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明治人物月旦(抄)
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明治人物月旦(抄)
鳥谷部春汀
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Chapter 3 of 31

3

侯が新政黨を組織するに付ては、頗る經營慘憺の苦心を費やし、之れに着手するの前、先づ藩閥元老の承認を求むるの手段を執りたり。井上伯は政治上の主義に於てよりも、寧ろ私交上の關係に於て伊藤侯の政黨組織に同情を表し、以て一種の任侠的援助を侯に與へたりと雖も、他の藩閥元老は、中心實に侯の政黨組織を喜ばざりしに拘らず、猶ほ強て之れを表面より妨害したるものなかりしが如し。葢し藩閥元老の意氣漸く衰へて、復た自ら今後の難局に當らむとするの抱負あるものなく、而して現に内閣の首相たる山縣侯の如きも、最近二年間の經驗に依りて、到底政黨の勢力を無視する能はざるの趨勢を認識したれば、たとひ憲法上の解釋に於て多少伊藤侯と見を異にするものあるも、敢て成敗を賭して自家の所信を徹底せむとするの勇氣ありとも見えず。是れ終に伊藤侯の政黨組織を承認せざるを得ざる所以なり。侯は又舊自由黨の熱心なる主張を排し、故らに黨名を採らずして會名を用ゐたるは、識者より見れば、殆ど兒戯に類すと雖も、是れ一は黨と稱すれば自由黨の變名なるが如き嫌あると、一は全く既成政黨の組織を踏襲するを欲せざる爲なる可し、其の宣言及綱領を發表するに侯の單名を以てして、何人をも之れに加へざるは、是れ侯の最も意を用ゐたる所にして、其の理由は次の二點に歸着すべし。曰く立憲政友會は伊藤侯の創立したるものなれば、其の存廢を決するは伊藤侯の自由意思にして、何人も之れを掣肘するを得可からず。曰く宣言及び綱領は侯の單意に成りたるものなれば、之れを修正變更するは侯の獨裁たる可く、隨つて立憲政友會に入るものは徹頭徹尾侯に盲從し、何人も侯に容喙するを許さゞる是れなり。此の推測の正當なるは、政友會發會式の日に發表したる會則を一讀せば更に明白なり。其の會則に據れば、總務委員幹事長以下の選任より、大會、議員總會等の召集まで、一切總裁の權能に屬すること、恰も文武百官の任命乃至議院の召集解散等、總て君主の大權に屬するが如し。而して其の總裁の就任に關して何等の規定なきを以て、立憲政友會の總裁は固より一般政黨の推選首領と其の性質を異にせり。要するに總裁は立憲政友會の主體にして、其の機關には非ず。換言せば伊藤侯の立憲政友會に總裁たるは、猶ほ專制國に君臨せる元首の如く、其の權能は絶對にして無限なり、一般の政黨首領は、亦黨の一機關たるに過ぎざるを以て、先づ政黨ありて而る後に首領あれども、獨り立憲政友會に在ては、總裁は即ち立憲政友會にして、立憲政友會ありて而る後に總裁あるに非ず。報知記者伊藤侯を評して、日本政黨界のルイ十四世といひたるもの誠に當れり。

自由黨は立憲政友會に合同すと稱して解黨したり。既に合同といへば立憲政友會は對等なる位地に於て自由黨を迎へざる可からず。而も立憲政友會の組織は、個人の加入を許すと雖も、對等なる團體の合同を許さず。則ち舊自由黨が自ら合同と稱すと雖も、立憲政友會に於ては、唯だ舊自由黨員たりし各個人の加入を認むるのみ。顧ふに政友會の最大多數は舊自由黨員たるを見るに於いて、事實上政友會の大幹部は隨つて舊自由黨たる可きは無論なり。されど伊藤侯の意思は即ち政友會の意思にして、舊自由黨は之れに柔順なる服從を表するの外、何等の意思もなき勢力もなきものなりと認めざる可からず。伊藤侯が單名を以て政友會を組織するに付て用意の周到なる實に斯の如きものあり。

