、遠慮がちな微笑を送つてゐることが出來る。が、抵抗があるとさうはいかない。寛容が温かな行き屆いた理解の上に立たねばならぬことを無意識のうちに知つてゐる彼は、わからぬものをわからうとして苦しまねばならぬ。しかし、容易にはわからない。
一度だけ、蓆を敷いた薄暗い二階でほぼ出來上つた椅子の工合を見てゐる駿介のところへ、駒平が上つて來た。暮れ方であつた。階段を靜かに上つて來た駒平は、そこに立つて不審さうになかを覗いた。
「窓の廂はもう出來たんやろ……今日は何を作つてるね。」
「椅子を作つてみたんです。」
「椅子を?」
「ええ、テーブルがあつて椅子がないもんだから、讀書用にと思つて……ところがこんなものが出來つちやつて。」
彼はそれに手をかけ、ゆすぶつて見ながら笑つて、
「安樂椅子みたいな形に作つたんだけれど、腰を下すと、前にのめり出すみたいな感じなんです。」
そして彼は腰をかけて見せた。
「うん。」
ぢつと見てゐて、駒平は何かわからぬやうな、そして云ひたいことが内にこもつてゐるやうな表情だつた。が、何も云はなかつた。やがて彼は下りて行つた。
彼が下りて行つてから、何となく物問ひたげな、心殘りのあるらしかつた彼の印象がいつまでも駿介の頭に殘つた。駒平の心に、不可解なままに引つかかつてゐることについて駿介は知つてゐた。
駒平は妻のおむらと二人きりの時、よくかう云ひ云ひした。
「駿介はありや一體、どなな氣持でゐるんぢやろ。學校の方はどないにする氣でゐるんぢやろ、さつぱり見當もつきやせんが。お前には何か云はなんだかえ?」
「わたしには何も云ひやしませんが。」と、似たもの夫婦といふ言葉がそつくりそのままな、口數の少い物靜かなおむらが云つた。
「學校がいやになつたとでもいふんか、東京に何か事でもあつたんか……病氣で弱つたからだの養生に歸つて來たと云ふのと、どつかちがふやうに俺ら思ふんぢやが。」
「此頃は本も前ほど讀みよりやせん。そしてからに、わしらの手傳ひなんぞばつかししたがつとるふうぢやが。」
「百姓仕事の手傳ひするのはええこつた。からだにもええし、なんでも覺えといて損はないんぢやけに。けど、駿のはもうまるで東京へは歸らんといつたやうな恰好ぢやからのう。」
「何かお金のこつても……東京でお世話になつとるお金持のとこをしくじりでもして、もう學校へは行けんやうになつてしまうたといふやうなこととは違ふんかしら。」
ずうつと自活しながら學校へ行つて居て、經濟的な負擔はかけてゐないといふこともあつて、全然違ふ世界である息子の學生生活の細かな點については兩親にはわかつてゐない。
「お父つあん、青柳さ行つたついでに上原へでも寄つてそれとなく訊いて見りやいいに。」
「うん。」
「一體、お父つあんはあかん。何も訊いて見もせんで、ひとりしてやきもき氣をもんどるんやけに。駿にだつて、何もたづねてもみもせんで、ただわからんわからん云うとるんやけに。」
「俺ら何も訊いてみんことはないわ。」
彼は折にふれて訊ねてはゐた。しかし駿介の返事はいつも曖昧だつた。「もう少し居てみるつもりです。」といふやうなことを出でなかつた。話がそのことに觸れると、彼は避けたいらしく、時にはその氣持を色に出して見せもした。駒平は押しては云へなかつた。
椅子を作る、といふやうな何でもないやうなことも、だから、駒平の注意をするどくとらへずにはゐなかつたわけだ。何のために椅子などを作る? やがてもう東京へ歸つて行く身としたならば、今さらそんなものは不用であらう。
そのことについて、一度心ゆくまで駒平に話したい、話さねばならぬと駿介も思つてはゐた。病後の保養のために郷里へ歸るといふ契機を、たしかに彼はつかんだのであつた。かなり以前からひそかに考へつづけてゐたことも、何かのきつかけがなければ決行はできない。病氣は偶然の惠みとさへ思へた。彼は單に保養のためばかりには歸らなかつた。このまま歸りきりになるかも知れぬと考へてゐた。さうしてそれ以來三月だが、彼の考へはまだきまつてゐないのだ。インテリゲンチヤとしての生活を棄てて、以前の出身階級に歸る、それは何でもないことのやうでゐて、その實はかなりな決意を要することであつた。少年期から青年期までずつとかかつて身につけて來た都會生活の匂ひを、われとわが身から消して行く、それはどうにか可能だとしても、さうして再び復歸して行く父祖以來の生活が、果して何を自分の上にもたらすであらうか? 