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生活の探求
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生活の探求
島木健作
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Chapter 5 of 15

五

青柳村の上原新次から手紙が來た。しばらくお目にかからないが、身體の方はどうか、いろいろお話したいこともある。明後日あたり、訪ねて見てはくれまいか、とさういふ文言だつた。志村の來訪の日から、二日後のことである。

手紙を讀み終つて傍へおくと、その日は雨で、家にゐた駒平が、向うから、

「上原からな。」と訊いた。駒平が、配達夫から受け取つて、持つて來てくれたのである。

「ええ。」

「こないだな、俺ら青柳さ行つたとき、もう長いこと顏出しせんでゐたもんで、上原さ寄つてみた。するとお前の話が出てな、どうする氣ぢや、といふやうなことゆゑ駿ももう子供ぢやなし、考へとることもあるやらうから、わしとしちや、駿の考へに任せるつもりでをります、とそのやうに云うておいたけに。」

老父のこまかな心づかひが感ぜられた。

「ええ、どうも。」と、駿介は心もち頭を下げるやうにした。

手紙の用件は、尋ねなくてもわかつていることである。彼からの手紙を待たなくても、こつちから行つて話さなくてはならぬ時は來てゐたのである。

今、彼は、新しい感情で東京での自分の長い間の學生生活を、その最初の時から今に到るまでを、心にも眼にも生き生きと思ひ泛べた。特にはつきりと思ひ泛ぶいくつかの情景があつて、それらを連ぬる線の上に彼の囘想はひろがつて行つた。はじめて下り立つた十年前の、朝の東京驛のプラツトフオームの喧噪のなかに、少年の彼の心はわななくほどだつた。期待と喜びとおそれとがごつちやになつた興奮に彼の頬はそまつてゐた。今も彼は、その最初の出郷の日を前にして撮つた、ニコニコ絣の着物を着て、先のつぼまつたモンペのやうな袴をつけた寫眞に向ふごとに涙の滲むやうな氣持をおさへることが出來ない。殊勝だつたその時の氣持を思はないわけにはいかない。

眼に見るものはただまぶしく、耳に聞くものはただガーツと一つ音が頭の上に押しかぶさつて來る感じのなかに、先に立つ上原新次の體のかげに、その體に取りすがるやうにして彼は外へ吐き出された。

乘り物に乘つて、どこをどう通つたのかわからなかつた。着いたのが上原の泊りつけらしい旅館だつた。その日とその次の日一日、上原は彼を連れて、東京の名所を案内して歩いた。他人の家に住み込むやうになつては、勝手に出歩くといふことは容易に望めることではないからである。

住み込むことになつたのは、彼の郷里の出身で、新しい事業家として、近年にはかに産を成したといはれる岡島家だつた。駿介をそこに書生として住み込ませ、百姓の子である彼に、彼の心がけ一つで、高等の教育まで受け得るやうな道を開いてやつたのは、岡島とは古くからの知合ひである上原の力であつた。ここに日夕自分が住むことになるのかと思へば、夢のやうな氣持もされる廣大な邸宅の奧の間で、上原を介添へとして、主人の岡島に初の御目見得をしたとき、彼は全身のふるへがとまらなかつた。體を小さく縮めて、相手の顏は見ず、挨拶の言葉も口のなかであつた。

「ふむ、なかなかいいからだだな。」

岡島がさう云つたのに對して、どう云ふべきかを知らなかつた。上原が傍で取りなし顏に何か云つた。

少年の彼の胸に、この時はじめて、かなしい處世の訓へが、深く刻まれたのである。「どんな恥づかしいことをも忍べ。この人(正確に云へば、この人によつて代表される人々)の機嫌は損ずるな。」

岡島が、その初對面に、「いいからだだな」と云つたのは、通り一遍の言葉以上に、まことに意味のある言葉と云ふべきだつた。彼は駿介を値ぶみしてゐた。それは事業會社に於て澤山の人を使ふ彼にはふさはしいことだつた。

住み込んで、駿介がはじめもつとも心配したのは、田舍者である彼が、どうして早く都會慣れするかであつた。なめらかな言葉で客に應對し、電話をたくみにかけるといふやうなことだつた。しかしそれは杞憂だつた。さういふやうなことは必要だとしても、大したことではなかつた。客の應對や、電話には、小間使がゐた。彼は田舍者らしく、その「いいからだ」で仕へればよかつた。