(二)宣言及綱領

伊藤侯の發表したる宣言の大要は、既成政黨の言動を論じて、或は憲法の原則と相扞挌するの病に陷りたりと爲し、或は國務を以て黨派の私に殉ずるの弊を致すと爲し、或は宇内の大勢に對する維新の宏謨と相容れざるの陋を形したりと爲せり。是れ舊自由黨の言動に就て特に戒飭したる意もある可く、將た他の黨派に對して非難を加へたる點もある可し。舊自由黨が之れを以て毫も自由黨に渉らずと辯じ、百方牽強附會の辭を費やしたる報告を配布したるは、唯だ滑稽の極といはむのみ。宣言の内容は三段に分つ可し。其の一は閣臣任免の本義を説き、其の二は政黨の國家に對する關係を説き、其の三は政黨の規律を説けり。閣臣任免の本義に付ては曰く、抑も閣臣の任免は憲法上の大權に屬し、其簡拔擇用、或は政黨員よりし、或は黨外の士を以てす、皆元首の自由意思に存す。而して其の已に擧げられて輔弼の職に就き、献替の事を行ふや、黨員政友と雖も、決して外より之れに容喙するを得ずと。是れ純意義に於ける政黨内閣を否定して、人材内閣を主張したるものなり。乃ち其の内閣と議會との關係を明かにするの文字なきは何ぞ怪むに足らむ。舊自由黨總務委員の意見書中、此點に關する陳辯の如何に苦澁を極めたるかを見よ、曰く趣旨綱領中大臣輔弼の責任に言及する所なきが爲め、内閣と議會との關係如何にも要領を得ざるの疑をなす者なきにあらずと雖も、大臣は天皇に對し輔弼の責に任ずるは、既に憲法の條章に明にして、其の輔弼の責を全くし、以て國家の要務を擧げんとせば、議會の多數と調和伴行せざる可からざるは事實に徴して明なり。則ち内閣は人心を失し、議會の多數は到底内閣に贊同せず、立法豫算の政務を擧げて曠廢に歸せんとするに關せず、議會の調和伴行せざるを以て、一に之を大權干犯と爲し、頑として其の位地に據り、進で調和伴行の道を講ぜずんば、以て輔弼の責任を全くするものと云ふを得ざるべし。而して之を其の發起者たる伊藤侯に見るに、其の超然主義を標榜としたるの當時に於てすら、議會の反對に遇ふて國務を擧ぐる能はざるに至て、其の任免の大權に屬するを以て輔弼の責を忽にせず、表を捧げて罪を闕下に待ち、又先年自由進歩兩黨の合同するや自ら之を後任に奏薦して、引退したる實例あり。今又其の趣旨に於て、輿論を指導して國政の進行に貢献せん、或は帝國憲政の將來に裨補せんと言明せり。一たび此等の諸點を輳合せば立憲政友會の趣旨は、憲政の完成を期し、閣臣の責任を明にしたるものなること釋然たらんと。夫れ議會と調和伴行の道を講じたるは獨り伊藤侯のみに非ず、他の藩閥元老亦皆之れを講じたり。其の多數の反對に遇ふて國務を擧ぐる能はざるに至て終に表を捧げて罪を闕下に待つの擧に出でたるものは、他の藩閥元老も亦皆然らざるなし。唯だ伊藤侯の如く再囘議會を解散して尚ほ内閣を固守したるものなかりしのみ、問題は此に在らずして、伊藤侯は果して衆議院の多數少數を以て内閣進退の條件と爲すを趣旨とするや否やに在り。而して伊藤侯は此の點に於て何の言ふ所なく、自由黨總務委員の陳辯亦此の意義を明解する能はず。

其の政黨と國家との關係を説ては曰く、凡そ政黨の國家に對するや、其の全力を擧げ、一意公に奉ずるを以て任とせざる可からず。凡そ行政を刷新して以て國運の隆興に伴はしめむとせば、一定の資格を設け、黨の内外を問ふことなく、博く適當の學識經驗を備ふる人才を收めざる可からず。黨員たるの故を以て地位を與ふるに能否を論ぜざる如きは斷じて戒めざる可からず。地方若くは團體利害の問題に至りては、亦一に公益を以て準と爲し、緩急を按じて之れが施設を決せざる可からず。或は郷黨の情實に泥み、或は當業の請託を受け、與ふるに黨援を以てするが如きは斷じて不可なりと。其の意專ら獵官收賄の行動を排斥するに存し、舊自由黨の如き最も中心忸怩たらざる可からず。而も其の總務委員の陳辯を見るに、反つて過を蔽ひ非を飾りて侯の訓戒を無視せむとするは又何の醜ぞ。其の官吏任用に對しては、資格限定の程度と方法は別問題なりと設辭して、尚ほ獵官の餘地を後日に留め其の收賄行動に對しては、此等弊竇は我黨の深く戒規したる所にして、今更之を一洗するの必要を感ぜず。之を以て暗に我黨を指すの言とするに至りては、己れを卑うして自ら疑ふの嫌あるを免かれずといひ、以て毫も自ら反省囘悟するの赤心を示さゞるは、伊藤侯亦恐らくは其の厚顏に驚きたる可きを信ぜむとす。最後に政黨の規律を説て曰く、政黨にして國民の指導たらむと欲せば、先づ自ら戒飭して紀律を明にし其の秩序を整へ、專ら奉公の誠を以て事に從はざる可からずと。是れ既成政黨の無紀律不秩序を咎め、此れより生じたる黨弊を革むるを趣旨としたるに在り。余は伊藤侯が主として此の趣意を實行せむことを望まざるを得ず。

