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「神父さま」と彼女は低い声で言つた。「できるだけ早くあなたにお話しなければなりませんわ。わたくしの言うことを聞いてくださらなければいけませんわ。ほかにどうしようもないのです」
「もちろん、うかがいますとも」坊さんは、浮浪児に時間をきかれたときのように、冷静に答えた。「どこへ行つてお話しましようか?」
令嬢は偶然行きあたつた屋敷内のかなり荒れはてたアズマヤに案内した。そしてギザギザの大きな葉がむらがつてついたてのようになつているうしろに腰をおろした。彼女は、まるではりつめている気持をすぐに解きはなさないと気絶でもしそうなようすで、すぐに話しはじめた。
「ハロルド・ハーカーがわたくしにいろんなことを話しました。恐ろしい事ばかりです」
坊さんがうなずくと、令嬢は急いで話を進めた。「ロジャー・ルークのことなんです。あなたはロジャーの噂をご存じですか?」
「わしの聞いているのは、海軍仲間では彼を陽気なロジャーと呼んでいることです……これはロジャーさんが海賊の旗じるしのドクロとぶつちがいの骨みたいな顔をしていて、ちつとも陽気な顔を見せたことがないからだそうです」
「いつもそうだとはかぎりませんのよ」とオリーブは低い声で言つた。「あの人には何かよほど変なことがあつたに違いありませんわ。わたくしはおたがいに子供だつたときからあの人をよく知つていました。いつもあすこの砂浜で一緒に遊びました。あの人は無鉄砲で、いつも海賊になる話ばかりしていました。たぶんあの人は、いわばスリラー小説を読んで犯罪が好きになるようなたちだつたのでしよう。でもあの人が海賊になるんだと言つていたころはかなり詩的なところがありました。あの時分はほんとに陽気なロジャーでした。あの人は、伝説どおりにほんとに海へ出て行きたいという気持を持ち続けた、最後の少年だつたと思いますわ。そしてとうとう家の人たちもあの人が海軍にはいるのを認めなければなりませんでした。それで……」
「なるほど」とブラウン神父は辛抱強く言つた。
「そうなんです」と彼女は、珍しく楽しそうな気分を見せて、それを認めた。「かわいそうにロジャーは海軍に失望したのだと思いますわ。海軍士官が口にナイフをくわえたり、血にまみれた短剣や真黒な旗を振りまわしたりすることはめつたにありませんもの。でもそれだけではあの人の変りようが説明できませんわ。あの人はほんとに固苦しくなりました……鈍くて無口になりました……歩きまわつている死人でした。あの人はいつもわたくしを避けるんです。でもそんなことはどうでもいいんです。わたくしは、きつとわたくしに関係のない何か大きな悲しみがあつて、それで参つてしまつたのだろうと思つていました。ところがいまになると――ええもしハロルドの話がほんとうだとすれば、その悲しみはまるで気違いになるか悪魔に取りつかれるかしたようなものだつたのですわ」
「するとハロルドの話というのはどんな話ですか?」と坊さんはきいた。
「あんまり恐ろしい話で、わたくしの口からは申しあげられないくらいです。ハロルドは、あの晩ロジャーが父のうしろから忍びよつて、ためらいながら、やがて剣を引き抜いたのを見たと、誓言しているんです……それにあのお医者さまの話では、父は刃物で刺されたのだそうです……。わたくしはロジャー・ルークがそんなことに関係したとはどうしても信じられません。あの人の偏屈と父のかんしやくから時には口論になつたことがあります。でも口論なんて何でもないことじやありませんか? わたくしはかならずしも昔からのお友達の弁護をしているわけじやないのです。だつてあの人は友達らしくさえしてくれないんですもの。でも昔の知り人だというだけでも、或る程度確信せずにはいられないことがあります。それなのにハロルドの誓言ではあの人が……」
「ハロルドはずいぶん誓言することがあるようですな」とブラウン神父は言つた。
ふいに沈黙がひろがつた。しばらくして彼女は別人のような口調で言つた――