傳統や習俗は恐らくは頭のなかで考へるほどに生やさしいものではあるまい。がんじがらみに逢つて身動きが出來ず、結局敗けてしまふことになりはしないか? 何かを爲し得たとしても、その生活はせいぜいかの獨善的な「土に還れ」主義者と五十歩百歩ではないか。自分から作り出さうとしてゐるこの轉機は、考へて見れば恐ろしい冒險だ。それは自分の生涯に關することだ。社會のことは自分ひとりがどうじたばたしてみたところでどうにもなるものではない。社會の事に與る自分の力なぞ何れにしても大したものであるわけはない。結局は、一度乘りだした軌道に疑はずつくのが安らかといふものだらう。さういふやうな心にもなる。
さうかうしてゐるうちに、杉野の家の麥にも、刈取期が來た。
駿介は、朝四時半に起き、仕度をして、五時にはもう鎌を持つて駒平とならんで畑に立つてゐた。
農事を手傳つた遠い少年の頃の記憶がよみがへる。鎌を持つなど彼にはもう何年このかたのことである。しかも彼は、籠を擔いで山へ草刈りに行つたことはあるが、麥刈りの經驗はまだ持たなかつた。
このあたりの麥はほとんど畝播であつた。そして杉野の家のそれは廣播栽培だつた。一畝の幅が五尺に近い。普通の畝の殆ど二倍の幅である。一畝に一尺二三寸の作條が二本通つてゐる。しかし麥も成熟し、刈り取られるばかりになつてゐる今は、その一つの畝が二つにわかれて、最初からさうであつたもののやうになつてゐる。一月、麥の本葉がやうやく一二枚出はじめる頃から、四月の穗孕みの頃まで、數囘にわたる土入れの間に、畝と畝との間の土を使ひはたし、それ以後は二本の作條の間の土を鍬で掘るからである。
麥の實りは申し分なかつた。穗首まで黄いろくなり、芒は金の針のやうに、今が丁度刈り時である。株は充分に張つて畝間は歩くのもやつとなほどだ。風が渡るとき、麥は稻ほどに頭は垂れず、立つたまま心地よく乾いた音を立ててゆれる。
「廣播はやつぱり得なのかね、お父つあん。村を歩いてみると廣播のとこがあり、普通播のところがあり、いろいろだが……」
「何でもやりやう一つさね、やりやう一つで損もし得もするさ。けど、廣播はがいに肥料を食ふけにな。そりやその筈ぢや。普通播よりや二倍以上も土地を多く利用するんやけに。堆肥二百貫ですむところ、二百五十貫といふやうなもんぢや。それでどつかでヘマやりをつて、多く穫れんと、すぐ廣播はあかん、損ぢや、といふことになる。」
「うちぢや何俵位?」
「まアいいとこ、十二俵といふとこだのう。よそぢや八俵九俵なんといふとこが多いんぢや。」
「これは何ていふ種類ですか。」と、駿介は穗を持つて見て、芒の快い刺※を手のひらに感じながら云つた。
「白珍子いふんぢや。」
「麥はな、少し早目に刈らにやあかんのぢやが……」
さう云つて、駒平は、畝間を先へ歩いて行つた。
或ひは日が少し遲れてゐるのかも知れなかつた。刈り出してから降られては困ると一日二日と雨を待つてのばしてゐた。そこへ雨が來た。一日降り、二日目曇り、又その次の日少し降つた。駿介が井戸端の作りを終へた翌日からだつた。駒平は、「これで煙草の方は工合よう行つて、まアまアくつろいだ」と云つて、朝飯を食つてから、いかにも所在なげに横になつてうつらうつらしてゐた。
駒平は、畝の向うの端から刈りはじめて、ずんずんこつちの方へ進んで來た。顏をあげて、
「やつて見つか? けど、刈れつかな。麥刈つたことあつたつけか。」と笑つた。あげた額はもう汗で光つてゐる。駿介は、
「うん。」と頷くやうに云つて、なほも、再び刈り出した駒平の手つきや腰つきを細かに觀察してゐた。
さくさくさく、と次から次へ移る間が一定した、いかにも輕く爽快な感じの音が續き、するともう左手には刈られた麥が持ち切れぬほどに握られてゐる。それを畝の上に並べておく。次にかかる。輕快で、何の造作があらうとも思はれない。駿介の子供の時の、草刈りの經驗に、別に新しく何かつけ加へねばならぬものがあらうとも思へない。で、彼も、その隣の畝を、逆にこつちの端から刈りはじめた。
