Chapter 1 of 18

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新ハムレット

太宰治

はしがき

こんなものが出来ました、というより他に仕様が無い。ただ、読者にお断りして置きたいのは、この作品が、沙翁の「ハムレット」の註釈書でもなし、または、新解釈の書でも決してないという事である。これは、やはり作者の勝手な、創造の遊戯に過ぎないのである。人物の名前と、だいたいの環境だけを、沙翁の「ハムレット」から拝借して、一つの不幸な家庭を書いた。それ以上の、学問的、または政治的な意味は、みじんも無い。狭い、心理の実験である。

過去の或る時代に於ける、一群の青年の、典型を書いた、とは言えるかも知れない。その、始末に困る青年をめぐって、一家庭の、(厳密に言えば、二家庭の、)たった三日間の出来事を書いたのである。いちどお読みになっただけでは、見落し易い心理の経緯もあるように、思われるのだが、そんな、二度も三度も読むひまなんか無いよ、と言われると、それっきりである。おひまのある読者だけ、なるべくなら再読してみて下さい。また、ひまで困るというような読者は、此の機会に、もういちど、沙翁の「ハムレット」を読み返し、此の「新ハムレット」と比較してみると、なお、面白い発見をするかも知れない。

作者も、此の作品を書くに当り、坪内博士訳の「ハムレット」と、それから、浦口文治氏著の「新評註ハムレット」だけを、一とおり読んでみた。浦口氏の「新評註ハムレット」には、原文も全部載っているので、辞書を片手に、大骨折りで読んでみた。いろいろの新知識を得たような気もするが、いまそれを、ここでいちいち報告する必要も無い。

なお、作中第二節に、ちょっと坪内博士の訳文を、からかっているような数行があるけれども、作者は軽い気持で書いたのだから、博士のお弟子も怒ってはいけない。このたび、坪内博士訳の「ハムレット」を通読して、沙翁の「ハムレット」のような芝居は、やはり博士のように大時代な、歌舞伎調で飜訳せざるを得ないのではないかという気もしているのである。

沙翁の「ハムレット」を読むと、やはり天才の巨腕を感ずる。情熱の火柱が太いのである。登場人物の足音が大きいのである。なかなかのものだと思った。この「新ハムレット」などは、かすかな室内楽に過ぎない。

なおまた、作中第七節、朗読劇の台本は、クリスチナ・ロセチの「時と亡霊」を、作者が少しあくどく潤色してつくり上げた。ロセチの霊にも、お詫びしなければならぬ。

最後に、此の作品の形式は、やや戯曲にも似ているが、作者は、決して戯曲のつもりで書いたのではないという事を、お断りして置きたい。作者は、もとより小説家である。戯曲作法に就いては、ほとんど知るところが無い。これは、謂わば LESEDRAMA ふうの、小説だと思っていただきたい。

二月、三月、四月、五月。四箇月間かかって、やっと書き上げたわけである。読み返してみると、淋しい気もする。けれども、これ以上の作品も、いまのところ、書けそうもない。作者の力量が、これだけしか無いのだ。じたばた自己弁解をしてみたところで、はじまらぬ。

昭和十六年、初夏。

人物。

クローヂヤス。(デンマーク国王。)

ハムレット。(先王の子にして現王の甥。)

ポローニヤス。(侍従長。)

レヤチーズ。(ポローニヤスの息。)

ホレーショー。(ハムレットの学友。)

ガーツルード。(デンマーク王妃。ハムレットの母。)

オフィリヤ。(ポローニヤスの娘。)