十四の少年にとつて、このやうな大家の書生の仕事は、まことにゆるくはないことであつた。それは相當な勞働に匹敵した。朝は夏冬とも五時起床で、それから夕方までほとんど自分の時間といふものがなかつた。鏡のやうによく磨かれた廣い縁側から、長い廊下から、梯子段まで、米の白水か袋入りの糠を浸した水かで拭いてまはる。築山もあり池もあり四阿もあり、小暗い木々の繁みさへある庭を竹箒で掃き淨める。門から玄關までの前庭も同樣である。バケツに何杯もの水を汲んでは打水をする。三和土に水を撒いて柄のついた長いブラシで洗ふ。掃除がすんで一服する間もなく、そこにはもう何かかにか走り使ひが待つてゐる。儉約な家で、ずゐぶん遠く使ひに出る時も交通費は出なかつた。自轉車で行くのだ。はじめのうち一二ヶ月はこれが何よりも苦手だつた。坦々とした田舍道を行くことに慣れた彼の神經が、あらゆる交通機關が流れるなかをたくみに縫うて行くことに慣れるまでには、何度か四辻の交通巡査の前に立たされなければならなかつたし、後や横からの車に跳ね飛ばされもしなければならなかつた。

だから夜學では時々眠つた。好學の心がどう燃えてゐても、肉體がいふことをきかなかつた。

學校は夜間中學であつたのである。これは駿介の期待が少なからず意外としたことだつた。上原も意外としたらしかつた、別に夜間晝間の何れといふ、はつきりした約束があらかじめあつたわけではないが、有望な少年に學費を給して上級學校まで學ばせる、と聞かされては、聞いた方は世間普通の學生を考へるのは當然と云ふべきだらう。しかし、岡島の家令とも、祕書役とも云ふべき男がゐて、すべては彼の取り極めに從はなければならなかつた。それに對し、駿介はもちろん、上原とても何も云はなかつた。幻滅は感じたくはなかつたから、たとへ夜間でも、東京でも數少い、晝間と同じ資格を得られる中學といふことで滿足しなければならなかつた。

三年四年はすぐに經つた。「恥を忍べ。人の機嫌は損ずるな。」胸に疊み込んだこの訓へも、自分の手で地べたへ叩きつけたくなるやうな瞬間も、幾度か味はつたが、その都度、どうにか堪へた。彼はひたすらに、勤勉實直な小心翼々たる面白味のない模範生として終始した。はじめて、その禁を犯して、爭はねばならなかつたのは、中學から上の學校へ進むことになつた時のことである。

「君は商大の專門部へはいれ。」と、家令兼祕書役の男が云つた。

その時は默つて引き下つたが、駿介の胸はおさまらなかつた。彼はもうものを突つ込んで考へずにはゐられぬし、自己を主張せずにもゐられぬ青年だつた。彼がこの家へ來たそもそものはじめ、彼等は何と云つたか?

「本人が將來、どつちの方向に進まうと、そりやわたしとしては無論、何も云ふことはない。本人の好きな方向に進んだらいい。わたしが世話をしたからと云つて、あとで何かの責任をもつてくれなどといふんぢやない。子弟の教育といふことは、いはばわたしの道樂なのだから。」

岡島自身、上原にさう云つた言葉は、今も彼の記憶に殘つてゐる。

駿介は自然科學に興味を持つ學生だつた。農學プロパーか、農藝化學か、具體的にはまだきめることは出來なかつたが、ともかく自分の出身についての自覺から、その方面の學問がしたかつた。そして、同じ苦しんで學ぶのなら、高等學校から大學への道を進みたかつた。

二度目に祕書の男に逢つて、その志望を云つた時、彼はむしろびつくりしたやうな顏をした。

「君もまた物好きな男だね。三年で立派に一人前になれるところを、何でまた辛い目して、六年もやらうと云ふんだい。大學へ行くのは就職のためにいい條件を作りたいからだらう。さうして大學を出ても、今時なかなかいい口なんぞあるもんぢやない。それを君なんかは中學へ入つた時から、もう、先のことが、一生涯の生活がちやんと保證されてゐるといつていいんだ。こんな結構なことは、願つてもあるわけのものではないぢやないか。」

