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癩
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癩
島木健作
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Original Public Domain
Chapter 6 of 8

6

「なに、名前がわかったって!」太田は思わず身をのり出して訊いた。「どうしてわかったの? そして何ていうんです」

「岡田、岡田良造っていうんですよ。今、葉書を見て来たんです」

「え、岡田良造だって」

村井は葉書を書きに廊下へ出て行き、そこで例の男が村井よりも先に出て書いて行った葉書を偶然見て来たのであった。癩病患者の書いたものに対するいとわしさから、書信係の役人が板の上にその葉書を張りつけ、日光消毒をしていたのを見て、村井は男の名を知ったのである。「え、岡田良造だって」と太田の問い返した言葉のなかに、村井は、なみなみならぬ気はいを感じた。

「どうしたのです、太田さん。岡田って知ってでもいるんですか」

「いや……、ただちょっときいたような名なんだが」

さり気なく言って太田は監房の中へ戻って来た。強い打撃を後頭部に受けた時のように目の前がくらくらし、足元もたよりなかったが、寝台の端に手をかけてしばらくはじっと立ったまま動かずにいた。それから寝台の上に横になって、いつも見慣れている壁のしみを見つめているうちに、ようやく心の落ち着いて行くのを感じ、そこで改めて「岡田良造」という名を執拗に心のなかで繰り返し始めたのである。――あのみじめな癩病患者が同志岡田良造の捕われて後の姿であろうとは!

混乱した頭脳が次第に平静に帰するにつれて、回想は太田を五年前の昔につれて行った。――そのころ太田は大阪にいて農民組合の本部の書記をしていた。ある日、仕事を終えて帰り仕度をしていると、労働組合の同志の中村がぶらりと訪ねて来た。ちょっと話がある、と彼はいうのだ。二人は肩を並べて事務所を出た。ぶらぶらと太田の間借りをしている四貫島の方へ歩きながら、話というのは外でもないが、と中村は切り出したのであった。――じつは今度、クウトベから同志がひとり帰って来たのだ。三年前に日本を発った時には、ある大きな争議の直後で相当眼をつけられていた男だけに今度帰ってもしばらくは表面に立つことができない。それで当分日本の運動がわかるまで誰かの所へ預けたいが、労働組合関係の人間のところは少し都合がわるい、君は農民組合だし、それに表面は事務所で寝泊りしていることになっていて、四貫島の間借りは一般には知られていないから好都合だ。一と月ばかりどうかその男を泊めてやってくれないか、と中村は話すのであった。――よろしい、と太田が承知をすると、実は六時にそこの喫茶店で逢うことになっているのだ、とその場所へ彼を連れて行った。そこには、太田と同年輩の和服姿の男が一人待っており、二人を見るとすぐににこにこしだし、僕、山本正雄です、どうぞよろしく、と中村の紹介に答えて太田に挨拶をするのであった。――話をしているうちにその言葉のなかに、東北の訛りを感じ、質朴なその人柄に深く心を打たれたが、その山本正雄が岡田良造であったことを太田はずっと後になって何かの機会に知ったのであった。

太田は当時、四貫島の、遠縁にあたる親戚の家の部屋を借りて住んでいた。二階の四畳半と三畳の両方を彼は使っていたので、その四畳半を岡田のために提供したのである。彼らは部屋を隣り合わせているというだけで、別に話をするでもなく、暮した。太田は朝早く家を出、遅くなって帰る日が多いのでしみじみ話をする機会もなかったわけである。彼が夜遅く帰ってくると、岡田は寝ていることもあったが、光度の弱い電燈を低くおろして何かゴソゴソと書きものをしていることもあった。朝なども彼の起きるよりもまだ早くぷいと家を出て、一日帰らないような日もあった。そういう生活がほぼ一と月もつづき、めっきりと寒くなった十一月のある日の朝、岡田は家を出たきり、ついに太田のもとへは帰って来なかったのである。――何か事情があるのだろうとは思ったが、ちょうどその日の朝、何のつもりか岡田はまだ寝ている太田の部屋の唐紙を開けて見て、何かものを言いたげにしたが、そこに一枚のうすい布団を、柏餅にして寝ている太田の姿を見ると、ほっ、と驚いたような声をあげてそのまま戸を閉めてしまった。――それはちょうど、二枚しかなかった布団の一枚を、寒くなったので岡田に貸したその翌日だったので、自分の柏餅の寝姿を見て、案外気立ての柔しそうな岡田のことゆえ、気の毒がって他所へ移ったのかも知れない、などとも太田には考えられるのであった。心がかりなので二、三日してから中村に逢って尋ねると、彼はすっかり合点して、「いや、いいんだ、今日あたり君に逢って話そうかと思っていたところだよ。奴も落ち着くところへ落ち着いたらしいんだ。長々ありがとう」というのであった。――一九二×年十一月、日本の党はようやくその巨大な姿を現わしかけ、大きな決意を抱いて帰った山本正雄こと岡田良造は、その重要な部署に着くために姿をかくしたのである。

