Chapter 1 of 3

私は鎌倉の俳小屋の椅子に腰をかけて庭を眺めてゐた。

俳小屋といふのは私の書斎の名前である。もとは子供の部屋であつて、小諸に疎開して居る時分は物置になつてゐて、ろくに掃除もせず、乱雑に物を置いたまゝになつてゐた。三年越しに小諸から帰つて来た時に、そこを片附けて机を置いて仮りの書斎とした。積んであるものは俳書ばかりで、それが乱雑に置いてあり、その他には俳句に関する反古が又山と積み重ねてある。私は小諸でも自分の書斎にしてゐる処を俳小屋と呼んでゐたが、矢張りこゝも同じ名称で呼ぶことにした。

俳小屋の前の庭も矢張り乱雑にいろんな草木があるのである。それも特別に植ゑたといふものは少ないのであつて、四十年間此処に住つてゐる間に、風が運んで来た種子とか、小鳥が糞と共に落して行つた種子とかいふものが自然に生えて、狭い庭のわりには草木の多い方である。植木屋に言はしたら、まつたく型をなさない乱雑な庭といふであらう。併し多年見馴れた目には、その一草一木にも何かと思ひ出があつて棄て難いものがあるのである。殊に椿の木が多く、それが赤い花をつけてゐるのが目を惹くのである。

此の椿はどういふ種類に属するのか知らないけれども普通山椿と呼んでゐるもので真赤な花を夥だしくつけるのである。中には八重なのもあるが単弁なのが多い。花は天辺から根元に至るまで椿全体を押し包んでゐるやうに咲き満ちて、盛りになると、殆ど他の木は目に入らないやうに此の赤い椿が庭を独占してゐるのである。

私は椅子に腰を掛けて、此の赤い椿の花を眺めてゐた。心はいつか旅路をさまよつて居るやうな感じになつた。其の旅路といふのは東海道とか中仙道とかいふのではないのであつて、自由自在に動いて行つて、とりとめもなく天地をさまよふ、といふやうな感じであつた。さうして此の赤い椿は私を取り囲んだ女の群になつて、いつも身辺に付き添ふてゐるやうな感じであつた。

実は私は、もう老年になつて、此の頃は独り歩きを家人からとめられてゐる。私自身にしても、少し道が登りになると脚がだるくなつて来るし、又いそいで歩くやうな時は脹脛が硬ばつてしまふのであるから、車馬の通行の劇しい所を歩く時などは危険だと感じるのである。それでも家人が極端に独り歩きを禁じるのは少し行き過ぎのやうに思つて居る。が、まあ/\それもよからうと考へて、家人の言ふが儘にしてゐる。

今此処に腰を掛けて、赤い椿の花に埋もれて、じつとその花を見つめて居ると、いつか浮雲にでも乗つてゐるやうな心持になつて、自分は自由自在に心の欲する処に行く事が出来、足は軽やかに空中を踏んで歩き廻ることが出来るやうな幻覚を覚えるのであつた。

そんな空想に浸つて居る時は非常に心は楽しいのであつて、子供がお伽噺を聞いて楽しんでゐるやうな快感を覚えるのである。

造花また赤を好むや赤椿

小説に書く女より椿艶

椿艶これに対して老一人

折節山田徳兵衛君から女人形を送つて来た。それは七八ツかと思はれる女人形であつて、髪はおかつぱで、赤い著物を著て錦のやうな帯を締めてゐた。両手をだらりとさげてゐるのは普通の人形の通りであつた。さうして手紙には、粗末な人形だが私の座右に置いて呉れゝば仕合せだ、といふ意味の事が書いてあつた。丁度赤い椿の盛りであつたところから、私はこれに椿子といふ名を附けて傍の本箱の上に置いた。

山田徳兵衛君はなんと思つて此の人形を送つて来たのか。たゞ座右の飾物にしてくれといふ意味であつたのかもしれないが、又何か心のあつたもののやうにも受取れた。丁度その時分、私に小唄を作つてくれないかといふ或る人からの需めがあつたので、こんな小唄を作つた。

女人形を お側に置いて

明け暮れ眺めしやんすが 気がかりな

わしや人形に 悋気する

前にも言つたやうに俳小屋には俳書が積み重ねてあつたり俳句の反古が崩れかゝつたりしてゐる中に私が唯一人坐つてゐるのみであつて、外には誰一人居るものもない。前後左右を顧みても、此の女人形に悋気するやうな人影は見当らない。矢張りこれは庭の椿の花を眺めてゐるうちに禁足の自分を自ら憐んで、天地を自由に飛翔する事が出来る夢の天国を描き出し、自ら楽しんで居るのと同じやうに、孤影悄然と本箱の上に置いてある八九歳の少女の椿子に対して居る自分を儚なんで、夢の国を描き出さうとするやうな、そんな欲求に駆られたものかも知れなかつた。「わしや人形に悋気する」といふのは椿子それ自身か、若しくは椿子に対する幻影の女か、それすらはつきりと判らぬやうな心持がするのであつた。

その後、この小唄は吉村柳さんに節附され、柳さん自身に依つて或る小唄の会に親しく唄はれたのを聴いた。また其後、この小唄を稀音家浄観さんが節附をして、それによつて河合茂子さんが踊つたこともあつた。

ホトトギス社や玉藻社や花鳥堂の社員が、年に一二回私の宅へ遊びに来る事がある。其の時は木彫の守武の像や子規の像が箱から取り出されて、小さい国旗を持たされて、諸君を歓迎する意味で床の間に置かれるのであつた。其の時に椿子も亦箱から取り出されて、手に国旗を持たされて、守武や子規の像と並んで諸君を歓迎する意味でやはり一緒に並んで置かれた。その時立子が此の部屋に這入つて来るや否や忽ち

「おゝ気味が悪い。」

と言つた。それは此の椿子がいつの間にか俳小屋の箱の中から出て来て、座敷の床の間の真つ先きに立つてゐたからであらう。それは守武の像や子規の像よりも椿子の立つてゐる方が気味が悪かつたのであらう。

それから私も日暮方になつて俳小屋に入る時などは、箱の中に納つてゐてこちらを見てゐる椿子を見ることがなんとなく気味が悪いやうな心持もするのであつた。

椿子が俳小屋の本棚の上に置かれてから殆ど三年の月日が経つた。その間に庭の椿は三度開落した。其の時七十五歳であつた私は七十八歳になつた。家人はいよいよ私の外出を厳重に警戒してをる。俳小屋の机の前に坐つてゐる私は愈々孤影悄然としてをる。

去年の暮であつた。丹波の和田山の古屋敷香葎君がやつて来た。さうしてたまたま東京に来て居つたといふ安積叡子さんを同伴して来た。

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