その他。

場所。

デンマークの首府、エルシノア。

一 エルシノア王城 城内の大広間

王。王妃。ハムレット。侍従長ポローニヤス。その息レヤチーズ。他に侍者多勢。

王。「皆も疲れたろうね。御苦労でした。先王が、まことに突然、亡くなって、その涙も乾かぬうちに、わしのような者が位を継ぎ、また此の度はガーツルードと新婚の式を行い、わしとしても具合の悪い事でしたが、すべて此のデンマークの為です。皆とも充分に相談の上で、いろいろ取りきめた事ですから、地下の兄、先王も、皆の私心無き憂国の情にめんじて、わしたちを許してくれるだろうと思う。まことに此の頃のデンマークは、ノーウエーとも不仲であり、いつ戦争が起るかも知れず、王位は、一日も空けて置く事が出来なかったのです。王子ハムレットは若冠ゆえ、皆のすすめに依って、わしが王位にのぼったのですが、わしとても先王ほどの手腕は無し、徳望も無ければ、また、ごらんのとおり風采もあがらず、血をわけた実の兄弟とも思われぬくらいに不敏の弟なのですから、果して此の重責に堪え得るかどうか、外国の侮りを受けずにすむかどうか頗る不安に思って居りましたところ、かねて令徳の誉高いガーツルードどのが、一生わしの傍にいて、国の為、わしの力になってくれる事になりましたので、もはや王城の基礎も確固たり、デンマークも安泰と思います。皆も御苦労でした。先王が亡くなられてから今日まで、もう二箇月にもなりますが、わしには何もかも夢のようです。でも皆の聡明な助言に依って、どうやら大過なく、ここまでは、やって来ました。いかにも未熟の者ですから、皆も、今日以後、変らず忠勤の程を見せ、わしを安心させて下さい。ああ、忘れていた。レヤチーズが、わしに何か願いがあるとか言っていましたね。なんですか?」

レヤ。「はい。実は、フランスへ、もう一度遊学に行かせていただきたいと思っているのでございますが。」

王。「その事でしたら、かまいません。君にも此の二箇月間、ずいぶん働いてもらいました。もう、こちらは、どうやら一段落ですから、ゆっくり勉強しておいでなさい。」

レヤ。「恐れいります。」

王。「君の父にも相談した上の事でしょうね。ポローニヤス、どうですか?」

ポロ。「はい。どうにも、うるさく頼みますので、とうとう昨夜、私も根負け致しまして、それでは王さまにお願いして見よと申し聞かせた次第でございます。ヘッヘ、どうも若いものには、フランスの味が忘れかねるようでございます。」

王。「無理もない。レヤチーズ、子供にとっては、王の裁可よりも、父の許しのほうが大事です。一家の和合は、そのまま王への忠義です。父の許しがあったならば、それでよい。からだを損わぬ程度に、遊んでおいで。若い時には、遊ぶのにも張り合いがあるから、うらやましい。ハムレットは、このごろ元気が無いようですが、君もフランスへ行きたいのですか?」

ハム。「僕ですか? からかわないで下さい。僕は地獄へ行くんです。」

王。「何を、ぷんぷんしているのです。あ、そうか。君は、ウイッタンバーグの大学へ、また行きたいと言っていましたね。でも、それは怺えて下さい。わしからお願いします。君は、もうすぐ此のデンマークの王位を継がなければならぬ人です。今は国も、めんどうな時ですから、わしが仮に王位に即きましたが、此の危機が去って、人々の心も落ちつけば、わしは君に跡を継いでもらって、ゆっくり休息したいと思って居ります。それゆえ君は、いまからわしの傍にいて、少しずつ政治を見習うように心掛けなければいけません。いや、わしを助けてもらいたいのです。どうか、大学へ行くのは、あきらめて下さい。これは、父としての願いでもあるのです。君が、いなくなると、王妃だって淋しがるでしょう。君は、このごろ健康を害しているようにも見えます。」

ハム。「レヤチーズ、――」

レヤ。「はい。」

ハム。「君は、いい父を持って仕合せだね。」

王妃。「ハムレット、なんという事を、おっしゃるのです。私には、あなたが、ふてくされているようにしか思われません。そんな厭味な、気障な態度は、およしなさい。不満があるなら男らしく、はっきりおっしゃって下さい。私は、そんな言いかたは、きらいです。」

ハム。「はっきり言いましょうか。」

王。「わかっています。わしは此の機会に、君と二人きりでゆっくり話してみたい。王妃も、そんなに怒るものではありません。若い者には、若い者の正当な言いぶんがある筈です。わしにも、反省しなければならぬ事が、まだまだ、あるように思われます。ハムレット、泣かずともよい。」