「ええ、ハロルドはほかにもいろいろ誓言していることがあります。ハロルド・ハーカーはたつたいまわたくしに求婚したんです」
「おめでとうはあなたに言つたらいいのか、それともむしろハーカーさんに言つたほうがいいのかな?」とブラウンは尋ねた。
「わたくしは待たなければいけないと言つたんです。ハロルドは待つのは不得手です」彼女はまたフッと彼女には不似合いなこつけい感におそわれていた――「ハロルドは、あなたこそぼくの理想で、ぼくの生涯の望みだというようなことを言いました。あの人はアメリカに住んでいたことがあるんです……でもどういうわけかわたくしは、あの人がドルの話をしているときにそれを思い出さないで、理想について話してくれているときに、やつとそれを思い出しました」
「では、どうやらあなたがロジャーについての真相を知りたいと言われるのは、ハロルドの問題で決心しなければならないからでしような」ブラウンはごくやさしく言つた。
彼女は体を固くして顔をしかめたが、やがて同じようにだしぬけにニッコリして、言つた――「まあ、あなたは何でもよくご存じですわ」
「わしは何もわかつてやしません……特にそういうことはな」と坊さんは厳粛に言つた。「わしにわかつているのは、だれがあなたのお父さまを殺したかということだけです」彼女はハッとして、立ちあがると、サッと血の気のなくなつた顔で相手を見つめた。ブラウン神父は顔をしかめて、話を進めた――「わしは、初めてそれに気がついたとき、バカなまねをしました……ちようどみんなが、どこで死体が発見されたかときいてから、緑色の浮きかすや緑人亭について話していたときでした」
それからブラウンも立ちあがつた。改めて決心したように例のぶかつこうなこうもり傘をつかむと、改めて厳粛に令嬢に話しかけた。
「そのほかにもわかつていることがあつて、それはまだ申しあげますまい。たぶん悪いニュースですぞ……したがあなたが想像なすつてるような悪いことではありません」ブラウンは外套のボタンをすつかりかけてから、門のほうへ向いた。
「わしはあなたのそのルークさんに会いに行くつもりです。ハーカーさんがあの人の歩いているのを見たという場所の近くにある、海岸の小屋の中です。どうもそこにあの人がいそうな気がします」そう言うとブラウンは急いで浜のほうへ行つてしまつた。
オリーブは空想に富んでいた……おそらくあまり空想に富んでいるので、ブラウンが投げかけたような暗示を考えこませておくのは安全ではなかつたろう。しかしブラウンは、むしろ彼女の物思いを一番ホッとさせる助けを見つけ出そうとして、急いだのであつた。ブラウン神父が最初にフッと気がついてギョッとしたことと、あの池や居酒屋について言つた気まぐれな言葉とのあいだの神秘的なつながりが、彼女の空想を悩まして、何かを象徴する無数の醜悪な形になつて現われた。緑色の人が、いやらしい雑草を踏み分けながら月下の田舎道を歩いている幽霊になつた……緑人亭の看板が、絞首台からぶらさがつているような、宙釣りの人間の姿になつた……そして池そのものが居酒屋になつた――死んだ船乗りのための暗い水底の居酒屋であつた。それでもブラウンはそういう夢魔をくつがえすために一番早い方法を取つたので、やがて夜以上に神秘的な感じがする目のくらむような昼の光をあびせかけるつもりであつた。
というのは日が沈まないうちに、或る物が彼女の生活に帰つてきて、全世界をもう一度あべこべにひつくりかえしたからである……その或る物を自分がこれほど望んでいるとは、ふいにそれが許された今日になるまで、彼女はほとんど気がつかずにいたのであつた……その或る物は、夢と同じに、古くからのなじみ深いものであるが、それでいていまだに理解できないで信じられなかつた物であつた。それはロジャー・ルークが砂浜を大またに横切つてきたからであつた……そしてまだ遠くに黒い点のような姿を見せたときから、彼女は彼のようすが変つているのにすぐ気がついた。そしてだんだん近づいてくるにつれて、彼女はルークの浅黒い顔が喜びにあふれた笑いでいきいきしているのを見た。ルークは、まるで二人が一度も別れたことがなかつたように、まつすぐ彼女のほうにやつてくると、彼女の肩をつかんで言つた――「サア、これからぼくがきみのめんどうをみられるんだ……神さまのおかげだ」