左手で莖を一握りつかみ、鎌をその根元にあててぐつと手前に引いて見た。そこでそれはさくり、と氣持のいい音を立てて切れねばならぬ筈であつた。しかし切れなかつた。鎌の刄の當つた莖の根元は折れ曲つたが、芯が強靱な感じで、鎌の刄は彈き返されるやうな手答へだつた。そこで前よりは一層力を入れて見た。しかし同じことであつた。駿介は自然焦る氣持になつてゐた。右手にも左手にも力がはいり、握つてゐるものを一層強く握りしめ、その手のひらのなかは汗でべとついてゐた。べつに莖を一度にたくさん握り過ぎたとも思へない。鎌をごしごしこすりつけるやうにして切るなどは、誰が見てゐるのでないにしても出來ない氣持だ。餘り力を入れすぎては、根こぎにするやうなことにもなるだらう。氣づいて、少し手をゆるめた。おかしな腰つきで、鯱張つてゐるやうな自分の姿が彼は恥づかしくなつた。今朝、駒平が研いだばかりの鎌の刄が、夏の朝の日ざしに、徒らに白く光つた。
駒平は刈り進んで、もう眼の前に來てゐた。駿介が立ち上つたのを見て、駒平も立ち上つた。
「何ぢや、やつぱしよう刈らんのけ。」
すぐにそれと知つて、さう云つて笑ひながら、刈り終つた畝を跨いで駒平は傍へやつて來た。
「麥はな、かうして刈らにやあかんのぢや。」
彼はそれをやつて見せながら、
「よしか、この左の手の加減一つだ。ただ握つとるだけぢやあかん。これをかう向うへ押して、」
莖の根元に鎌をあて、鎌を引くと同時に、そこから二三寸上のあたりを握つてゐる左手を向うの方へ押す。すると氣持よくさくりと切れる。駿介はその通りやつて見て、成功した。聞いてみると、なあんだ、と云ひたいやうなことで、さつきからやつてゐたことのやうな氣もするが、切れなかつたところを見ると、やはり骨といふものはあるのであらう。
二人は並んで二つの畝を刈りはじめた。駿介はぐんぐん追ひ拔かれて行つた。競爭する氣持などは、むろんはじめから無いにしても、自然焦る氣持で、どうしたら早く刈れるかとそればかりが頭にあつた。一度に左手に握る莖の束を多くすることから先づはじめたが、餘り欲張つてまた握り直しなどして、かへつて時間を食つた。自分が刈り得る極限がわかり、べつに考へもせず自然に握る分量がそのままその極限に一致するといふまでには、ずゐぶん刈つて見なければならなかつた。刈つてゐる間は、よく刈らう、早く刈らう、といふことのほか殆ど何も考へない。肉體的苦痛のやうなものも感じない。腕をのばす時、びしよ濡れになつたシヤツが肌にねばりつくのだけを感じた。しかしそれさへ快かつた。向うの端までやうやく辿りつき、ほつとして體をのばし、振り返つて見ると、さつきそこですれちがつたと思つた駒平が、もう二つ目をすまし、三つ目の畝を向うの端から刈つて來るところだつた。駒平の刈跡は、高低なく、まるで機械ででも刈つたかと思へるまでに美しい。駿介のそれは、高低が不揃ひで、切り口も、鎌の鋭い切れ味を見せてゐるとは云ひ難い。
朝の涼しいうちにと思つてはじめたのが、七時には日射しはもう暑いくらゐだつた。一雨降つたあと、急に烈しくなつた日が感じられた。うつむいてゐると、汗が眼にはいつて眼さきがかすんだ。駿介はやうやく疲れて來た。どこよりもさきに腰の痛みが身にこたへて來た。體が慣れとらんのやけに、今日はそれでおいとけ、といふ駒平の言葉に、殘念ながら從はないわけにはいかなかつた。
午後は日陰で寢てゐた。いい氣持に一眠りして起きてから、猫車を押して畑へ行つた。刈つて畝の上に並べてある麥を集めて束にし、それを猫車に積んで家の庭に運んで來た。庭に高く積み上げ、上から蓆をかけて一晩おいた。
次の朝は、まだ暗いうちから稻扱機で扱きはじめたが、これは小學生の頃、手傳つて覺えのある仕事だ。左手で稻扱機のペダルを踏んで、齒車を轉させながら、右手で麥を取り、左手に握り代へては齒車に當てて扱き終つた麥殼を左側に積み上げる。自轉車乘りや水泳ぎなど、一度覺え込むと何年顧みずにおいても忘れることがないのと同じやうに、十年ぶりで稻扱機のペダルを踏んでも、駿介の神經や感覺がその作業に對應し、調子が出て來るのに、さほど長い時間はかからなかつた。動かず、靜止してゐるのは右足だけである。左足と兩手は一つの律動的な動きを爲し、その動きに乘つて行く彼の氣持は愉快にはずんだ。
扱き落した麥粒は唐箕に入れて殼や麥藁屑を取り去り、萬石にかけて石や砂を選り別ける。それから蓆にわけて數日間陽に當て、充分乾した上で俵にする。