Chapter 1 of 1

種田山頭火

五月一日 晴――曇――雨。

早起、一風呂あびて一杯ひつかける、極楽々々!

七時のバスで帰庵。

留守中に敬君や樹明君や誰かゞ来庵したらしい、すまなかつた、残念なことをした。

何となく憂欝。――

W屋主人来庵。

風が出て来た、風はほんたうにさびしい、やりきれない。

午後、樹明君を訪ね、いつしよに街へ出かけて飲む、敬君にも出くわし、三人で飲む、酔ふ、どろ/\になつてしまつた、それでも戻ることは戻つた、つらかつた、やれ/\!

夜中に眼が覚めて、とてもさびしかつた、かなしかつた。

慎しむべきは酒なりけり! 老いてはつゝましかるべし!

五月二日 曇――雨。

身心整理する外ない、さうするには、さしあたり、旅に出る外ない、歩かう歩かう、風のまに/\!

夕方、ポストまで出かけたついでにシヨウチユウを買うて戻る、どうも米を買ふには足りない、それに気が欝いでたへきれなくなつた。

アルコールのおかげで快眠、うれしかつた。

五月三日 雨――曇。

欝々として楽しまない、幸にしてK社から句稿料が届いたので街へ出かけて二三杯呷る、その勢で山口へ行く、飲んで酔うてS屋に泊る、前後不覚、一切合切が空つぽになつた。

五月四日 曇。

朝帰庵、飯を炊いたり洗濯したり、そして読んだり考へたり、――労れていつとなし寝入りこんでしまつた。

五月五日 曇。

さらに転一歩。――

夕方、敬君酔うて来庵、いろ/\考へさせられる、同道してW店を襲ひ、私もまた酔ふ、帰つたのは十一時近かつたらう、そのまゝぐつすり睡つて、夜の明けるまでちつとも覚えなかつた、万歳々々!

途上点描

(旅日記ところ/″\)

五月六日――十九日

――まるで地獄だつた。

酔うては彷徨し、めては慟哭した、自己冒涜と自己呵責との連続であつた。

私は人非人だ、Hがいふやうに穀つぶしだ。

Kに対して、Wさんに対して、何といふ背信忘恩であらう。

酒! あゝ酒のためだ、酒が悪いのではない、私が善くないのだ、酒に飲まれるほど弱い私よ、呪はれてあれ!

肉体的にはたうとう吐血した、精神的には自殺に面して悩み苦しんだ。

死、さうだ、死が最も簡単な解決、いや終局だ、狂、狂しうるほどの力もないのだ。

死、死、死、そして遂に死なゝかつた、死ねなかつた、辛うじて自分を取り戻した、そして……夜が――私の夜が明けたのである、幸にして(不幸にして、かも解らない)、私は私の私となつた。――

五月廿日 曇。

門外不出。――

下の家から梯子を借りて来て屋根を繕ふ、漏つて漏つて堪へきれなくなつたのだ、梅雨季も近づいてくるが、葺替代がないのだ、あぶなかつた、足すべらして落ちさうだつた。

日本案内記を読みつゞけて、旅したい心をなぐさめる。

珍らしいお客様があつた、Tさんが二人連れでやつてきて、静寂に感心して帰つていつた。

多々桜君の死は私に堪へがたい痛恨をもたらした、奥さんからの通知に接した時、私は脳天を撃ちのめされたやうなシヨツクを感じた、過ぐる三月にお見舞してよかつた、あれは久しぶりの、そして最後の出会であつたが、あゝ、それにしても、死んではならない君は死んでしまうし、死ねばよい私は死なゝいでゐる、私は自然の矛盾とでもいひたいものを感じる、そして腹立たしくさへなる。……

“Natural nonsense”

雑草のたたかひ――

荒地野菊のたくましさ

ポピーの弱さ

五月廿一日 晴。

横臥読書、すまない、すまない、すみません。

除州陥落! そして此国民のおちつき!

日本人は大きくなつた、日本は進みつゝある!

食糧がなくなつたけれど米を買ふには銭が足らないので、うどん玉を買うて帰る、新聞を借りて読む、あれやこれやで今日も暮れてしまつた。

五月廿二日 曇――雨。

昨夜は一睡もしないで、自己に沈潜した、自己省察は苦しかつた、だが、私の覚悟はきまつた。――

私は名誉もほしくない、財産もいらない、生命さへも惜しいとは思はない、いつまで生きるるか解らないが(あゝ、長生すればまことに恥多し!)、生きてゐるかぎりは私の句を作らう。

すなほにつゝましく、――あるところのものに足りて、いういうとして怠りなく、――個性の高揚。

久しぶりに花を活ける、卯の花は好きだが、薊も悪くない、総じて野の花はよい。

身辺整理。

白船君から澄太君の手紙を廻送して貰ふ、澄太君、ありがたう/\。

街へ出かけて買物、もとより第一番に一杯ひつかける、七日ぶりの酒だが、それほどうまくない、ハテナ!

