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智恵子抄
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智恵子抄
高村光太郎
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Translation Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 10 of 51

深夜の雪

あたたかいガスだんろの火は

ほのかな音を立て

しめきつた書斎の電燈は

しづかに、やや疲れ気味の二人を照す

宵からの曇り空が雪にかはり

さつきから見れば

もう一面に白かつたが

ただ音もなく降りつもる雪の重さを

地上と屋根と二人のこころとに感じ

むしろ楽みを包んで軟かいその重さに

世界は息をひそめて子供心の眼をみはる

「これみや、もうこんなに積つたぜ」

と、にじんだ声が遠くに聞え

やがてぽんぽんと下駄の歯をはたく音

あとはだんまりの夜も十一時となれば

話の種さへ切れ

紅茶もものうく

ただ二人手をとつて

声の無い此の世の中の深い心に耳を傾け

流れわたる時間の姿をみつめ

ほんのり汗ばんだ顔は安らかさに満ちて

ありとある人の感情をも容易くうけいれようとする

又ぽんぽんぽんとはたく音の後から

車らしい何かの響き――

「ああ、御覧なさい、あの雪」

と、私が言へば

答へる人は忽ち童話の中に生き始め

かすかに口を開いて

雪をよろこぶ

雪も深夜をよろこんで

数限りもなく降りつもる

あたたかい雪

しんしんと身に迫つて重たい雪が――

大正二・二

Chapter 10 of 51
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