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現代訳論語
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現代訳論語
下村湖人
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Translation Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 4 of 486

一(一)

先師がいわれた。――

「聖賢の道を学び、あらゆる機会に思索体験をつんで、それを自分の血肉とする。何と生き甲斐のある生活だろう。こうして道に精進しているうちには、求道の同志が自分のことを伝えきいて、はるばると訪ねて来てくれることもあるだろうが、そうなつたら、何と人生は楽しいことだろう。だが、むろん、名聞が大事なのではない。ひたすらに道を求める人なら、かりに自分の存在が全然社会に認められなくとも、それは少しも不安の種になることではない。そして、それほどに心が道そのものに落ちついてこそ、真に君子の名に値するのではあるまいか。」

○ 原文に単に「子」とあるのは孔子を指すのであるが、他にも姓の下に「子」の尊称をつけたものもあるので、それらと区別するため、本訳では、孔子の場合は「先師」と呼び、他の場合は「先生」と呼ぶことにした。○ 論語において、「学ぶ」ということは、常に道徳的精進を意味し、更に進んでそれを政治に実現する道を学ぶことを意味する。そして孔子の理想とする有徳者乃至政治家は、堯・舜・禹・湯・武等の如き古代の帝王であるが故に、所詮はそうした先王の道を学ぶことが、論語における「学ぶ」ということになるのである。○ 君子==この語はところによつて多少意味が変るが、主として「求道者」「真人」「上に立つ人」「為政家」等を意味し、場合によつては、そのすべてを含めた意味に用いられる。本章では「求道者」「真人」というような意味であろう。

Chapter 4 of 486
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