彼の理解は、ほんたうにそれ以上には進み得ぬものらしかつた。

「尾上君を見給へ、尾上君を。」

「尾上さん?」

駿介は彼を知つてゐる。岡島が主宰する商事會社の若い社員だが、岡島の私宅へは繁々と出入りし、家族の者達との間に特別に親しい、私的な接觸を保つてゐるらしかつた。御機嫌うかがひに伺候する、と云つたふうにもながめられた。法事とか、何か祝事とか、さういふ客のたくさん集る時には、必ずやつて來て、こまめにからだを働かせ、奧向きの事にまで口を出し、「おい、君、君、」と呼んで、駿介を顎で使つた。

「尾上君も昔は君と同じ境遇にあつた人だ。それが今の尾上君の社内での地位といつたらなかなか大したものだよ。同じ年に入社した大學出なんど敵ふもんぢやない。」

駿介は、自分を使ふ時の尾上の取りすまし方や、その眼の冷さを思ひ泛べた。彼は自分を憎んでゐると思つた。さういふ敵意の出所もなんとなくわかるやうな氣がした。

しかしそれ以上に新しいことをも、同時に駿介は知つた。岡島の子弟教育は、彼のいふやうに、金持の「道樂」の一つであり、それは彼のいろいろな道樂のなかで、一番高尚な、社會的意義あるものに違ひなかつた。が、この高尚な道樂によつて精神的な滿足を得ると同時に、生涯自分の頤使に甘んじて誤たぬ何人かを、關係ある會社内に持ち得るとすれば、一層好都合であるに違ひなかつた。「將來、どの方向に進まうが自由である」と彼は云つた。しかし、さうした自由よりは、岡島の羽交ひの下に住む不自由な安全を、より願はぬものを彼の世話になるやうな境涯の少年のなかに期待することは困難であらう。

が、駿介はその自由の方を愛した。農學をやりたい、大學に進みたい、といふ願ひは絶對的なものでないとしても、最初の約が何等の反省なく無視されてゐるといふことが、生涯の自分の進路が他人の手によつて頭ごなしにきめられると云ふことが、彼の若さには堪へ得ぬ侮辱だつた。ほかのこととはちがふ。

かうして、彼はその時はじめて彼の誓を破つたのである。

冬の休みに、郷里から上原が上京して來た。彼が祕書の男と駿介との間に立つていろいろ話をした。駿介ははじめて人の驚くやうな頑固な一徹さを示した。廢學して歸郷することすら考へたが、結局上原のたくみな取りなしで、彼は志望通り高等學校へ入ることが出來た。しかし理科ではなく文科で、大學は經濟か法科が期待され、卒業後は依然人々がきめたコースを行かねばならぬやうに、暗默のうちにやんわり約束せしめられてしまつた。若さと老獪とでは勝負にならなかつた。自分の知らぬところで、自分の意志だとして、上原の口からどんなことが岡島や祕書の男に云はれているかと思ふと、不滿であつたが、そのまま默るのほかはなかつた。

しかし、高等學校へ入つて三年目に、彼は遂に再度彼の保護者と衝突してしまつた。直接の原因は些細なことに過ぎなかつたが、積り積つたものがあるのだつた。今度は上原の肝いりも力がなかつた。忘恩の徒と云はれても、駿介はある日以後、岡島家とのそれ迄の關係を自らきつぱり斷ち切るのほかはなかつた。

上原は、田舍者らしい頑固さや一本調子ではなく、幅も深みもある人間だつた。いはば飼犬に手を噛まれたといふ感じの駿介を、彼は棄てなかつた。駿介のために家庭教師の口を世話し、駿介はどうにかその後一年餘りの學生生活を續けることが出來た。

この二度目の駿介の反撥の心理は、最初の時とはちがひ、單純ではなかつた。青年の、鬱勃とした精神が、すでに自分の内部に新しく頭を持ち上げ始めて來たことを彼は感じてゐた。卑屈であることを強ひられて來たやうな彼も、自分の小さく堅い殼を、自らの精神によつて突き破らないわけにはいかなかつた。彼は奔放で自由な、高揚する精神に惜みなく自分の全身を委ねようとしたのであつた。