綱領や約九個條にして、宣言の註脚といふ可く、其の外交に關しては、文明の政以て遠人を倚安せしめ法治國の名實を全からしめむことを努む可しといひ、其國防に關しては常に國力の發達と相伴行して、國權國利を充全ならしめむことを望むといひ、其の學政に關しては國民の品性を陶冶し、公私各々國家に對する負擔を分つに耐ゆるの懿徳良能を發達せしめ、以て國礎を牢くせむことを希ふといひ、其の實業に關しては、農商百工を奬め、航海貿易を盛にし、交通の利便を増し、國家をして經濟上生存の基礎を鞏からしめむことを欲すといふの事項稍々政綱らしきを見るのみ。而も是れ何人も異存なかる可き名辭の排列にして、一黨の政綱としては、餘りに漠然にして殆ど要領を認むるに難し。されど余の政友會に期する所は、國家經綸の施設よりも、寧ろ黨弊刷新に在り。是れ伊藤侯の政友會を發起したる主要の目的亦此に存すればなり。但だ最も黨弊に浸潤せる舊自由黨を最大要素とせる政友會を率ゐて、果して能く黨弊刷新の目的を達し得可しとする乎。是れ甚だ余の疑ふ所なり。現に侯が田口卯吉氏に請ふに政友會に入らむことを以てするや、彼は侯に向て極度に腐敗せる舊自由黨を主力としたる政友會の、到底黨弊刷新を期し得可き謂れなきを論じて入會を謝絶したり。島田三郎氏の如きも亦彼れと同一なる觀察に依りて政友會と接近するを避けたり。清流の士の政友會に赴かざる所以は實に此れが爲めなり。

(三)創立の參謀

政友會の創立に與かれる參謀としては、先づ舊自由黨總務委員を以て重もなる人物と爲さざる可からず。されど伊藤侯の計畫は、勉めて各種の人物と各階級の代表者を網羅するに在り故に投票權の多少よりいへば、舊自由黨最も多數の創立委員を出だす可き筈なれども、十二人の創立委員中舊自由黨より擧げたるものは僅に四名の總務委員にして、其の餘は總べて舊自由黨以外の人物を指名したりき。

此等の創立委員中最も新らしき印象を世人に與へたる人物は、男爵本多政以氏と爲す。彼れは前田家の舊大老にして、維新前は五萬石を領したる加賀の名族なり。其の公人生涯に入りしは、今囘の政友會創立に與かれるを以て始めと爲すが故に、其の人物經歴共に未だ多く人に知られずと雖も、傳ふる所に依れば、彼は從來實業に從事して嘗て政治運動に關係したることなく、唯だ其の名望の高きと、其の風采の酷だ近衞公に肖たるものあるを以て、加賀の近衞公と稱せられたりといふ。彼れが伊藤侯の勸誘に應じて政友會に入り、以て不慣れなる政治劇の舞臺に立つに至りしは、唯だ伊藤侯其人に傾倒せるが爲めなりと聞く。伊藤侯が先年加賀地方を遊説したるに際し、彼れは初めて伊藤侯の謦咳に接すると同時に、遽かに侯の崇拜家と爲りたるものゝ如し。彼れ政友會に入るに臨み、極めて正直に、有りのまゝに、自己の心事を人に語りて曰く、我家の資産は、祖先が政治上に於て獲得したるものなり。乃ち之れを政治上に於て蕩盡するも亦憾みなしと。奇男子なるかな。

都筑馨六氏が政友會の創立委員たるも亦一異色たるを見る。何となれば、彼れは最も黨人を忌み、政黨を嫌ひ、政治上に於ては極端の保守主義を持するを以て、曾て屬僚中の頑冥派なりとの目ありたればなり。憲政黨内閣の成るや、彼れは大隈伯を訪ふて憲法上の論端を開き、帝國の憲法と政黨内閣とは決して兩立す可からざる所以を切論して、大隈伯の持論を打破せむと試みたるほどの熱心なる非政黨内閣論者なり。彼れ又曾て人に語りて曰く、大隈伯は其品性識量共に立派なる政治家なり。唯だ其の周圍を叢擁する者は、大抵無頼野性の黨人にして、伯の徳を累はすものたらざるなし。伯が此等の黨人を相手として國事を謀るの意甚だ解す可からずと。其の黨人を視るや殆ど蛇蝎の如し。今や政友會には最惡最劣の黨人頗る多くして、清流の士皆顰を禁ずる能はざるに拘らず、彼れは此輩と相追隨して前進せむとするは豈奇ならずや。知らず彼れは其の主張を棄てゝ政黨に降りし乎。將た其の岳父井上伯が伊藤侯を援助するが爲に、義に於て政友會に入らざるを得ざるの事情ある乎。

Chapter 3 of 31
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