彼女は何と返事したかわからないくらいであつた。しかし気がついてみるといつのまにか、なぜあなたはそんなに人が変つたように幸福そうなのと、かなり激しく尋ねていた。
「そりや、ぼくが幸福だからさ」とルークは答えた。「ぼくはあの悪いニュースを聞いたんだ」
関係者全員が、中にはかなり無関係らしい者も加えて、クレイブン邸に続く庭の細道に集まつていた……弁護士の遺書朗読という、この場合はほんとに形式的な、形式上の手続きと、この危機について弁護士から当然出そうないくらか実際的な助言を聞くためであつた。正式遺言状で武装した、ごま塩の弁護士その人のほかに、この犯罪についてのもつと直接的な権威で武装した警部がいたし、それから人目をかまわず令嬢につきそつているルーク大尉がいた。中には、医者の背の高い姿を見てかなり不思議そうにしている者もいたし、またズングリした坊さんの姿を見てちよつと微笑した者もいた。空を飛ぶ天の使者そつくりのハーカー君は、みんなを出迎えに門番小屋まで駆け出して芝生に案内して帰ると、こんどはまたみんなの先きに立つて接待の準備をするために駆け出した。彼は、すぐ帰つてきます、と言つていたし、そのピストンのような精力ぶりを見ているとまつたくそう思えた。しかし、さしあたり、みんなはどうやら家の外の芝生の上に立往生させられていた。
「クリケットの試合で得点している男の走りつぷりを思い出しますよ」と大尉が言つた。
「あの青年は、法律があの男ほど機敏に動けないので、かなりいらいらしているんです」と弁護士が言つた。「幸いにクレイブン嬢はわれわれの職業的困難や遅延の理由を理解していてくださいます。お嬢さんはわたくしのゆつくりしたやり方にやはり信頼するからと、ご親切に保証してくださいました」
「われわれはあの男の機敏さにもそれくらい信頼したいと思うんですがねえ」ふいに、医者が言つた。
「オヤ、どういう意味ですか?」ルークは額にしわをよせながら、きいた。「つまりハーカーが機敏すぎるという意味ですか?」
「あまり機敏すぎるし、あまりゆつくりすぎるんです」ストレイカー博士はいつものかなりテキパキした調子で言つた。
「わたしは少なくともあの男があまり機敏でなかつた場合を一つだけ知つています。なぜあの男は、警部が来て死体を発見するまでに、一晩近くもあの池や緑人亭のあたりをうろついていたのですか? なぜあの男は警部に会つたのですか? なぜ緑人亭の表で警部に会うのを待つていなきやならんのでしようか?」
「どうもよくわからないな」とルークが言つた。「つまりハーカーの話は事実でないというわけですか?」
ストレイカー博士は黙つていた。ごま塩の弁護士が無気味な上きげんで笑つた。
「わたくしがあの青年に文句を言うとすれば、一番重大なのは、彼がわたくしに弁護士の仕事を教えようという迅速な賞賛すべき企てを試みたことです」
「そう言えば、あの男は、わたしにも警察の仕事を教えようと試みましたよ」と警部が言つた。この人はたつたいま一同の仲間入りをしたばかりであつた。「だがそんなことはどうでもいいじやありませんか。もしストレイカー博士があの男の暗示でどうかしたというなら、それは重大な問題になります。はつきり言つていただかなきやなりませんね、先生。わたしの義務としてすぐあの男にきいてみる必要があるかもしれません」
「ホラ、こつちへ来ますよ」ルークは、秘書の機敏な姿がまた戸口へ現われたので、言つた。
ちようどこの時、行列の後尾について無言で人目につかずにいたブラウン神父がひどくみんなを仰天させた……おそらく特にブラウンをよく知つている者ならなおさらであつたろう。彼は足早に前に歩き出しただけでなく、下士官が兵隊に止まれと言いつけるときのように、まるでみんなを引き止めて脅しつけるような表情で全員に向かい合つた。