彼の不幸は、彼が内部に青年の特權であるそのやうな鬱勃たる精神を感じ始めた時が、彼の外部にもそのやうな精神の汪溢を感じ得る時と必ずしも一つではないといふことであつた。二つの時は食ひ違つてゐた。勿論、いついかなる時代と社會にも新しい鬱勃たる精神の擡頭がまるでないなどといふことはなかつた。それは底流としてあつた。しかし内と外とが相呼應しうるやうな状態にはなかつた。時代は確かに閉塞してゐるといへた。そして外がそのやうな状態にある時には、内に籠つて漸く外に伸びようとする青年の精神は、充分に伸びることも、一定の方向を持つことも出來ないのであつた。

それは勢よく燃え上らうとするものが、途中で水氣に逢ひ、消えはしないながらぶすぶすと燻ぶらねばならぬのに似てゐた。疏通口を求めて得られぬ流れにも似てゐた。それまで彼は周圍の喧噪に對して、自ら努力して眼を覆ひ、耳をふさいで來たのであつた。數年來の社會の波の起伏は學窓にある彼の周圍にまで迫らずにはゐなかつた。學業を途中で放擲して、自分からその波のなかに捲き込まれて行つたやうな學生をさへ何人か彼は自分のすぐ側に見送つた。しかし彼は自分の狹い世界を益々堅固にし、そのなかに籠ることでその風潮に答へた。自分のやうな境涯にある學生はひとへに守舊の道を行けばいいので、脇目をふるべきではないとおのれに言ひ聽かせた。しかし、事はそれですまし得る筈もない。自ら意識し、努力しておのれの狹い世界を益々堅固にしようとすることは、取りも直さず、外からの壓迫に對する自分の世界の矛盾、弱さを感じてゐることの表明だつた。次第に彼の眼は外部へ、社會へと伸びて行つた。自分と自分の仕事とを廣い社會のなかに据ゑて考へ、その何處に据ゑることが正しいかを眞劔に考へはじめた。

彼は眼覺めた眼を開いて社會を見た。しかもその時、社會は、この二三年の間に大きな轉囘を遂げてゐた。外へ向つた青年の心が據り所とする原則といふものは、存在せぬわけはないとしても、幾多の疑と、躊躇とを經ないでは到底求め得ぬやうな時代になつてゐたのである。彼は苦しまないわけにはいかなかつた。彼は嘗て自分のすぐ側に見送つたやうな學生達であることは到底出來なかつた。

眞に社會的な人間として生きる道と、個人としての自己の生存の道とが、矛盾なく統一されてゐるやうな状態について多くの青年と共に、駿介も亦思ひを凝らした。そのやうな道は現代にあつては何と稀であり、たとへ見出し得たにしても踏むに難いことであらう。彼は切ないほどの羨望の心で、社會のより若い發展の時期に生れ、活動し、死んで行つた人々の幸福を思ひやつた。その時期に於ては二つの道の統一を求めることはさほどに困難ではなかつた。ほとんど心を勞せずに、たまたま選ばれた職業の道の如きものが、客觀的には、社會に生きる人間の眞實の道とそのまま一つであるといふことが多いのであつた。しかし彼はまた青年らしい熱い思ひで、今日のやうな閉塞した時代に生きることの意義深さをも思つた。もしもこの時代に、その求める道が見出され、最後までその道を生き拔くことが出來たならば、その素晴らしさは彼が羨望した時代の人々に比してどれ程であらう。

彼は自分の周圍の學生群を眺めやつた。今までは何等疑ふことなく、自分もそのなかの一人として見てゐた學生群が、時には名状しがたい奇體な存在として眼に映るのであつた。職業の道以外の道について頭を使つてゐる者は決して多いとは云へぬのであつた。秀才といはれる者たちは、競つて理科系統の學問に向つてつき進んで行つた。彼等の心理の基礎は一種の社會無關心派のそれだつた。一頃の反動なのであらう。社會の全面的理解といふことは、最初から故意に拒否されて、技術屋の道は繁榮する、それは社會のどのやうな時代においてであらうとも繁榮する、といふことを立證する社會の一面だけが抽き出されて理解されてゐた。