先日たうとう吐血したが(悪友達は胃潰瘍だらうとおどかしたが)、それでも酒はやめない(やめられもしないし、やめやうともしない)、句がやめられないと同様に(業だ、業だよ)。

旅、旅、旅、何よりも旅がよい、旅が私を打開してくれる。

今日は近来にない賑やかな日だつた、先づ敬君来庵、それNさん、それから暮羊君(新聞の掛取までも)、愉快に話し大いに笑つた。

夕方から雨になつて風も出て来たが、落ちついて読書する。

満腹々々、極楽々々。

今日の買物――

弐十弐銭  酒二杯

┌三十五銭  白米一升

└十八銭   平麦一升

弐十弐銭  煮干五十目

十銭    赤味噌百目

十銭    餅七ツ

二銭    沢庵漬一本

三十弐銭  なでしこ大包一個

壱円弐十銭 木炭一俵

八銭    バツト一

物価騰貴、殊に生活必需品の騰貴は私を脅威する。

五月廿三日 雨――晴。

身心沈静、だが、まだ/\本物ではない、おちつけおちつけ、おちつかなければ、ほんたうの句は出て来ない。

久しぶりに味噌汁をこしらへて味ふ。

……不死身の捨身、押の一手でひた押しに押してゆく外ありません。……(或る友に)

ポストまで出かける、ついでに買物、酒、豆腐、酢。

やつこ豆腐はうまい、ちしや膾もうまいな。

なやましくもなつかしい密柑の花の匂ひ、五月の匂ひ。

また街に出かけて飲む、W店、学校、そしてまたW店、たうとうそこで倒れた、まことに久しぶりのよい泥酔であつたよ、しかし、ほんにしかし、酒は飲むべし、飲まれてはならない!

△蛙の話

△羊の話

アンゴラ兎の話

人間は追剥。

羊が毛を刈り取られて風邪をひいた。

搾取に甘んじてゐる境地。

五月廿四日 曇。

朝酒、御飯までよばれてから帰庵。

身辺整理、整理せよ、整理せよ、心のすみ/″\まで。

Nさん来庵、本をいろ/\持つて来て貸して下さつた、そして焼酎を御馳走して下さつた、感謝々々。

二人うち連れて近郊散策、新緑がうつくしい、水音がうれしい、木苺がうまかつた。

Wさん来庵、ふとん綿ちしや葉をあげる、これだけが私の精いつぱいの謝意のあらはれだ。

焼酎をあほつたからだらう、胃が痛みだして弱つた、死! ぞつとした、いつものやうでもなく、死にたくないやうな気がした、これからは焼酎は飲むまい、飲んではならない(西洋の火酒には縁が遠い)、これだけは必らず実行すべし、生命が惜しいよりも胃痛が堪へられない、そしてまた、酒はうまいけれど焼酎はうまいと思はない。

蚊帳を吊らなければならなくたので、机を南から北の窓へうつす、こんなこともちよつと気分をかへる、だいたい、書斎は北向の窓がよい、落ちついて読み書きが出来る。

夜は今日借りた本を読みつゞけた。

“高くこゝろをさとりて俗に帰るべし”

芭蕉の言葉(土芳―赤冊子)

“鬼が笑ふ”

五月廿五日 晴。

落ちついて読書。

鮮人の女屑屋がやつて来て、お一人で寂しいでせう、といふ、その寂しさをまぎらすべく、鍬を持つて畑に出たが、身のおとろへを痛感するばかりだつた。

蕗の皮を剥ぎつゝ物を思ふ、よう剥げることも追憶の種だ、生々死々去々来々のことはりはよく解つてゐるけれど寂しいことにかはりはない。

今日の買物――

四十四銭 酒四合

五銭   豆腐二丁

四銭   酢一合

五月廿六日 晴。

ぢつとしてはゐられないから、いよ/\旅へ出かけることにする、せめて広島までゞも歩きたい、そして久しぶりに友達のたれかれに逢ひたい、……沈欝のやりどころがないのである、で、身のまはりをかたづける。……

畑仕事、苗床をこしらへる、唐辛を播いておく。

朝晩は肌寒いほどであるが、日中はだいぶ暑くなつた、それもその筈だ、私はまだ綿入を着てゐる!

寝苦しかつた、初めて蚊帳を吊つた。

五月廿七日 晴――曇。

明けるより起きた。

煙火は海軍記念日だから。

すこしいら/\する、暮羊居から新聞を借りて来て読む、内閣改造問題で賑やかだ。

今日から単衣にする、わざと定型一句――

さすらひの果はいづくぞ衣がへ

ポストまで出かける、米は買へないからうどん玉を買うてすます、あはれ/\。

父子草、母子草、あゝこれもやりきれない。

胡瓜苗を植ゑる(下のY老人のところには茄子苗はなかつた)、此五本が私の食膳をどんなにゆたかにすることか。

旅の用意はとゝなうたが、さて、かんじんかなめのものが出来ない、ぢつとしてゐる、つらいね。

人にはそれ/″\天分がある、私には私としての持前がある。

天分に随うて天分を活かし天分を楽しむ、それが人生だ。

私は安んじて句を作らう、よねんなく私の句を作らう、よい句が出来たら、――きつと出来る。

五月廿八日 曇。

緑平老、ありがたう、ありがたう、緑平老。

旅、旅、やうやく旅に出かけることが出来た。――

五月廿八日――六月五日

旅日記。――

●図書カード

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