ちょうどそれと前後して太田は大阪を去り、地方の農村へ行って働くことになった。同じ年の春、この国を襲った金融恐慌の諸影響は、ようやくするどい矛盾を農村にもたらしつつあったのである。太田はいくつかの大小の争議を指導しやがて正式に(原文二字欠)となった。彼は大阪に存在すると思われる上部機関に対して絶えず意見を述べ、複雑で困難な農民運動の指導を仰いだ。而してそれに対する返書を受け取るたびごとに彼はいつも舌を捲いておどろいたのである。なんという精鋭な理論と、その理論の心憎いまでの実践との融合であろう! 彼が肝胆を砕いて錬り上げ、もはや間然するところなしとまで考えて提出する意見が、根本的にくつがえされて返される時など、自信の強かった太田は怫然として忿懣に近いものすら感じた。しかし熟考してみればどんな場合にも相手の意見は正しく、彼はついには相手に比べて自分の能力のあまりにも貧しいことを悲しく思ったほどであった。それと同時に彼は思わず快心の笑みをもらしたのである。なんという素晴らしい奴が日本にも出て来たもんだ! それから太田は、今掃除したばかりと思うのに、もう煤煙がどこからか入って来て障子の桟などを汚す大阪の町々のことを考え、それらの町のどこか奥ふかく脈々と動いているであろう不屈の意志を感じ――すると、腹の真の奥底から勇気がよみがえって来るのであった。この太田の意見書に対する返書の直接の筆者が岡田良造であったことを、捕われた後に、太田は取調べの間に知ったのである。

太田の印象に残っている岡田の面貌はそうはっきりしたものではなかったし、それに岡田は三・一五の検挙には洩れた一人であったから、その後彼の捕われたことを少しも知らなかった太田が、異様な癩病患者を見てどこかで見たことがある男と思いながらも、すぐに岡田であると認め得なかったことは当然であった。かの癩病患者が岡田良造であることを知り、そのおどろきの与えた興奮がやや落ち着いて行くにつれて、岡田は一体いつ捕われたのであろう、そしていつからあんな病気にかかったのであろう、少しもそんな素ぶりは見せないが、彼ははたして自分が太田二郎であることを知っているだろうか、いずれにしても自分は彼に対してどういう風に話しかけていったらいいだろうか、いや、第一、話しかけるべきであろうか、それとも黙っているべきであろうか、などといういろいろな疑問がそれからそれへと太田の昏迷した頭脳をかけめぐるのであった。

