早春の一日
読書にも倦きたので、庭におりて日向ぼつこをする。
二月の太陽は、健康な若人のやうに晴やかに笑つてゐる。そのきらきらする光を両肩から背一杯にうけてゐると、身体中が日向臭く膨らんで、とろとろと居睡でもしたいやうな気持になるが、時をり綿屑のやうな白雲のちぎれが、そつと陽の面を掠めて通りかかると、急に駱駝色の影がそこらに落ちかぶさり、肌を刺すやうなつめたさがひとしきり小雨のやうに降りそそいで来る。その度にだらけようとする気持はひき緊められて、
「春もまだ浅いな。」
と、おぼえず口のなかで呟かれようといふものだ。
柳、桜、木蓮、無花果、雪柳といつたやうなそこらの木々は、旧葉の落ちた痕から、ちよつぴりと薄赤味のさした若芽をのぞかせて、小当りにこの五六日のお天気模様に当つてみてゐるらしいが、暖さ続きのうちにも、どうかすると急に寒さが後返りして、細かい粉雪でもちらちら降りかからうとするこの頃の模様を見ては、つい気おくれがするかして、めいめいしつかりと木肌にしがみついてゐるやうだ。そんななかに、梅の樹のみはもう真白な花をぱつちりと開いて、持前の息ざしの深い、苦味のある匂をぷんぷんとあたりの大気に撒き散らしてゐる。
先刻からちよつと曇つてゐた空は、やがてまた明るくなつて来た。太陽は黄熟した大きな朱欒のやうにかがやき出した。乾いた砂地に落ちた梅の樹の横顔が、墨絵で描いたやうにくつきりと浮いて見える。
ぐつと臂を張つたやうに斜に構へた太い本枝の骨組の勁さ。一気にさつと線を引いたやうに、ながく延び切つた楚の若々しい気随さ。――さういつたものが、はつきりと地びたに描かれてゐるのみならず、気がつくと、また私の心の片隅にも、ぼんやりとその影を落してゐる。
私は梅が好きだ。だから今日まで梅の絵も数多く眼に触れたが、そのなかで最も私の気に入つたのは、自ら「江南風流第一才子」と名乗つてゐた唐六如の墨絵の二三幅だつた。六如は平生金閭門外の桃花塢に設けてあつた桃花庵といふ別業に起臥し、日々好きな酒に食べ酔ひ、酔つたまぎれに「桃花庵歌」を作り
桃花塢裏桃花庵 桃花庵裏桃花仙
桃花仙人種二桃樹一 又摘二桃花一換二酒銭一
酒醒只在二花前一坐 酒酔還来二花下一眠
半醒半酔日復日 花落花開年復年
但願老二死花酒置一
といつて、その限りない愛着を桃花に寄せてゐたが、遺された作品の出来栄から観ると、六如は自分では、はつきりと意識しないまでも、どちらかといへば桃花よりも寧ろ梅花の方に多くの心契を持つてゐたらしい。さもないと、彼の作物に見られるやうな、この樹のもつ性格気品のあんなにすばらしい表現が容易に出来るものではない。私達は梅の花のあの冷々とした苦い匂に、六如のもつてゐた尖鋭な気禀を嗅ぎ、楚といふ楚が、各自の思ふがままに真直に伸びて往くこの木の枝振りの気儘さと頑さとに、自ら風流第一と許した画人の、世間の規矩を超越した、自暴自棄にちかいまでの性癖と生活とを感じることが出来る。
地続きの圃に五六株の水仙がうつくしい花を咲かせてゐる。春とはいひながら、時折はつめたいものがちらづかうといふ今日この頃、素肌のまま土塊をおし分けて立ち上り、牙彫のやうな円くつめたい腕を高々とさし伸べ、しなやかな指につまみ上げた金と銀との盃に、日光の芳醇なしたたりを波々と掬ひ取らうとするこの花の姿には、年若な尼僧にでも見るやうな清浄さがある。数多い草木のなかで最もはでやかな花といへば、春が豊熟した頃に咲きほこるものでそんな花の肌理の細かい滑らかな花弁に、むつちりと膩が乗つた妖艶さは、観る人の心を捕へずにはおかないが、しかしほんたうに根強い草木の生命そのものの復活を暗示し、純一無垢な自然の欲望の止みがたさを如実に歌つてゐるものは、春の先駆者である梅や水仙のやうなものにもとめなければならぬ。
空の高みから小石でも投げたやうに、だしぬけに二羽の小鳥が下りて来た。そしてそこらの立樹の枝にはとまらうともしないで、いきなり地面に飛下りざま、互に後になり先になりして、樹陰の湿地をあさり歩いてゐる。薄黄色の羽をして、急ぎ脚に歩く度に、小刻みに長い尻尾を振つてゐるのを見ると、疑ひもなく黄鶺鴒だ。
鶲や鷦鷯などが、山から里へおとづれて来るには、頭を円めた遁世者のやうに、どんな時でも道連のない一人旅ときまつてゐるが、それとは打つて変つて鶺鴒は多くの場合公園の散歩客のやうに夫婦づれだ。そしてそこらの陰地やじめじめした水溜の附近を、揃ひのくちなし色の羽をさも見せびらかすやうに、ひよくりひよくりと気取つた身ぶりで長い尻尾を振りながら、爪立ちして歩き廻つてゐる。
すると、そこらの立木の枝でせち辛い世帯向の話に夢中になつてゐた雀達は、親譲りの物見高い癖から黄鶺鴒のしやれた姿が眼に入ると、急に枝から飛び下りざま、小坊主のやうな円い頭を傾げて、
「どこからやつて来たかな。あまり見馴れない奴だが……」
「あの羽を見ろ。まるでクリイムのやうだ。」
と、着膨れた体を毛毬のやうに円くして、二羽三羽と群をつくり、べちやくちやと口やかましく囀りながら黄鶺鴒の後をつけ廻してゐる。
ふと気がつくと、日溜りの枯芝の上へ、いつのまにか三毛猫が一つやつて来て、背を円くして居眠つてゐた。雀達があまりに騒々しくはしたない口を利くので、猫は思慮深い哲学者といふものは、さうした小うるさい世間の空騒ぎなどに、自分の静かな思索を乱されるものでないことを示すもののやうに、わざと片眼を閉ぢたまま、今一つの眼を細く見ひらいて、蔑むやうにちらとその方へ顔を捻ぢ向けたが、すぐに事のあり態を見て取ると、
「ふむ……」
と、軽く鼻を鳴らしたきり、大きな欠伸を一つして、両肢を長くうんと踏み伸したかと思ふと、そのまま暖い日光の下で長々と寝そべつてしまつた。