技術屋の道の繁榮をもたらした職業の道は、同時に又、學生の間に、スポーツ、ダンス、謠曲、俳諧、書道、その他種々樣々なものの繁榮をもたらしてゐた。

駿介が家庭教師として通つてゐる平山家の息子達、駿介が教へてゐる子の兄である二人の大學生やその仲間達はまた少し變つてゐた。彼等は職業の道についてはほとんど頭を惱ます必要はなかつた。彼等は一日に一度は、背廣を着込んで銀座に現れたが、通學の時の服裝は上衣が學生服に代るだけで折目のキチンとした色變りのズボンに、靴は赤か、白にチヨコレートいろの模樣のあるものなどで、上衣の袖口からは水いろのワイシヤツの袖が長くはみ出てゐた。彼等の多くは風呂敷包やバツグなどは持たず、辯護士や大學教授の持つやうな大きな革の鞄を下げたり抱へたりして歩いた。なかからは映畫の雜誌や、プロマイドなどがあらはれる。平山の家では、週末には親達は靜養のために別莊へ行つて留守である。土曜か日曜の夜には、どこかでしたたかに飮んで來た大學生達が、この家の息子を先頭にどやどやなだれ込んで來る。玄關から奧の息子達の部屋まで長い廊下を「テラ、テツテツテ、トラ、トツトツト」とか「タラ、タタタタ」とか口で拍子を取り、尻を振つて一種の手つきをして踊りながら部屋にしけ込む。そこですぐにまたビールだ。いろいろな食ひものも取り寄せられる。レコードが鳴り出す。踊る。一方には浪花節をうなるものもある。それから麻雀がはじまる。疲れると、長くなつて、香料の浸んだ色のついたハンカチで鼻のあたりを拭ひながら騷々しく話しはじめる。茶房の話。そこの女の話。彼等が戀愛だと思つてゐることについての話。

平山の家にはまた年頃の娘もゐて、彼女等は物見遊山の時など、駿介をも一緒に連れて行かうとした。彼は斷つたが、三度に一度は、そして彼が教へてゐる中學生も行くと云ふときには、斷り切れぬこともあるのだつた。ある時、劇場の廊下で娘が友達らしいのに逢つて話してゐるのを聞いた。自分のことが云はれてゐるらしいので、離れてゐても敏く神經が働くのだつた。あれは誰? 一緒にゐるのは? と云ふやうなことを、友達は蓮つ葉らしい調子で訊いた。うん、あれは家の書生よ、と娘は答へた。歸りに、百貨店へ寄つて買物をした娘は、買つた品物を店から届けさせようとはしないで、駿介に云つて持たせた。駿介を後ろに從へたさういふ恰好で、すぐには乘物に乘らうとはせず、人通りの多い夜の街をしばらく歩いた。駿介は事の馬鹿々々しさを自分をも他人のなかに押し込んで、一緒に嗤つてやる餘裕を持つには、まだ若過ぎるのだつた。

駿介が教えてゐる中學生の出來の惡さといふものは、これはまたじつに恐るべきものだつた。それは、不勉強だから出來ない、正しい方法で規則的にもつと勉強すれば出來るやうになる、と云へるやうな、さういふ種類の出來なさではなかつた。彼には覺えようとする氣はまるでなかつたし、彼が入つてゐる札附きの中學ではそれで通るらしかつたし、何よりも先づ、人にも物にも謙虚な氣持を持つといふことが全然ない、素直さを缺いた小生意氣さでは、中等程度の知識にしろ、我ものにするといふことは不可能であつた。