その翌日、運動時間を待ちかねて、彼は今までにかつてない恐怖の念をもって運動中のかの男の顔を見たのである。初めは恐る恐る偸み見たが、次第に太田の眼はじっと男の顔に釘づけになったまま動かなかった。そういわれて見ればなるほどこの癩病患者は岡田なのだ。だが、昔毎日彼と顔をつき合わして暮していた人間でさえも、そういわれてみて改めて見直さない限りそれと認めることはできないであろう。今、心を落ち着けてしみじみと見直してみると、広い抜け上った額と、眼と眉の迫った感じに、わずかに昔の岡田の面影が残っているのみなのである。広い額は、その昔は、その上に乱れかかっている長髪と相俟って卓抜な俊秀な感じを見る人に与えたが、頭髪がうすくまばらになり、眉毛もそれとは見えがたくなった今は、かえって逆にひどく間の抜けた感じをさえ与えるのであった。暗紫色に腫れあがった顔は無気味な光沢を持ち、片方の眼は腫れふさがって細く小さくなっていた。色の褪せた囚衣の肩に、いくつにも補綴があててあり、大きな足が尻の切れた草履からはみ出している姿が、みじめな感じをさらに増しているのであった。本人は常日ごろと変りなく平気でスタスタと早足に歩き、時々小走りに走ったりして、その短かい運動時間を楽しんでいるらしいのだが、もう秋もなかばのかなり冷たい風に吹きさらされて、心持ち肩をすぼめ加減にして歩いて行くその後ろ姿を見送った時、ああこれがあの岡田の変り果てた姿かと思い、それまでじっと堪えながら凝視していたのがもう堪えがたくなって、窓から離れると寝台の上に横になり布団をかぶってなおもしばらくこらえていたが、やがてぼろぼろと涙がこぼれはじめ、太田はそのまま声を呑んで泣き出してしまったのである。

数えがたいほどの幾多の悲惨事が今までに階級的政治犯人の身の上に起った。ある同志の入獄中に彼の同志であり愛する妻であった女が子供をすてて、どっちかといえばむしろ敵の階級に属する男と出奔し、そのためにその同志は手ひどい精神的打撃を受けてついに没落して行った事実を太田はその時まざまざと憶い出したのであったが、そうした苦しみも、あるいはまた、親や妻や子など愛する者との獄中での死別の苦しみも――その他一切のどんな苦しみも、岡田の場合に比べては取り立てて言うがほどのことはないのである。それらのほかのすべての場合には、「時」がやがてはその苦悩を柔らげてくれる。何年か先の出獄の時を思えば望みが生じ、心はその予想だけでも軽く躍るのである。――今の岡田の場合はそんなことではない、彼にあっては万事がもうすでに終っているのだ。そういう岡田は今日、どういう気持で毎日を生きているのであろうか、今日自分自身が全く廃人であることを自覚しているはずの彼は、どんな気持を持ち続けているであろうか、共産主義者としてのみ生き甲斐を感じまた生きて来た彼は、今日でもなおその主義に対する信奉を失ってはいないであろうか、それとも宗教の前に屈伏してしまったであろうか、彼は自殺を考えなかったであろうか?

これらの測り知ることのできない疑問について知ることは、今の太田にとってはぞくぞくするような戦慄感を伴った興味であった。――いろいろと思い悩んだあげく、太田は思いきって岡田に話しかけてみることにした。変り果てた今の彼に話しかけることは惨酷な気持がしないではないが、知らぬ顔でお互いが今後何年かここに一緒に生活して行く苦しさに堪えられるものではない。そう決心して彼との対面の場合のことを想像すると、血が顔からすーと引いて行くのを感じ、太田は蒼白な面持で興奮した。

7

太田は運動の時にはちょうど岡田の監房の窓の下を通るので、話をするとすれば運動時間を利用するのが、一番いい方法なのであるが、その機会はなかなかに来なかった。担当の老看守は太田ひとりの運動の時には別に監視するでもなく、その間植木をいじったり、普通病舎の方の庭に切り花を取りに行ったりして、運動時間なども厳格な制限もなくルーズだったが、さて、話をするほどの機会はなかなか来なかった。しかし、普通病舎の庭に咲き誇った秋菊の移植が始まり、ちょうどある日の太田の運動時間に三、四人の雑役夫が植木鉢をかかえて来た時に、花好きな老看守はそっちの方へ行ってしまい、ついに絶好のその機会が来たと思われた。折よく便所へでも立ったのであろうか、ガラス窓の彼方に岡田の立ち姿を認めた時、太田は非常な勇気をふるって躊躇することなく真直ぐに進んで行った。そして窓の下に立った。

上と下で二人の視線がカッチリと出会った時、妙に表情の硬ばるのを意識しながら、太田は強いて笑顔を作った。

「岡田君ですか」太田はあらゆる感情をこめて、ただ岡田の名をのみ呼んだ。そしてしばらくだまった。「僕は太田です。太田二郎です。(原文三字欠)にいた(原文二字欠)、知っていますか」

Chapter 6 of 8
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