王妃。「なに、そら涙ですよ。この子は、小さい時から、つくり泣きが上手だったのです。あまり、いたわらずに、うんとお叱りになって下さい。」

王。「ガーツルード、言葉をつつしみなさい。ハムレットは、あなたひとりの子ではありません。ハムレットは、デンマーク国の王子です。」

王妃。「それだから私も言うのです。ハムレットだって、もう二十三になります。いつまで、甘えているのでしょう。私は生みの母として此の子を恥ずかしく思います。ごらん下さい。きょうは王の初謁見式だというのに、この子ばかりは、わざと不吉な喪服なんかを着て、自分では悲壮のつもりで居るのでしょうが、それがどんなに私たちを苦しめる事なのか、この子は思ってもみないのです。私には、この子の考えている事くらい、なんでもわかります。この喪服だって、私たちへのいやがらせです。先王の死を、もはや忘れたのかという、当てつけのつもりなのでしょう。誰も忘れてやしません。心の中では誰だって、深く悲しんでいるのですが、いまは、その悲しみに沈んでばかりも居られません。私たちは、デンマークの国を思わなければいけません。デンマークの民を思わなければいけません。私たちには、悲しむ事さえ自由ではないのです。自分の身であって、自分のものではないのです。ハムレットには、それが、ちっともわかっていないのです。」

王。「いや、それは酷だ。そんな、追いつめるような言いかたをしては、いけません。人を無益に傷つけるだけの事です。王妃には、生みの母という安心があって、その愛情を頼みすぎて、そんな事を言うのでしょうが、若い者にとっては、陰の愛情よりも、あらわれた言葉のほうが重大なのです。わしにも、覚えがあります。言葉に拠って、自分の全部が決定されるような気がするものです。王妃も、きょうは、どうかしていますよ。ハムレットが喪服を着ていたって、少しも差しつかえ無いと思います。少年の感傷は純粋なものです。それを、わしたちの生活に無理に同化させようとするのは、罪悪です。大事にしてやらなければいけません。わしたちこそ、この少年の純粋を学ばなければいけないのかも知れません。わかるとは思っていながら、いつのまにやら、わしたちは大事なものを失っている場合もあるのです。とにかく、わしはハムレットと二人きりで、ゆっくり話してみたいと思いますから、みんなは暫く向うへ行っていて下さい。」

王妃。「そんなら、お願い致します。私も少し言いすぎたようですが、でも、あなたも義理ある仲だと思って、此の子に優しくしすぎるようです。それでは、いつまで経っても、この子は立派になりません。先王がおいでになったとしても、きょうの此の子の態度には、きっとお怒りになり、此の子をお打ちになったでしょう。」

ハム。「打ったらいいんだ。」

王妃。「また、何をおっしゃる。もっと素直におなりなさい。」

王。ハムレット。

王。「ハムレット、ここへお坐りなさい。厭なら、そのままでいい。わしも立って話しましょう。ハムレット、大きくなったね。もう、わしと脊丈が同じくらいだ。これからも、どんどん大人になるでしょう。でも、も少し太らなければいけませんね。ずいぶん痩せている。顔色も、このごろ、よくないようです。自重して下さいよ。君の将来の重大な責務を考えて下さい。きょうはここで、二人きりで、ゆっくり話してみましょう。わしは前から、二人きりになれる機会を待っていたのです。わしも、思っているところを虚心坦懐に申しますから、君も、遠慮なさらず率直に、なんでも言って下さい。どんなに愛し合っていても、口に出してそれと言わなければ、その愛が互いにわからないでいる事だって、世の中には、ままあるのです。人類は言葉の動物、という哲学者の意見も、わしには、わかるような気がします。きょうは、よく二人で話合ってみましょう。わしも此の二箇月間は、いそがしく、君と落ちついて話をする機会もなかった。全く、そのひまが無かったのです。ゆるして下さい。君のほうでもまた、なんだか、わしと顔を合せるのを避けてばかりいましたね。わしが部屋へはいると、君は、いつでもぷいと部屋から出て行きます。わしは、その度毎に、どんなに淋しかったか。ハムレット! 顔を挙げなさい。そうして、わしの問いに、はっきり、まじめに答えて下さい。わしは、君に聞きたい事がある。君は、わしを、きらいなのですか? わしは、いまでは君の父です。君は、わしのような父を軽蔑しているのですか? 憎んでいるのですか? さ、はっきりと答えて下さい。一言でいい。聞かせて下さい。」

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