夏も漸く暑くなり、學期試驗も近づいて來た頃のある日、駿介はいつもの時間に、彼の勉強部屋に來て待つてゐた。彼は外出してゐて留守だつた。餘程經つてから歸つて來たが、ぷりぷりして、何かに當り散らさずにはゐられぬといふふうだつた。毎日の日課のために、外出先から歸つて來なければならぬといふことが、不機嫌のたねであるらしかつた。彼は大きな身體で、ものも云はず、どつかとそこに胡坐をかいた。女中を呼んで、お冷を一杯、と云つた。やがて持つて來られたお盆の上のコツプを取り上げた彼の顏に、險惡ないろが浮んだと思つた。それを感じて、しかし何かわからなくて、立去りかねてもぢもぢしてゐた女中の方をじろつと見たかと思ふと、コップをつかんだ彼の手が伸びて、あツといふまに女中の顏は水浸しになつた。仰天して、崩れた居ずまひを直さうとする女の顏に、追つかけるやうに平手が飛んで、濡れたものの上を打つピシヤツといふ音がした。彼は急き込んだ口調で、水に氷が入つてゐないぢやないか、お冷を持つて來いと云つたら、ブツカキを入れて持つて來るなあ、云はなくつたつてわかつてることなんだ、間拔け奴、と聲變りのした聲で怒鳴るのであつた。學校では野球の選手で、十七とはとても見えぬ大きさで、坐ると膝は高く盛り上り、手も長い感じで、厚い唇をぺろぺろ嘗めながらまくし立ててゐる、少年のものとは思へぬ濁つた眼をぢつと見てゐると駿介は人間を見てゐる氣がしなかつた。コツプは女の膝のあたりにころがり、小言を云はれてゐる間は拭かうともせぬ顏と着物の襟のあたりからは、雫がなほぽたぽた落ちてゐた。

この少年の出來の惡さは、このやうな行爲を彼にさせるものと、離れがたく根本的に結びついてゐた。この少年とその兄達のどす黒い愚昧は、實に深いところに根ざしてゐると駿介には感じられた。それを考へることは、宿命的な陰慘な氣持でさへあつた。世間から云はれてゐる平山の家の莫大な富が、どのやうにして築き上げられたものであるかを、駿介は知らない。しかし駿介には、僅か一代で今日の大を爲したといふ、その富の蓄積の過程と、その家の子供等の愚昧と云ふことは、全然無關係ではなく、そこには何かのつながりがあるやうに考へられてならなかつた。佛教で云ふ因果と云ふやうなことではなく、はつきりつかみ出して何人にも示し得る、一つの關係があるやうに思へた。

彼等と彼等の仲間である青年達が、大學生であると云ふことはどういふことだらう。駿介は何等の肯定的な積極的な意義をもそこに見出すことは出來なかつた。社會にとつてもまた彼等自身にとつても。青年達のうち、地方から來てゐる者のことは特に駿介の心を惹いた。彼等はやがて卒業する。東京に止まるものもあるが、郷里へ歸るものも多いだらう。歸れば、彼等の多くはその地方の舊家や顏利きの家の出で、彼等はそこで何とか恰好がつき、「堅實な」民間指導者層を形づくることになる。大學出の彼等は地方教化の擔當者となつてあらはれる。事實小さな田舍の町などは彼等の二三人の手によつてどのやうにもなる。彼等の水準がすなはち地方文化の水準となる。さういふものの尨大な堆積こそは恐るべきであらう。國の文化は知らず知らずのうちに彼等に順應するところまで「引き下げ」られ、あるひは「引き上げ」られる。彼等に受け入れられるものの汎濫が、つまりは一國の文化といふことになる。

駿介は、優れた頭腦を持ち、好學のこころに燃えながら、それきりになつてしまつた自分の田舍の誰彼のことを思ひ出した。彼等は今はただ默つて土地を耕し、植え、耘り、收穫れてゐることだらう。

駿介の周圍の學生は勿論このやうなものばかりではなかつた。しかし聰明な、眞面目な者達は多く氣力を失つてゐた。美しい、青年に不可避な夢を描く。行爲する。蹉跌する。そこではじめて落ち込みもするだらう無氣力や懷疑や絶望の状態に、今の彼等は何事も行爲せぬ前からすでに落ち込んでゐるのであつた。一應はそれも道理とは云へた。夢のすべての種類は過去にすでに出揃つてゐる。それを現實のものとしようとする行爲も試驗ずみだと云へないこともなかつたから。

氣力も夢も失つてゐない人々も少くはなかつた。彼等は何事によらず、他人の經驗のみは頼ることは出來ない、それによつてのみ判斷することは出來ない、自分の實際の行爲を通し、しかと我身に確めずにはゐられない正當な人々であつた。彼等は熱心に探求する。そこから現代のインテリゲンツイアとしてのさまざまな要求を持ちはじめる。それらの要求を實現する道に向つて熱意を抱く。が、學生である彼等はやがて職業人としてそれぞれ社會へ巣立つて行く。かつて抽象的な思考の世界に止まつてゐた諸要求は、今こそ彼等の日々の生活の内部からのやむにやまれぬものとなつて來る。眞實に生きるためにはそれらの諸要求は滿たされねばならぬ。しかもその時になつてなほそれらを滿たすべき現實の道について、その可能性について深く考へ、自ら行爲して行く人々は果して多いと云へるであらうか?

容易ならぬ困難につきあたり、摸索の末に、彼等は消極的な行き方で始める。彼等はさきの生活上の諸要求を一應抛棄する。そしてそれらとは直接の關りを持たぬ所に自分を生かす道を求めようとする。彼等は敢て自分達の生活を分裂させるのである。それが實際に形の上に現れては、職業と、「本來の仕事」との對立、不一致もしくは兩者の無關係といふことになる。職業によつて云ひ現される彼等の生活は、輕視され、それの現在の有樣がどんなに不滿なものであつても致し方のないものとして諦められ、そつとそのままにしておかれ、それとは別に「本來の仕事」によつて云ひ現されるもう一つの生活が打ち建てられ、そこにのみ生甲斐を見出さうとする。そのやうなもう一つの生活といふものは、現代ではほとんど不可能なことだ。「飯を食ふ」ための仕事が、時間とエネルギーの最後の一滴までも要求してゐるのだから。しかし、人々は超人的な勇氣をふるつてそのために勵む。

現代の、良心的な人々の生きる一つの道は、たしかにここにあるのであらう。だが、二つの生活は、この場合、無關係なままにおかれてゐるのである。少くとも互ひに強く影響し合ふやうな關係にはない。それでいいものであらうか? 二つは切り離せない相互の關係にあるべきではないだらうか? 第一現實の社會生活上の諸要求を抛棄した所に始まる本來の仕事などといふものはあり得るであらうか?

人々はこの生活の二重性格を思ひ惱んではゐる。しかも容易にどうともならぬところに、時代の特殊な色合もあり、インテリゲンツイアの特殊性もあると思はれる。勞働者や農民など、生産が生活の中心になつてゐる人々は、この間の矛盾の解決の道も、本來的に、容易に見出し得るのではないだらうか?

この間のことは、駿介にはまだよくはわからない。

生きるための彼のいとなみが、そのまま彼の全人間を生かすための道と一つになつてゐるやうな状態、多くの人々がそれを求めてゐる。駿介も亦それを求めてゐる。

そして彼はしだいに學業を中途で放擲して、歸郷することを考へるやうになつた。自分の出生、過去と現在、自分の才能、卒業後のインテリゲンツイアとしての自分の生活、それらについて思ひをひそめた末に、最近十年間の自分を敢て一擲して、違つた道から新しく踏み出して見ることを考へたのであつた。苦學生活に疲れ、屈辱に堪へ得なくなつた氣持が底に働いてゐたとしてもそれが根本ではなかつた。彼は求めてゐるものを、そのやうな轉換によつて得ようとしたのであつた。彼はあるひは難きを避けて易きに就いたのであるかも知れなかつた。彼が新しくその上に生活を築かうとしてゐる條件は、彼自身が苦しんで創り出したものではなく、それは與へられたものであつたから。が、それは恥づるに當らぬことと彼は思つた。彼はただ、かの今日に特徴的な精神、基準などは無いと云ひ、明日の事はわからぬと云ひ、不安や懷疑を云ひ、が、一方自分の個人的な生活においては、ありふれた基準の上に立ち、何年の後をも信じて、案外にちんまりとした設計を立てて結構樂しげな人々、それからまた、事が始まらぬうちにその終りを考へ、先の先まで見透す聰明さを裝ひ、新しいものはないすべては古い、試驗ずみだと否定し、かと云つて自らには何等の行爲もなく、確固たる信念を持つやうに見えてその實は何も持たぬ人々、その双方に與し得ないのであつた。

Chapter 5 of 15
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